goo blog サービス終了のお知らせ 

ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングや原っぱカウンセリングなどをやっています

佐藤多佳子『明るい夜に出かけて』2019・新潮文庫-その2・深夜ラジオをめぐる青春物語です

2025年08月20日 | 小説を読む

 2023年9月のブログです

 2019年にブログを書いているのをすっかり忘れていて、また書いてしまいました。少しでも違った視点が出ていれば幸いです。

     *

 佐藤多佳子さんの『明るい夜に出かけて』(2019・新潮文庫)を再読する。   

 佐藤多佳子さんはご存じのように、『一瞬の風になれ』で2007年本屋大賞を受賞している実力派。

 じーじは映画にもなった『しゃべれども しゃべれども』も大好きだ。

 その佐藤さんが、深夜ラジオのリスナーの青春を描いた小説だ。

 青春といっても、しかし、主人公も周りの人間も少し変(?)。

 主人公は、女性恐怖症(?)の男子大学生で(じーじと同じ)、大学を留年し、コンビニでアルバイトをしている。

 バイト先の先輩や店長などとの生活がリアルに描写されて、とてもおもしろい。

 主人公は、深夜ラジオのファンで、投稿者でもある。

 しかし、昔、投稿をめぐって、傷つくという過去を持つ。

 そこに、ラジオのリスナー仲間がからみ、少し変わった青春物語が展開する。

 かなり変なことが、普通に理解できるような不思議な感じ。

 じーじは、早寝早起きなので、深夜ラジオの世界は全くわからないが、読んでいるとなかなか興味深い。

 新しい形の青春物語といったところだ。

 その中で、それぞれが悩み、少しだけおとなになる。

 本作は2017年に山本周五郎賞を受賞、難しいテーマを重層的に描いてるところが評価されたようだ。

 少し変わっているが(?)、現代の青年のひとつのあり方を描いた力作だと思う。      (2023.9 記)

 

コメント

3年ぶりにえぞゆきうさぎくんに会いました!-じーじの2021北海道の旅

2025年08月19日 | ひとり旅で考える

 2021年7月のブログです

     *

 朝、道の駅近くの公園の駐車場にタントくんをとめてぼーっとしていると、駐車場の入り口に黒い動物!

 犬かな?猫かな?と思って見ていると、なんか、ぴょん、ぴょん、しています。

 ぴょん、ぴょん?

 ぴょん、ぴょん、といえば、うさぎくん!

 そう、えぞゆきうさぎくんです。

 ゆきうさぎくんなのですが、夏なので真っ黒。

 3年前に会った時には茶色のゆきうさぎくんでしたが、今回は真っ黒くろすけくんです。

 駐車場の隣りが大きなとうもろこし畑なので、朝ごはんを食べにやってきたのかもしれません。

 じーじがなおもぼーっと見ていると、ゆきうさぎくんもじーっとしています。

 カウンセリングの時はしんぼう強いじーじですが、ふだんはどちらかというと短気なほうなので、じーじがタントくんから降りてみると、ゆきうさぎくんはあやしい気配を察知してか(?)、駐車場から動き出します。

 じーじもあとをついていくと、ゆきうさぎくんは道路でひなたぼっこをしています。

 じーじもひなたぼっこをしながら眺めていると、ゆきうさぎくんは近所のお宅の庭に隠れました。

 庭の中にゆきうさぎくんのおうちがあるのかもしれません。

 3年前に茶色のゆきうさぎくんと出会った場所からは200~300メートル離れたところ。

 同じゆきうさぎくんではなくて、たぶんご近所さんのゆきうさぎくんなのでしょう。

 ゆきうさぎくんの団地があるなんて(?)、いい町です、東川。     (2021.7 記)

     *

 2021年夏の追記です

 ぼーっとしていないと見えないものが世の中にはあるんですね。

 年寄りの特権ですね。     (2021.8 記)

    

