千葉に避難していた叔母が、昨夜帰ってきて別の叔母の家にいると連絡が来ました。
家に行ってみたいので車に乗せてってくれないかと言うので今日は満を持してガソリンを入れる事にしました。
朝8時過ぎ、自転車で近くのGSを回ってみました。
一軒目はもうすでに終了。二件目はまだそんなに長蛇の列と言う訳ではなく、聞いてみると整理券はまだ配っていないと言う。
急いで家に戻って車を持って来ました。
並ぶ事3時間。47番目の整理券を貰って無事満タンにガソリンを入れる事が出来ました。
午後叔母を乗せて走る事20分。言葉になりません。津波の恐ろしさをまざまざと見せつけられました。
↑母の実家の母屋を背に撮った写真です。
敷地内によその家の屋根が流れてきたそうです。
目の前は海なのですが、満潮時には潮が陸地だった所まで来てます。
叔母達家族はもう住めないと言っています。
この建物は明治38年建築の専売公社の建物だったそうです。
それを母の実家で買ったのですが、煉瓦造りの歴史的な建造物で従姉妹は壊したかったらしいのですが、残してほしいという地元住民、自治体の要望で残していたそうです。
水に浸っているもの、もう維持は出来ません。
家に行ってみたいので車に乗せてってくれないかと言うので今日は満を持してガソリンを入れる事にしました。
朝8時過ぎ、自転車で近くのGSを回ってみました。
一軒目はもうすでに終了。二件目はまだそんなに長蛇の列と言う訳ではなく、聞いてみると整理券はまだ配っていないと言う。
急いで家に戻って車を持って来ました。
並ぶ事3時間。47番目の整理券を貰って無事満タンにガソリンを入れる事が出来ました。
午後叔母を乗せて走る事20分。言葉になりません。津波の恐ろしさをまざまざと見せつけられました。
↑母の実家の母屋を背に撮った写真です。
敷地内によその家の屋根が流れてきたそうです。
目の前は海なのですが、満潮時には潮が陸地だった所まで来てます。
叔母達家族はもう住めないと言っています。
この建物は明治38年建築の専売公社の建物だったそうです。
それを母の実家で買ったのですが、煉瓦造りの歴史的な建造物で従姉妹は壊したかったらしいのですが、残してほしいという地元住民、自治体の要望で残していたそうです。
水に浸っているもの、もう維持は出来ません。