ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングや訪問カウンセリングなどをやっています。

ウィニコット(橋本雅雄訳)『遊ぶことと現実』1979・岩崎学術出版社-遊ぶことの大切さを考える

2024年07月10日 | 精神分析に学ぶ

 2018年のブログです

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 ウィニコットさんの『遊ぶことと現実』(橋本雅雄訳・1979・岩崎学術出版社)を再読しました。

 何回目になるでしょうか。

 何回読んでも難しい本ですし、奥がすごく深い本で、じーじなどはまだまだどれくらい理解できているのか心もとありません。

 1979年発行の本で、じーじが持っているのが1988年の本、おそらく精神分析に興味を持ちだした頃に買ったのではないかと思います。

 その後、精神分析だけでなく、面会交流の仕事をする中で遊戯療法なども勉強し、そちらからもウィニコットさんに近づくことが増えたと思います。

 じーじの数少ない論文もウィニコットさんを参考にして書かせていただきましたし、大学院の修士論文も同様で、ずいぶんお世話になっています。

 いろいろなことが述べられており、いろいろな学者さんに引用されている本書ですが、今のじーじに理解できている範囲で書いてみます。

 まず、有名なのが、遊ぶことにおいてこそ患者は創造的になっていく、ということ。

 ウィニコットさんは、創造することは存在すること、とも述べていますから、結局、遊ぶことは人が存在すること、生きること、ということになります。

 それだけ、自由に遊ぶことが生き生きと生きることや存在することに大切だということになります。

 そして、精神療法は患者が遊べない状態から遊べる状態にすること、と述べていて、精神療法における遊ぶことの重要性を強調します。

 一方で、ウィニコットさんは、精神療法は患者と治療者の二つの遊ぶ領域を重ね合わせること、とも述べていて、両者がそれぞれに遊ぶことの大切さを述べています。

 生きること、と同様、精神療法においても、その中で、自由に生き、自由に存在することが必須のことのようです。

 なお、遊ぶこと、というと、世間的にはやや否定的なイメージを持たれることもありますが、人間が真に自由に遊ぶことは尊いことなのだろうと思います。

 遊ぶことの大切さについては、ホイジンガさんなどをはじめとして、哲学からのアプローチもあり、広い勉強が必要になりそうで、少しずつでも考えを深めていきたいと思っています。

 さらに、本書には、他にも、移行対象やひとりでいる能力、潜在空間、中間領域、生き残ること、などなど、大切な概念が出てきます。

 いずれまた、それらについてもリポートができればいいな、と思っています。     (2018.12 記)

 

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「なつぞら」天陽くんの絵を見てきました-じーじの2019北海道の旅

2024年07月10日 | ひとり旅で考える

 2019年のブログです

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 「なつぞら」天陽くんのモデルになった画家・神田日勝さんの絵を見に、十勝に行ってきました。

 十勝の北部、鹿追町にある神田日勝記念美術館、その存在は以前から知っていましたが、「なつぞら」を見て日勝さんの生き様と作品に興味を持ちました。

 すごい絵が並びます。

 有名なのは「馬」の絵ですが(なんとべニア板がキャンバスです!)、わたしは風景画が気に入りました。

 畑や農作業、離農して朽ちた農家の廃屋などなど、小さな絵が多いですが、なかなか魅力的です。

 絵のことはあまり詳しくないのですが、力強さや静けさ、そして、美しさ、その中に、切なさや哀しさなどが混じっているようにわたしには思えました。

 北海道らしさに満ちたいい絵たちが並んでいました。

 たまにはいい絵を見て、こころを穏やかにするのもいいものです。

 太平洋戦争敗戦間近かに開拓に入って苦労をする天陽くんのドラマを観て、わたしは開高健さんの小説『ロビンソンの末裔』を思い出したりしたのですが、やはりこの開拓団と同時期の人々が神田日勝さんのご家族たちのようです。

 ただでさえ大変な開拓の作業の中で絵を描きつづけた日勝さんには脱帽です。

 小さな画集を購入したので、時々眺めては、穏やかさと勇気をもらいたいと思います。     (2019.7 記)

 

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