コメント

佐藤多佳子『明るい夜に出かけて』2019・新潮文庫-その1・生きづらい大学男子の友情と恋愛を描く

2025年08月19日 | 小説を読む

 2019年8月のブログです

     *

 佐藤多佳子さんの『明るい夜に出かけて』(2019・新潮文庫)を読みました。

 この本も旭川の本屋さんで見つけました。

 面白かったです。

 佐藤さんは『しゃべれども しゃべれども』や『一瞬の風になれ』などの、名作と呼んでいい小説を書かれていますが、本作もなかなか力作です。

 主人公は大学を休学中の男子学生。

 人づきあいがあまり得意でなく、しかも、じーじと同じ女子恐怖症(?)で、生きづらそうです。

 それでも、コンビニのアルバイトをしているので、じーじより優秀(!)です。

 楽しみはラジオの深夜番組への投稿。

 こう書くと、ネクラとしかいいようがありませんが、そんな彼がバイト仲間やラジオ仲間との交遊の中で、少しずつ変わっていく姿が描かれます。

 登場人物がユニークで、魅力的。

 佐藤さんの温かな視線が光ります。

 もっとも、お話は全然、甘くはなく、冷徹(?)で、シビアな世界が展開します。

 おとなが読んでも、いろいろと考えさせられる深みのある小説です。

 読後感がすごくいい。

 旅先でいい小説と出会えて、幸せです。     (2019.8 記)

 

コメント

宮下奈都『窓の向こうのガーシュウィン』2015・集英社文庫ー不思議だけれど、力のある物語です

2025年08月18日 | 小説を読む

 2025年8月のブログです

     *

 宮下奈都さんの『窓の向こうのガーシュウィン』(2015・集英社文庫)を初めて読む。

 旭川の古本屋さんで目について購入。

 不思議な小説だ。

 あらすじはいつものように書かないが、未熟児で生まれて耳が少し不自由な少女が主人公。

 未熟児を保育器に入れない選択をした両親は、父は時々いなくなり、母は家事が苦手。

 少女は、しょうがないと、あきらめているが、嫌な言葉だが、毒親、と貶してもいい状況だろう。

 しかし、あきらめての結果とはいえ、両親を貶さないところが、一味違う物語の展開となる。

 少女はヘルパーとして、元教員らしき老人の家庭で仕事をして、その息子や孫(実は少女と同級生)とも交流ができる。

 不思議な交流で、あいまいさがあいまいのままに記されるが、下手に、早急に、言葉にせずに、あいまいさやわからないままを大切にしていることが尊重されているように思われる。

 こうした中で、記憶の書き換えが起こり、物語の変化が生じる。

 筆者はそのような精神分析の概念を意識していないようだが、起こっていることがらはそういうことであろう(こんなことを考えるのが、心理屋の悪いところだ)。

 しかし、理屈抜きに、いい物語だ。

 不思議だが、力のある物語だと思う。     (2025.  8記)

     *

 同月の追記です

 繰り返しになるが、シェイクスピアさん、キーツさんをひいて、あいまいさに耐えることの大切さを述べたのが精神分析家のビオンさん。

 同じくシェイクスピアさんのハムレットをひいて、わからないことに耐えることの大切さを述べたのが精神科医の中井久夫さん。

 お二人とも、早急に結論を出すことに慎重な姿勢を重視している点で共通していると思われる。   

コメント

土居健郎『甘え・病い・信仰』2001・創文社-甘え・うらみ・ねたみについて

2025年08月18日 | 精神療法に学ぶ

 たぶん2016年のブログです

     *

 土居健郎さんの『甘え・病い・信仰』(2001・創文社)を再読しました。 

 おそらく10年ぶりくらいだと思います。

 ずいぶんとご無沙汰してしまいました(土居さん、ごめんなさい)。

 今回読んでみてよかったのは、「甘え」と「うらみ」と「ねたみ」の関係がとてもよく理解できたことです(今ごろになってわかったのか、とあきれられそうですが…)。

 「うらみ」はじーじがずっと気になっているテーマの一つなのです。

 土居さんによれば、「甘え」が十分に満たされないと「うらみ」になるということで、「うらみ」のほかに、「すねる」「ひがむ」「ひねくれる」などという感情も「うらみ」に近いものだ、といいます。

