神々のいる山を訪ねる

巡礼登山家を目指して修行中、 一人淋しく霊山を訪ね歩いています。

笠置山と笠置寺

2009-06-15 09:51:36 | 近畿の山


京都府の南、奈良市の北東にある笠置山、標高は300メートルに満たないが険しい修業を物語る霊峰で古くから修験行の道場として知られている。 山は花崗岩が多く、磨崖仏、ゆるぎ石、甲吹岩など数多くの奇石が林立する様子は、独特の景観で 山頂周辺は修験行場めぐりとして整備され、胎内潜りなど、行場の名残を体験することができる。


弥勒大磨崖仏
1300年の昔、天智天皇の御子によって彫像されて以来、笠置寺を弥勒信仰の中心に位置づけるに至った笠置寺の本尊です。

笠置山の大巨石の前で弥生式時代の石剣が発見されたことにより、すでに2000年以上前から信仰の対象として崇められていた事がわかる。実際に建物が建てられたのは、1300年前、東大寺の和尚によって、笠置山の大岩石に仏像が彫刻され、その仏を中心として、笠置山全体が一大修験行場として栄えた。



虚空蔵磨崖仏
高さ12m・幅7mの花崗岩に、虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)のお姿がはっきりと拝める。平安時代・奈良時代と確定していませんが、弘法大師が一夜にして彫ったとの説もある。幸運にも元弘の戦乱の炎を受けることもなく、現在までそのお姿を残しています。

縁起によると、天智天皇の皇子が狩猟の際、危機に瀕したが、弥勒菩薩のご加護により救われた。皇子は報恩のため、石仏を刻むことを発願されたのが発端という。役行者、良弁、空海などにまつわる伝承も数多く、ご信仰の深さをうかがわせる。



胎内くぐり
修行場のスタート場、笠置山には滝がないので、この岩をくぐることによって、一度母の胎内に戻り再生する、浄化の場所です。



貝吹き岩(かいふきいわ)
西側が望めるこの場所は、元弘の戦乱のとき、連絡のためのほら貝を吹いたので、こう呼ばれています。



宝蔵坊あと
お経の収められた、経蔵があったと思われる場所は、もみじ公園と呼ばれる、紅葉の名所ですが、目の覚めるような新緑も素晴らしい。


平安から鎌倉にかけては、世の末法思想の流行りとともに吉野金峰山と並ぶ、弥勒菩薩信仰の霊場として栄え、山中の30か所を巡る修行が盛んに行われた。1191年、解脱上人が日本の宗教改革者として、その運動を笠置寺から発信したとき、笠置山は宗教の山、信仰の山として、全盛を極めた。 



笠置寺山門

しかし、後醍醐天皇が南朝の皇居を笠置山に定められた元弘の乱の戦乱で、後醍醐天皇の拠点となったために 1か月に及ぶ北朝側の攻撃を受け、全山が消亡、壊滅、衰退の一途をたどった。



貝割れ岩から望む木津川は万葉集に泉川として詠われている。



自遊宿 松本亭

一般的には笠置ボルダーと木津川河川敷のキャンプで有名な場所。急カーブの狭い道路が山頂まで通じ きじ料理の料理旅館が数件建つ。 中でも門前の松本亭には素敵なカフェが併設されていて、自然に囲まれた自遊宿というネーミングがぴったり。 近隣に山城国分寺や恭仁宮跡、735年聖武天皇の勅願により東大寺の良弁僧正によって開創されたと伝えられる、海住山寺など見どころ満載の美しい木津川流域です。