神々のいる山を訪ねる

巡礼登山家を目指して修行中、 一人淋しく霊山を訪ね歩いています。

熊野の神々がいる山

2010-05-13 15:52:44 | 近畿の山

大馬神社境内の大滝

奥深い森に囲まれた熊野、太古の神話が語る熊野の信仰は「山の信仰」と「海の信仰」があると言われる。熊野本宮を中心に、山中を他界として認識したのが、山の信仰。新宮と那智を拠点に海の彼方を理想像として憧憬したのが海の信仰。神話との関わりも深く、独自の歩みと歴史を持つが、11世紀頃互いにご祭神を勧請して「熊野三山」と称するようになった。鎌倉時代には皇族・貴族の間で「熊野詣で」が流行し「蟻の熊野詣」という言葉が生まれた。


熊野速玉大社

全国3000社以上ある熊野神社の総本宮・熊野本宮大社は沢山の人で溢れかえり真新しい資料館や店舗が増えていた。世界遺産に登録されてから参拝者が急増、住人7千人の本宮の町に正月三ヶ日で27万人の参拝者が訪れるとか・・・。明治24年に遷座された歴史の浅い神社だが、静かで厳かだった境内の雰囲気は一変! 以前は見かけなかった禁止事項の看板が境内の至る所に立ち並び、悲しくなる。


熊野本宮大社:大斎原

「聖地の条件は1センチたりとも動かない事」と言う言葉があるが、水害で流出する100年前まで聖地だった大斎原・・。ここもお供え物禁止、無断撮影禁止、あれもこれも禁止・・。でもお賽銭箱はしっかりあるという、新興宗教のような感性で、訪れる人の心に訴えるものは少ない。



熊野速玉神社の元宮・神倉神社。神倉山の山頂にゴトビキ岩とよばれる巨石がご神体をして祀られている。ここは熊野権現が最初に降臨した根本聖地とも伝えられている。磐座を拝んでいるとホントに神社仏閣の豪華な鳥居や建造物はまやかしで不要だと感じさせてくれる。




世界遺産登録で海外からの観光客が増えている。 ごとびき岩のすぐそばで日本人ガイドに連れられた20人位の中南米団体客が長時間休憩していた。

熊野は古代の自然信仰、原始信仰の聖地であったと思われるが、今なお熊野の神さまが住んでいる山々を探訪しようと、事前に聞いていた山懐の神社を訪ねてみた。どこも深い杜と清流に囲まれ、静かで神々しい信仰の原点を感じさせてくれた素晴らしい神社だった。



神内神社:岩壁をご神体として祭った原始宗教の名残りがある。境内には300種類の植物が繁茂し貴重な杜です。


大馬神社:古代信仰の滝と岩と山がご神体とされています。杉の巨木に囲まれ 熊野地方が植林化される以前の植性を持つ貴重な社叢とされています。


産田神社:地元に伝わる話では「崇神天皇の夢見により、ここにお祭りされていた神様を熊野に遷したのが、熊野本宮大社の始まりだといわれている。広大な社叢をもつ弥生時代からの古い神社で古代には建物はなく『ひもろぎ』と呼ばれる石で囲んだ祀り場(祭祀台)へしめ縄を張り神様を招いた。ひもろぎの跡(神の宿る所)も残っている。日本で二箇所しか残っておらず大変古くて珍しい。と書かれていた。

巨岩を御神体とする丹倉神社には近くまで到達したが、なぜか辿りつけなかった。やはり神さまは観光客を避けて人里離れた山の中にいる。

熊野信仰も元をたどれば出雲にある熊野山(天狗山)を発祥とする出雲の熊野大社にルーツがある。また那智大社社伝には神武天皇が大滝に神を祀ったのが始まりとされているが、那智大瀧にそれより以前、すでに「大己貴神」を祀っていたとされるので出雲より熊野に勧請されたのは神代の時代であったと思われる。




玉置山と玉置神社

2010-05-11 12:58:33 | 奈良の山


紀伊半島の中央。大峰山脈の南端に位置する標高1076メートルの玉置山。北山川と十津川の深い渓谷に挟まれた山頂からは南に太平洋、北に吉野、熊野の山々を遠望できる神秘的な山で、玉置山の森は、森林浴の森100選にも選ばれている。



広々とした山頂からは熊野灘を望み「沖見岳」「舟見岳」との別名もある。山全体がご神体と崇められている神奈備と思われるのに、あろうことか山頂付近にアンテナが立てられ台無しに・・・。前に来た時はもっと整然としていたような記憶がある。



山頂直下9合目に建つ玉置神社の境内はうっそうとした原生林に覆われ、神代杉をはじめとして樹齢3000年と言われる大きな木々が林立。荘厳で神聖な雰囲気の中に社殿が鎮座しています。


神代杉


玉石社:御祭神・大巳貴命




玉石社の後ろに「霊石三ツ石神祠」
大峰奥駆道の拠点ともなっているので、この日も3人の若者が大きなザックを背負って降りてきた。


玉置神社は神武天皇東征の際、熊野に上陸後、ヤタガラスの先導にて、この地で十種神宝を奉祀されたとの伝説があり古来より十津川郷の鎮守であったと思われます。熊野三山の奥の院と呼ばれていて、熊野本宮には玉置神社の遥拝所があったという事ですが・・・。

この件に関して最近の書物(熊野 神と仏)の中で熊野本宮宮司、金峯山寺執行長という立場の方が対談でどちらも玉置神社との関係を否定し、スピリチュアル系の変な人たちの拠り所になって、「あそこはすごい」と言って本来の形とは違っている・・・と、極めて否定的な意見を述べていたが、段々変な雰囲気になってきたのは、明らかに熊野本宮のほうだと言うことは 行ってみれば誰でも解る。 視野の狭い人だ。

確かに玉置神社は道路が整備されて雰囲気は変わった。それでも境内にポツンと置かれた無人のお神酒、車道があるにも関わらず自動販売機はなく、休憩所にある無料の熱いポット・・・。ずっと前奥駆の道中、お賽銭代もなくタダで頂いた記憶がよみがえり、変わらない心があるように感じた。  山頂のアンテナで神さまは何処かに逃げたと思うけど、いつの日か戻ってくる予感がある 他に類を見ない霊山。