 そして、これは、「甘え」が満たされない状態ではあるものの、いずれも「甘える」と「甘えられない」ということの間のどこかには位置するもののようです。

 一方、「ねたみ」ということは、「甘え」が全然ない状態で、憎しみだけでいっぱいの状態だと説明されます。

 こうなると「甘え」が通じにくく、その感情の解消にはかなりの心的作業を要することになりそうです。

 じーじなどは「うらみ」だけでもかなりてこずっていますが、さらに「ねたみ」という強敵がいることはまだまだ十分にはわかっていませんでした。

 いずれ、「ねたみ」の人との出会いもあるのだろうと思います(じつはもう会っているのかもしれませんが、気づけないでいるだけなのかもしれません)。

 少しでもいい援助ができるよう、今後も、さらに勉強を続けていきたいと思います。          (2016? 記)

     *

 2020年12月の追記です

 じーじが家裁調査官になった時、指導官のお一人だった山野保さんが、部屋のみなさんと一緒に「うらみ」の研究に取り組んでいらっしゃって、とても活発な議論がなされていたのを思い出します。

 新米だったじーじには、当時は、何が何だかわからない状態でしたが、貴重な思い出です。

 理論や研究は、やはり目の前の仕事にていねいに取り組むところから始まることを教わった気がします。         (2020. 12 記)

     *

 ゆうわファミリーカウンセリング新潟(じーじ臨床心理士・赤坂正人)のご紹介

 経歴 

 1954年、北海道函館市に生まれ、旭川市で育つ。

 1970年、旭川東高校に進学するも、1年で落ちこぼれる。 

 1973年、某四流私立大学文学部社会学科に入学。新聞配達をしながら、時々、大学に通うが、落ちこぼれる。 

 1977年、家庭裁判所調査官補採用試験に合格。浦和家庭裁判所、新潟家庭裁判所、同長岡支部、同新発田支部で司法臨床に従事するが、落ちこぼれる。

 1995年頃、家族療法学会や日本語臨床研究会、精神分析学会、遊戯療法学会などで学ぶ。 

 2014年、定年間近に放送大学大学院(臨床心理学プログラム・修士課程)を修了。 

 2017年、臨床心理士になり、個人開業をする。

 仕事  心理相談、カウンセリング、心理療法、家族療法、遊戯療法、メールカウンセリング、面会交流の援助などを研究しています。

 所属学会 精神分析学会、遊戯療法学会

 論文 「家庭裁判所における別れた親子の試行的面会」(2006・『臨床心理学』)、「家庭裁判所での別れた親子の試行的面会」(2011・『遊戯療法学研究』)ほか 

 住所  新潟市西区

 mail   yuwa0421family@gmail.com  

コメント (7)

北海道東川町のおじちゃんやおばちゃんがすごいです!-じーじの2018北海道の旅 

2025年08月17日 | ひとり旅で考える

 2018年7月のブログです

     *

 東川町にいます。

 朝夕、散歩をしています。

 散歩をしていると、町役場の壁に貼られた写真を熱心に眺めているおじちゃんやおばちゃん、おじいちゃんやおばあちゃんをよく見かけます。

 みなさんが熱心に見ておられるのは、今年の写真甲子園の北海道予選の写真。

 北海道内各地の高校生の力作が並んでいます。

 写真のことがあまりよくわからないじーじでも思わず立ち止まってしまうほどの力作ぞろいですが、東川町のみなさんも真剣にご覧になっています。

 すごいです。

 農作業姿のおじちゃんおじいちゃん、エプロン姿のおばちゃんやおばあちゃんが、普通の姿として高校生の写真を見ています。

 感動です。

 写真がこれほど日常的になっていることに、感激をします。

 今年もまた、この東川町で、全国から写真好きの高校生が集まって写真甲子園が開かれるのですが、それが普通の町民にすっかりと定着し、地に足のついたイベントになっているようです。

 さらには、東川の道の駅には、町民の写真クラブの展示会も開催されており、ここでも普通のおじちゃんやおばちゃん、おじいちゃん、おばあちゃんが町民の撮った写真を見ています。

 ひょっとすると、知人の写真もあるのかもしれませんが、熱心に見ておられます。

 それにしても、仕事や家事の合間に町役場の壁の写真を鑑賞するおじちゃんやおばちゃんがいる東川町はやはりいい町です。    (2018.7 記) 

