マンデーの日記

Whatever Will Be, Will Be.

温泉旅行

2013-11-19 | 旅行
土曜朝、思い立って一泊で温泉に行くことにした。
早速『直前の宿』で検索、楽天トラベルの10倍ポイント、1000円クーポンを利用して【リステル猪苗代】に宿泊した。

当日は二本松の菊人形を見る為霞が城を見学。
去年ツァーで寄った時に歩けなかった天守閣があったお山を散策。

大きなイチョウの下に銀杏がたくさんの落ちていた。
イチョウの木には雄株と雌株があって雌株に実が付くのは知られているが、雄株の葉っぱは割れていなくて、雌株の葉っぱは割れていると聞いていたが記事を書くにあたって調べてみると、それは本当ではないようだ。

でも左が雌株の葉っぱで右が雄株の葉っぱ。面白い!!!

磐梯山は会津の象徴だ。

元々は富士山型の形の山が噴火によってこんな形になったとされている。

今年6月に行ったポンペイの遺跡。ヴェスヴィオ火山の大噴火によって元々の山の頂上付近が吹っ飛んでこんな形になった。磐梯山とよく似ている。


二日目は鶴ヶ城と大内宿に立ち寄った。
「宮城にこんなに立派な城はない。お城はヤッパリ戦いの為に作られた日本のお城が一番だ。」と会津好き、お城好きの夫はご満悦。

その後、名物《葱の蕎麦》を食べに大内宿に立ち寄った。

蕎麦好きの私は美味しくて大満足。



イタリア旅行②

2013-06-25 | 旅行
ガゼルタはナポリの王カルロ7世が建設を命じ1780年に完成した宮殿です。
1200以上の部屋と豪華な大理石で出来た宮殿の中と120ヘクタールの大規模な建設はベルサイユを凌ぐことを目指して作られました。

しかし世界遺産にしては殺風景で庭も汚いし観光客も少ない。
イギリスに比べると雲泥の差だ。
ついついもう少し綺麗にしたら観光客がたくさん押し寄せ最悪な経済も潤うのではないかと思ってします。
添乗員さんによるとイタリアの国民性だそう。

青の洞窟で有名なカプリ島へは高速船で向かいます(1時間)
波が高く揺られたため友人が船酔いしてしまった。

カプリ島は人口12000人の小さくて綺麗な島で、風光に見せられた古代皇帝たちが別荘地にした地です。
島の名所は『青の洞窟』
マリーナ・グランデに着いた途端に「今日は入れない」と告げられた。

希望者だけ10ユーロ(?)程で近くの入口まで小舟に乗り換え連れて行ってもらった。
この日は15のグループのうち夕方の1グループだけが入れたそうで、入口を見たらその狭さに波があると入れないことを納得。
入口は高い波が来るとふさがれてしまう。それでも何となく青に見えてくるから幸せだ。
昼食後ポンペイに向かいました。


ポンペイは紀元前6世紀には都市国家レベルに発達、紀元前1世紀にローマ帝国の支配下となり繁栄しました。
紀元前79年8月24日、ヴェスヴィオ山が爆発し街は一夜にして灰に埋まってしまいました。
1748年に再発見されて以来、発掘が続けられています。
裕福な商人の邸宅、浴場、円形劇場、水道、、美術品、犠牲者の姿も再現されローマ時代の都市の機能と風俗が認識できます。
ガイドさんが靴で絵を描き説明してくれました。
爆発によって写真のように山の形が変わってしまいました。
奇跡のような遺跡でした。

夕方、フェリーにてパレルモへ向かいました。
乗船時間はおよそ12時間。
船に弱い私は勿論酔い止めの薬は必需品。
液体の酔い止めのおかげで夕食も美味しく頂くことが出来、朝までは快適な船旅だった。
朝、シャワーを浴びたのがいけなかった。
朝食も食べることが出来ず横になっているしかない。
それでも、船から降りる準備はしないといけないので、横になったまま腕時計を付けようとした、ちょっとした瞬間に、時計はベットと壁の間にするすると落ちて行ってしまった。
細い棒のようなもので取ろうと友人達が努力してくれたものの取れない。
私のたった一つの、古いバーバリーの時計はこのまま船に置いていかざるをえないのか!?
そんなことも考えたが、添乗員さんがベットを力づくで動かし取ってくれた。
今回の旅では「添乗員さん大変ご迷惑をかけてしまった。何も返すものもないので体で返すから」と言ったら『イタリアだけに老婆の休日』と断られてしまった

