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桜井や天理方面から眺める特徴的な御破裂山ごはれつざん)標高618m
奈良県桜井市多武峰に鎮座する談山神社は、大化の改新の舞台となった血塗られた歴史の残る神社です。
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蘇我蝦夷と入鹿親子の勢力は極まって、国の政治をほしいままにしていました。この時、中臣鎌子(後の藤原鎌足公)は強い志を抱いて、国家の正しいあり方を考えていました。聡明な皇太子として知られていた中大兄皇子(後の天智天皇)とともに645年の5月、二人は多武峰(とうのみね)の山中に登って、「大化改新」の談合を行いました。後にこの山を「談い山」「談所ヶ森」と呼び、談山神社の社号の起こりとなりました。ここに鎌足公は真の日本国を発想し、日本国が世界に誇る国家となるため、一生涯を国政に尽くしました。 ・・・・。
と公式サイトにはきれい言葉が並べられていますが、当時朝鮮半島からの渡来人の代理戦場と化していた飛鳥の地で親百済派の蘇我一族が親新羅派の中大兄皇子と親唐派の中臣鎌子に滅ぼされた、よくある権力闘争の舞台となった場所です。 鎌足に打たれた入鹿の首は入鹿神社の近くにある曽我の「首落橋」まで飛んだと言われています。また殺された理由が解らず二人を睨みつけ、逃げる二人を追いかけてなぜか高見山にまで飛んでいき、日暮れになったので甘樫丘の自宅に帰ろうとしたが、飛鳥寺の首塚の上空で力尽きたという哀れな話もあります。そりゃ騙されて殺されたんだもんね。
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談山(かたらいやま)
境内の竜神社の脇にある階段状の道を辿り分岐を右に10分ほど。
談山神社本殿の裏に位置する山で古くから「談所の森」と名づけられ中大兄皇子と鎌足が大化改新の秘策を練られた場所とされています。
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さらに植林された尾根を北に進むと石段の上に鳥居がある。
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山頂には鎌足公のお墓とされる古墳があり、古くから国家に不祥事があると「神山が鳴動」した記録が残っています。とか・・・。裏手に回ると展望台になっていて天気が良ければ大和三山や二上山が望まれる(はず)
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西大門に下る途中にある石仏
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駐車場の前に広がる音羽三山
今年二度目になる談山神社、ずっと昔に来た事があるはずだがまったく記憶がない。 奈良の神社にしてはめずらしく拝観料500円が必要なのは紅葉を目当てにくる人が多いから。 今回拝観して以前の記憶を思いだした。本殿の醸し出す雰囲気は薄く神さまの存在が感じられない。 蘇我の子孫は談山神社に来ると腹を壊すと何かの本で読んだ事があるが、あくる日腹を壊したワタシは蘇我の子孫かもしれない。自分では蘇我に滅ぼされた物部の子孫だと思っているのに・・・・。