コメント

土居健郎『「甘え」の思想』1995・弘文堂-悲しみをこころから悲しむことの大切さ

2025年08月17日 | 精神療法に学ぶ

 たぶん2015年ころのブログです

     * 

 このところ、土居健郎さんの精神分析の専門書ではなくて、一般読者向けの本を読み返していたのですが、いろいろなことを考えさせられました。

 有名な『「甘え」の構造』(1971・弘文堂)や『「甘え」雑稿』(1975・弘文堂)、『表と裏』(1985・弘文堂)、そして、本書などを読みました。

 それらの本の中で、例えば、「甘え」と「うらみ」、「ねたみ」などの関係が述べられていたり、また、秘密と自立の関係などの問題が考察されたりして、臨床的に重要な問題が提起されているように思いました。

 本書の中では、じーじは、さらに、ここのところ気になっている、悲しみをこころから悲しむこと、についてより深く考えさせられました。

 土居さんは、悲しみについて、悲しいのは愛するものを失うからだ、といいきります。

 そして、愛するものを失って悲しむ人はこころを病まないが、愛するものを失っても悲しめない人はこころを病むおそれが強い、といいます。

 さらに、「うらみ」や「悔み」が強い場合に、悲しむことができない、と指摘します。

 つまり、愛するものを失っても、なんらかの理由で、「うらみ」や「悔み」が強い時に、こころから悲しむことができずに、こころを病むおそれがある、ということだと思います。

 これらのことを考えていて、悲しみをこころから悲しむことというのは、本当に大切なことなのだなと、あらためて思いました。

 悲しみをこころから悲しみ、喜びをこころから喜び、楽しみをこころから楽しめるような、そんなこころの大きな人間になりたいな、とつくづく思いました。         (2015?記)

     *

 2020年12月の追記です

 別れの悲しみをこころから悲しむということは、精神分析でいう「喪」の作業です。

 考えてみれば、人生は出会いと別れの連続なわけで、別れを認められないとこころはたいへんなことになります。

 人生に不可欠な別れをこころから悲しみ、納得をすることがこころの成熟に大切なようです。         (2020.12 記)

     *

 2024年1月の追記です

 何度も繰り返しになりますが、諦める、という言葉は、仏教用語で、夏目漱石さんも指摘するように、明らかに見る、という意味がありますので、決して消極的な意味ではなく、人生への肯定的な意味あいがあることを確認したいと思います。         (2024.1 記)

     *     

 ゆうわファミリーカウンセリング新潟(じーじ臨床心理士・赤坂正人)のご紹介

 経歴 

 1954年、北海道函館市に生まれ、旭川市で育つ。

 1970年、旭川東高校に進学するも、1年で落ちこぼれる。 

 1973年、某四流私立大学文学部社会学科に入学。新聞配達をしながら、時々、大学に通うが、落ちこぼれる。 

 1977年、家庭裁判所調査官補採用試験に合格。浦和家庭裁判所、新潟家庭裁判所、同長岡支部、同新発田支部で司法臨床に従事するが、落ちこぼれる。

 1995年頃、家族療法学会や日本語臨床研究会、精神分析学会、遊戯療法学会などで学ぶ。 

 2014年、定年間近に放送大学大学院(臨床心理学プログラム・修士課程)を修了。 

 2017年、臨床心理士になり、個人開業をする。

 仕事  心理相談、カウンセリング、心理療法、家族療法、遊戯療法、メールカウンセリング、面会交流の援助などを研究しています。

 所属学会 精神分析学会、遊戯療法学会

 論文 「家庭裁判所における別れた親子の試行的面会」(2006・『臨床心理学』)、「家庭裁判所での別れた親子の試行的面会」(2011・『遊戯療法学研究』)ほか 

 住所  新潟市西区

 mail   yuwa0421family@gmail.com  

コメント (2)

