マンデーの日記

Whatever Will Be, Will Be.

平成23年 東北地方太平洋沖地震④

2011-04-01 | 地震
千葉に避難していた叔母が、昨夜帰ってきて別の叔母の家にいると連絡が来ました。
家に行ってみたいので車に乗せてってくれないかと言うので今日は満を持してガソリンを入れる事にしました。

朝8時過ぎ、自転車で近くのGSを回ってみました。
一軒目はもうすでに終了。二件目はまだそんなに長蛇の列と言う訳ではなく、聞いてみると整理券はまだ配っていないと言う。
急いで家に戻って車を持って来ました。
並ぶ事3時間。47番目の整理券を貰って無事満タンにガソリンを入れる事が出来ました。

午後叔母を乗せて走る事20分。言葉になりません。津波の恐ろしさをまざまざと見せつけられました。
↑母の実家の母屋を背に撮った写真です。
敷地内によその家の屋根が流れてきたそうです。
目の前は海なのですが、満潮時には潮が陸地だった所まで来てます。
叔母達家族はもう住めないと言っています。

この建物は明治38年建築の専売公社の建物だったそうです。
それを母の実家で買ったのですが、煉瓦造りの歴史的な建造物で従姉妹は壊したかったらしいのですが、残してほしいという地元住民、自治体の要望で残していたそうです。
水に浸っているもの、もう維持は出来ません。


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4 コメント

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Unknown (うらら)
2011-04-03 20:42:47
明治時代の専売公社の建物って、外形はちゃんと保ってて丈夫なんですね~
レトロでいい雰囲気だからそのまま移築するとか残せる方法ないでしょうか。
母の実家ということは現在お母さんがお住まいの場所ではないのですか?
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うららさんへ (マンデー)
2011-04-04 20:45:56
煉瓦って地震に弱いイメージがありますが、あの地震と津波に耐えました。
明治の建物って頑丈に出来ているのですね。でも近くで見るとかなり痛んでいました。
移転するにしてもお金がかかるでしょうし、従姉妹がどうするかは分かりませんが、小さい頃からよく行った懐かしい場所が全滅状態で淋しいです。高波で潮がすぐ目の前まで来るので従姉妹も「ここにはもう住めない」と言っていました。

ここは母の実家であって住まいではなく、叔母と従姉妹が住んでいました。
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Unknown (TM)
2011-04-04 21:30:34
私は運転しないのでピンとこないんですが、人によっては、ガソリンが水や食料と変わらないほど貴重なものなんですね。

新潟の妹はどこに行くにも車です。東京のように電車で自由に行動できるわけじゃないので、車がなくなったら即生活に窮してしまいますね。

こういう非常事態になって、いろんなことが分かってきます。
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TMさんへ (マンデー)
2011-04-05 21:01:27
仕事に行くにも病院に行くにも車を使いますから必需品です。
私も車がないと今の状況では無理です。

ガソリンを入れる為の道路脇の列は、すごかったです。
やっと並ばずにガソリンを入れられるようになりました。これも復興の一部でしょうか?
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