南イタリア旅行①

2013-06-14 | 旅行
5月28日。
成田発18時40分。香港で乗り継ぎローマへ。添乗員さんの話によると飛行機のチケット代は成田直通より倍値段が違うそうだ。
なにせ10日間の南イタリア旅行が燃油サーチャージ込みで189000円。長旅は覚悟の上。
飛び立つのを待っている飛行機(成田)

着いてすぐのローマ市内観光に備えて、機内で寝て行かなくてはならないので睡眠導入剤を飲んだ。常用性のない‘マイスリー’これなかなかの優れものです。
時差ぼけもなく大助かり。




バチカン市国、コロッセオ、スペイン広場、トレビの泉、サンピエトロ大聖堂はすべて外から見るだけの観光。
バチカン市国で私はこの旅行一番の思い出を作ってしまう。
この日は偶然ローマ法王謁見の日で、サンピエトロ広場はたくさんの人でいっぱいだった。
勿論顔は見えなかったがテントの中にいた法王を遠く遠くから確認することが出来た。
そこからバスに向かう途中の横断歩道を渡りきったところで私は迷子になってしまった。
右を見ても左を見てもツァーの人たちの姿が何処にも見えない。
音声ガイドの声が聞こえるが、しばらくの間、私の姿が見えなくなっていることに気づいてはくれなかったようだ。
動かないでいた方がいいと待ってはいたが、その時間は相当長く感じられとても不安だった。

イタリアは観光にガイドを必ず使わないといけないそうだがその時の日本人ガイドが最悪。
迷子になった私が悪いのは勿論だが「時間をロスすると次の予定が狂ってしまって観光できなくなるし昼食も食べられなくなることもある」と怒られ、一緒に探しに来てくれた友人に「コロッセオに入ったの?」と聞くと「ここはコロッセオじゃないよ」と大きな声で叱られた。
バスに戻ると添乗員さんは「良かった、良かった」と喜んでくれた。嬉しかった~普通はそうでしょ


午後昼食の後ガゼル他観光へ。

南イタリア旅行

2013-06-08 | 旅行
5月28日から6月6日まで10日間の日程で南イタリアに行ってきました。

季節はベストシーズン。
31人のツァーにマンデークラブとしては震災後初の海外旅行に4人で参加しました。
38歳の新婚の添乗員さんはフットワークの良いとても気のきく、おやじギャグ連発の楽しくて素晴らしい方でした。

まず驚いたのが、ツァーのメンバーの旅慣れしていること。
戦争状態の国以外はほとんど旅行したという方や、毎月旅行していて来月は北欧、8月はお盆で休み、9月はポーランドに行くという一人参加の70歳の御婦人。添乗員さんから常連さんと呼ばれている80歳近い男性等、他のメンバーも主たる旅行地は訪れているという旅慣れた方々ばかり。

10日間という長い日程と格安の料金のせいか、最初のうちはハードに感じたが、後半は5時半ホテル着、7時半夕食で帰ってからのんびりできたため体が楽に感じられた。

食事は朝はコンチネンタルで昼と夜はほぼパスタと魚か肉のメインにデザート。
さすがに後半のオリーブオイルは受け付けなくて持参したパックご飯とお粥と缶詰、みそ汁のお世話になった。
私はワインが飲めないのでビールだけだったが、やや渋みの強い赤ワインをみなさんよく飲まれていた。
こんな時ワインの美味しさが分からないのが残念だ。

南はとにかく治安が悪い。スリには十分気を気をつけるように何度も念を押されたおかげで、何事もなく全員無事に日本に帰れました。

旅行前に色々な問題が起きて忙しく行かれなくなるのではないかと心配しましたが、自分のためにも行って良かったと思った南イタリア旅行でした。