3月11日2時46分。
仕事に行こうと準備をしていると、長くて激しい揺れに襲われました。
前回の地震で、ひっくり返ったテレビを抑えに、這うようにして寝室に行きました。
あまりに長くて、気持ち悪くなるようでした。
震えながら「お願い、もう止んで」と言うような事を何度も口走っていたと思います。
どの位の長さだったでしょうか?有に3分は経ったように感じました。
5分後。揺れが止んで、かすかに震えながら家の中をサッと見回し、実家に車を走らせました。
古い実家はあの揺れでは多分家はつぶれただろう。母は下敷きになったのではないだろうか?
心臓がドキドキしていました。
玄関の前に置いてあった大きな水ガメが、ひっくり返っていました。
実家はかろうじて建っていましたが、壁は落ち、家の中は箪笥や何もかもがひっくり返ってゴチャゴチャ。
母は平然として、こぼれたマッチ箱を拾っていました。
「ここは危ないから車に乗って」と連れて行こうとしたら、全財産が入ったバックが見つかりません。
何処を捜しても見つかりません。
仕方がないのでそのまま行こうとしたら、寝室の枕元にあったのを思い出したようです。
家に帰ると、娘から「津波が来るから逃げて」と電話が来ました。
まさかと思っていましたら、今度は夫から同じ内容のメールが届き(夫はメールが出来ませんが、電話が繋がらないので同僚にメールして貰ったようだ)我が家は、まさか津波が来るはずがない場所にありますが、二人からの情報に避難する事にしました。
3時半。途中で娘を拾い、毛布と飲み物、551の豚マンを3つチンして、なるべく海から離れるように車を走らせました。
小高い場所に車を停めるスペースに見つけ、エンジンを付けたまま映りの悪いナビのテレビで地震のニュースを見ていました。
近くに住む方が家の駐車場に車を停めるように言って下さり移動しました。
どの位経ったかは覚えていませんが、車の中で夕食代わりの豚マンを食べ、家に帰る事にした頃、外は真っ暗になっていました。
地震後は勿論停電です。空は星がとっても綺麗で、しばし娘と見とれてしまいました。
数十メートル先まで水が来ましたが、家は無事でした。
テレビもPCも使えないし本も読めない暮らしなんて何をしていいか分からず寝るしかありません。
9時過ぎ。玄関をトントン叩く音がして出て見ると、妹と姪が津波の為家に入れず泊まりました。
翌日。ガス・電話・電気・水道は全て止まり、ラジオから聞こえてくる情報は津波のすさまじさばかりです。
驚きの声しか出ません。
母の実家は海のすぐ前にあります。
叔母二人と従姉妹が住んでいます。前日から我が家に来るようにメールを入れていましたが連絡が取れません。
後になって知ったのですが、従姉妹の車で天神様に避難し一夜を過ごし、翌日知り合いの家に泊めて貰っていたそうです。
千葉に住む従姉妹が夫と捜しに来たのだが見つからず、流されたと思っていたらしい。
一週間後、キャンピングカーに物資をたくさん積み込み再び入り、歩いて捜しあてたそうだ。
この時点で親戚家族の安否が全員確認できました。
義理の母に一馬を預けて金土だけ仕事している娘は、交通手段がなく帰れず、2泊した後夫が迎えに来て、家が浸水したので夫の実家に帰って行きました。
初めて二晩も離れた一馬は最初、ママをじっと見つめ躊躇し、「一馬おいで」と言われ抱っこされたらしい。
それ以来ママにベッタリだそうで一時もママから離れないそうだ。
さて水と食料と火を確保しなければなりません。
水は叔母の安否を確認しに行った時にたまたま30リットル確保できました。
又家の中にも4リットルありますし、お風呂の水がたっぷり張ってあったのでとりあえず安心です。
食料は親戚や友人が届けてくれた分と家にあった物で我が家は援助の物資を受けずに間に合う事が出来ました。
燃料は我が家にあった七輪と豆炭と炭を使いました。
常に電気ケトルを使っているためヤカンはありません。
七輪は暖は取れませんが、食事を作るには重宝しました。一家にひとつ、お勧めです。ただ、一酸化炭素中毒に気を付けなければなりません。
買い物しなくても何とかなるものです。
おかげで賞味期限切れ食品がほとんど処分出来ました。
4,5日経って、頭が痒くててっぺんにカサブタが出来ました。何やら頭から汁が出始めたようだ。
妹と姪とお湯を沸かして頭だけ洗う事にしました。リンスはなしです。
まだまだ大きな余震があります。
現在我が家には母と妹が避難しています。
夫とは仕事のため地震以来まだ会っていません。
19日ガスが使えるようになり、20日携帯が繋がり、21日電気と水が使えるようになりました。
PCはヤフーがNTTから借りている回線に不具合が生じ使えず昨夜やっと繋がりました。
我が家は早い方でまだまだ電気もガスも水も電話も使えない家庭が多くあります。
続きます…
仕事に行こうと準備をしていると、長くて激しい揺れに襲われました。
前回の地震で、ひっくり返ったテレビを抑えに、這うようにして寝室に行きました。
あまりに長くて、気持ち悪くなるようでした。
震えながら「お願い、もう止んで」と言うような事を何度も口走っていたと思います。
どの位の長さだったでしょうか?有に3分は経ったように感じました。
5分後。揺れが止んで、かすかに震えながら家の中をサッと見回し、実家に車を走らせました。
古い実家はあの揺れでは多分家はつぶれただろう。母は下敷きになったのではないだろうか?
