奈良時代、紀州の僧・東光坊祐慶が
安達ヶ原(福島県二本松市)を旅している途中
日が暮れてきたので一軒の岩屋に宿を求めた。
そこには老婆が一人住んでいた。
祐慶を招き入れた老婆は、「薪を取りに行く」といい、
「奥の部屋は絶対に見てはならぬ」と言い残して出かけた。
しかし、抑えきれない衝動にかられて部屋をのぞいてしまう。
そこには人間の白骨死体が山のように積み上げられていた。
祐慶は「安達ヶ原で旅人を殺して血肉を貪り食う」
という鬼婆の噂を思い出して岩屋からあわてて逃げ出した。
戻って来た老婆は、祐慶の逃走に気付づき
恐ろしい鬼婆と化して猛烈な速さで追いかけて来た。
すぐ後ろに迫る鬼婆…。
絶体絶命の中、祐慶は荷物の中から如意輪観世音菩薩像を取り出すと
必死にお経を唱え始めた。
すると菩薩像が空へ舞い上がり、光明を放ちながら
破魔の白真弓に金剛の矢をつがえて射ち、鬼婆を仕留めたのだ。
祐慶は阿武隈川のほとりに塚をたてて成仏した鬼婆を葬った。
その地は「黒塚」と呼ばれ、現在も伝説とともに残っている。
以上、安達ケ原の鬼婆の話である。
(ウィキより抜粋要約)
切れなくなった包丁を真夜中に研ぎながら
鬼婆ってわたしのこと?って思ってしまった。
安達ケ原は福島だけに、どうも近い。
もしかするとこのわたし、鬼婆の末裔かもしれないな(笑)。
安達ヶ原(福島県二本松市)を旅している途中
日が暮れてきたので一軒の岩屋に宿を求めた。
そこには老婆が一人住んでいた。
祐慶を招き入れた老婆は、「薪を取りに行く」といい、
「奥の部屋は絶対に見てはならぬ」と言い残して出かけた。
しかし、抑えきれない衝動にかられて部屋をのぞいてしまう。
そこには人間の白骨死体が山のように積み上げられていた。
祐慶は「安達ヶ原で旅人を殺して血肉を貪り食う」
という鬼婆の噂を思い出して岩屋からあわてて逃げ出した。
戻って来た老婆は、祐慶の逃走に気付づき
恐ろしい鬼婆と化して猛烈な速さで追いかけて来た。
すぐ後ろに迫る鬼婆…。
絶体絶命の中、祐慶は荷物の中から如意輪観世音菩薩像を取り出すと
必死にお経を唱え始めた。
すると菩薩像が空へ舞い上がり、光明を放ちながら
破魔の白真弓に金剛の矢をつがえて射ち、鬼婆を仕留めたのだ。
祐慶は阿武隈川のほとりに塚をたてて成仏した鬼婆を葬った。
その地は「黒塚」と呼ばれ、現在も伝説とともに残っている。
以上、安達ケ原の鬼婆の話である。
(ウィキより抜粋要約)
切れなくなった包丁を真夜中に研ぎながら
鬼婆ってわたしのこと?って思ってしまった。
安達ケ原は福島だけに、どうも近い。
もしかするとこのわたし、鬼婆の末裔かもしれないな(笑)。