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ハラボジの履歴書

祖父が日本に渡って来なければならなかった物語を記憶に基づき
在日100年が過ぎようとしているいま書き留めておく。

旧山古志村 村長長島 忠美さんの事

2007年05月07日 | Weblog
 今は、衆議院議員長島忠美であるが、山古志村全村避難の決定をいち早く判断を行った人であり、当時その首長としての決断は全国いや、世界が注目しその名は今もとどろいている。
この震災で山古志村が広く知られ、山古志の復興は今も注目されている。
3300名の小さな村であるが、その棚田の美しさもさることながら、この村の歴史があり、物語が日本の原風景をあらわすにふさわしい村の歴史を持っている。
誰しもがこの山古志の人と風景に触れたとき、いつしか吸い込まれていくという。
単に、被災の象徴だけで、これまでこの村が紹介されたのではなく、生き方、考え方、危機管理への対応が高く評価されたことが大きなところでもある。
自分たちの故郷は自分たちで築き、又自分たちで取り戻すといった、この災害の多い日本のこれからの方向を示したともいえる、山古志の復興を牽引するそのものの人であり、今も多くの共感の輪が広がっている。

旧山古志村村長選挙時のポスター(全壊の家屋に張られていたのを撮影 山古志虫亀 養鯉業 田中 重雄さん宅にて 05.5月写す)
長島 忠美 56歳  旧山古志村村長 現衆議員

山古志 今年で被災3周年

2007年05月06日 | Weblog
 中越地震で被災を受けた山古志。全村避難が今年の4月に解除されたが、まだ全員が村へはもどれずにいて、今も仮設住宅にとどまる人がいる。
山古志の中の道はすべて開通したという、農業、養鯉業もわづかながら回復傾向にあるというが、まだまだ本来の姿に至るのは相当の時間を要すると聞いた。
本年の10月の3周年には、神戸の長田から、被災当時駆けつけた有志で訪問することで先日長島議員に伝えた。
あらたな、神戸と山古志のこれからの交流を進めるあらたな関係をさぐる為に。


写真
本年1月17日阪神大震災12周年山古志から田中氏と五十嵐 豊氏が來神の模様

長田温泉物語

2007年05月05日 | Weblog
 阪神大震災があって、長田区内の銭湯が多く被害を受けた。
庶民のコミュニケーションの唯一の場であり、湯上りにちょっと一杯そんな風情も無くなりつつある。経営的には人口が減ったこともあり、閉める銭湯がおおくなっている。
逆に震災以降、ボーリングを行い堀温泉を彫る銭湯も多くなったが、最近にいたっては、大規模な駐車場を完備したスーパー銭湯があちらこちらに出来て、従来からあった銭湯の経営はますます厳しくなって、存亡の危機に瀕している。
震災以降の再開発で大規模店の進出がさらに加速して、これまでの個人商店が廃業していく。この格差はどうすることもできず、時代の流れであり再開発の大きな影響がいまここに来て大きな姿を現し始めた。
しかし、ここに住む住民は強かなところもあり、愚痴をあげながら、時代の流れに順応していく。
高齢化と、地場産業の空洞化の進む中にあってもこの長田からは出ようとはしない。この地域の空気そのものが他の場所にない、庶民の身の丈にあった環境があるからだ。

写真   再開発地区内での足湯温泉 国道2号線に面する 無料