心臓がドキドキしていました。
玄関の前に置いてあった大きな水ガメが、ひっくり返っていました。
実家はかろうじて建っていましたが、壁は落ち、家の中は箪笥や何もかもがひっくり返ってゴチャゴチャ。
母は平然として、こぼれたマッチ箱を拾っていました。
「ここは危ないから車に乗って」と連れて行こうとしたら、全財産が入ったバックが見つかりません。
何処を捜しても見つかりません。
仕方がないのでそのまま行こうとしたら、寝室の枕元にあったのを思い出したようです。
家に帰ると、娘から「津波が来るから逃げて」と電話が来ました。
まさかと思っていましたら、今度は夫から同じ内容のメールが届き(夫はメールが出来ませんが、電話が繋がらないので同僚にメールして貰ったようだ)我が家は、まさか津波が来るはずがない場所にありますが、二人からの情報に避難する事にしました。
3時半。途中で娘を拾い、毛布と飲み物、551の豚マンを3つチンして、なるべく海から離れるように車を走らせました。
小高い場所に車を停めるスペースに見つけ、エンジンを付けたまま映りの悪いナビのテレビで地震のニュースを見ていました。
近くに住む方が家の駐車場に車を停めるように言って下さり移動しました。
どの位経ったかは覚えていませんが、車の中で夕食代わりの豚マンを食べ、家に帰る事にした頃、外は真っ暗になっていました。
地震後は勿論停電です。空は星がとっても綺麗で、しばし娘と見とれてしまいました。
数十メートル先まで水が来ましたが、家は無事でした。
テレビもPCも使えないし本も読めない暮らしなんて何をしていいか分からず寝るしかありません。
9時過ぎ。玄関をトントン叩く音がして出て見ると、妹と姪が津波の為家に入れず泊まりました。
翌日。ガス・電話・電気・水道は全て止まり、ラジオから聞こえてくる情報は津波のすさまじさばかりです。
驚きの声しか出ません。
母の実家は海のすぐ前にあります。
叔母二人と従姉妹が住んでいます。前日から我が家に来るようにメールを入れていましたが連絡が取れません。
後になって知ったのですが、従姉妹の車で天神様に避難し一夜を過ごし、翌日知り合いの家に泊めて貰っていたそうです。
千葉に住む従姉妹が夫と捜しに来たのだが見つからず、流されたと思っていたらしい。
一週間後、キャンピングカーに物資をたくさん積み込み再び入り、歩いて捜しあてたそうだ。
この時点で親戚家族の安否が全員確認できました。
義理の母に一馬を預けて金土だけ仕事している娘は、交通手段がなく帰れず、2泊した後夫が迎えに来て、家が浸水したので夫の実家に帰って行きました。
初めて二晩も離れた一馬は最初、ママをじっと見つめ躊躇し、「一馬おいで」と言われ抱っこされたらしい。
それ以来ママにベッタリだそうで一時もママから離れないそうだ。
さて水と食料と火を確保しなければなりません。
水は叔母の安否を確認しに行った時にたまたま30リットル確保できました。
又家の中にも4リットルありますし、お風呂の水がたっぷり張ってあったのでとりあえず安心です。
食料は親戚や友人が届けてくれた分と家にあった物で我が家は援助の物資を受けずに間に合う事が出来ました。
燃料は我が家にあった七輪と豆炭と炭を使いました。
常に電気ケトルを使っているためヤカンはありません。
七輪は暖は取れませんが、食事を作るには重宝しました。一家にひとつ、お勧めです。ただ、一酸化炭素中毒に気を付けなければなりません。
買い物しなくても何とかなるものです。
おかげで賞味期限切れ食品がほとんど処分出来ました。
4,5日経って、頭が痒くててっぺんにカサブタが出来ました。何やら頭から汁が出始めたようだ。
妹と姪とお湯を沸かして頭だけ洗う事にしました。リンスはなしです。
まだまだ大きな余震があります。
現在我が家には母と妹が避難しています。
夫とは仕事のため地震以来まだ会っていません。
19日ガスが使えるようになり、20日携帯が繋がり、21日電気と水が使えるようになりました。
PCはヤフーがNTTから借りている回線に不具合が生じ使えず昨夜やっと繋がりました。
我が家は早い方でまだまだ電気もガスも水も電話も使えない家庭が多くあります。
続きます…