備前の国一宮:御祭神は スサノオノミコト :御神体は 布都魂の剱(フツノミタマノツルギ)
日本書紀一書に「スサノオ、乃ち、蛇の韓鋤の剱を以って、頭を斬り腹を斬る。(中略)其のスサノオの蛇を断りたまへる剱は、今吉備の神部の許にあり。」との記述があります。
由緒によると、剣は第10代祟神天皇の時(270~290年)大和地方に病が蔓延した、それを平らげるには、布都魂の刀の霊力で払いのける事、となり 吉備の国当社から大和に献上、不思議な事に病は治まったと伝えられ、献上の剣は石上神社の裏山に埋納した。 明治7年教部省の許可を得て発掘し、曲玉と神剣を発見。 明治天皇に天覧ののち、刀匠 月山貞一氏によって再鍛造され、当神社にも奉納された。 (つまり奈良の石上神宮にスサノオさんの神剣を献上した神社です。)
社務所や休憩所がある境内
現在の社殿は大正4年に再建されたもので、元来山中にある巨石がご神体である。以前は社殿も山頂にあったが明治末期に火災で焼失。500メートル下方の現在地に再建された。社殿は駐車場からコンクリートの小道を5分、更に階段を登ると前方が拓けて立派な建物のある境内に着く。
大和の石上神宮同様、物部氏が代々神官の祭祀を預かることとなっており、居合わせた宮司さんが 物部の御子孫で姓も 物部 と聞いて驚いた!(マジ本物!) 私が物部のファンだと言うと、女性で古代史の研究をしているなんて珍しいですね・・・。と言われて 由来や伝説にまつわる話を色々して下さった。
本宮への入り口(急登の連続で登山道路は荒れている)
山頂にある本宮 : 後ろの磐境(磐座)は神霊を祀るもので、古代祭祀を伝える貴重な遺跡となっています。神社の左手から階段状の急登を続けると備前や岡山市内方面が遠望できる開けた場所につく 更に山道の急登5分で鳥居が立っている場所。
続いて50段ほどの石段を登ると10メートル四方が台地になっていて正面に巨大な磐座があり、その前に本宮が祀られていて禁足地となっている。池田公の時代にはこの場所に社殿、神楽殿、拝殿まであったと掲示板に書かれている。
山頂の本宮さんで磐座は禁足地となっている。禁足地内に いぼ水 という水たまりがあり、この水をイボに付けるとイボが取れるとの言い伝えがある。希望の人あれば、神社の人にお話下さいとのことです。
麓から見た御神体山:一帯の風景は岡山県下の代表的なツブラジイの純林で景観保護区となっている
広い駐車場:
少し解り難い山間の僻地に建っています、人口減少で祭礼、伝統のお神楽、棒使い、神輿なども満足に出来なくなっている現実があり石上布都魂神社崇敬会を結成して会員を募っています。
古代祭祀を如実に感じさせる ビビッとくる御神体山。 大松山という記述もあるが、麓の方は 本宮さん と話していた。時間の許す限り山の麓周辺を歩いていると、嬉しくてニヤニヤしてしまった。