2019羽衣音楽祭に行ってきました-じーじの2019北海道の旅

2025年08月16日 | ひとり旅で考える

 2019年8月のブログです

     *

 昨日は東川町であった2019羽衣音楽祭に行ってきました。

 もう23回目になるのだそうです。

 以前にもおじゃましたことがあるのですが、東川町にあるかなり広くて立派な羽衣公園で行われます。

 野外ステージのある公園、大きな池や山もあって、ふだんから子どもたちが元気に遊んでいる公園です。

 そこで行われるアマチュアバンドの音楽祭、12組のバンドが朝の10時半から5夕方5時半までの7時間、素敵な演奏を聴かせてくれます。

 ふだんはあまり音楽とは縁がないじーじですが、生演奏はやっぱり違います。

 聴いているうちにこころがゆるやかになってきて、ひさしぶりにお昼から生ビールをいただきます。

 酔いもあって、こころがさらに浮き立ちました。

 アマチュアバンドといっても、あちこちでライブをしていたり、CDを出している人たちもいて、レベルは高いです。

 英語での上手な歌に、会場にいたアメリカ人のかたが拍手をする光景も見られました。

 空は青空、白い雲、気持ちがいいです。

 とんぼやちょうちょ戯れながら、いい音楽を楽しみます。

 池のまわりでは子どもたちが走りまわり、笑顔で見守るおかあさんと、あぶないわよ!と叫ぶおかあさんで賑やか。

 至福のひとときでした。     (2019.8 記)

コメント

せきしろ『バスは北を進む』2019・幻冬舎文庫-北海道・道東での子どもの頃の思い出を綴る

2025年08月16日 | 北海道を読む

 2019年8月のブログです

     *

 せきしろさんの『バスは北を進む』(2019・幻冬舎文庫)を読みました。

 この本も旭川の本屋さんで見つけました。

 せきしろさんの本は初めてです。

 それにしても、せきしろ、って不思議なペンネームですね。本名なのかな?

 北海道の道東、それも網走やオホーツク沿岸地方での子どもの頃の思い出が淡々と綴られます。

 北海道の道北、旭川で子ども時代を過ごしたじーじにも同じような思い出があって、なんだか懐かしいです。

 本当に懐かしい。

 そして、なんとなく、温かいです。

 北海道は外は寒い日が多いのですが…。

 詩のような、こころがくつろぐ世界。

 ふるさとって、そういうものでしょうか。

 再び訪れると、風景はさびれているのですが…。

 さびれていても、ふるさとはふるさと。

 大切な存在。

 大切な思い出です。

 いいふるさとがあることは幸せなのかもしれません。      (2019.8 記)

 

コメント (2)

じーじは「終戦の日」という言葉がきらいです-じーじのじいじ日記・セレクト

2025年08月15日 | じいじ日記を書く

 2022年8月15日の日記です

     *

 今日は、「終戦の日」。

 しかし、じーじは、「終戦の日」という言葉がきらいだ。

 「終戦」ではなく、正しくは「敗戦」である。

 じーじの信頼する人々は、「敗戦」という正しい言葉を使う人が多い。

 「終戦」も「敗戦」もそんなに違わない、という意見もあるかもしれないが、事実は「敗戦」であった。

 連合国のポツダム宣言を受諾し、無条件降伏をしたわけである。

 軍国日本は瓦解した。

 どう考えても、「敗戦」である。

 しかし、自民党政府がお得意の、言葉の変更で、「敗戦」が「終戦」になっただけである。

 そのほうが、政府や自民党、そして、国民が受け入れやすかったのであろうと思う。

 しかしながら、事実から目をそらしていいけないと思う。

 事実を事実として、ありのままを歴史として記憶することが、本当の反省に繋がると思う。

 「敗戦」の反省を受けて、日本の人々は平和憲法を守ることとなったわけだ。

 「終戦」というきれいごとの言葉ではなく、「敗戦」という苦しい言葉をかみしめて、平和を希求することが、本当に大切なことではないかと思う。      (2022.8 記)

 

コメント (4)

朝の散歩で東川町の歴史を知る-じーじの2019北海道の旅

2025年08月15日 | ひとり旅で考える

 2019年8月のブログです

     *

 東川町にいます。

 毎朝、散歩をしていると、古い倉庫がたくさんあることに気づきます。

 レンガの壁には東川町農協とか東川村農協などと書かれていて、なかなか風情があります。

 小樽のようにうまく活用されたらいいのにな、と思っていたら、先日の写真フェスティバルの会場になったりして、素敵でした。

 今の中心街より少し外れたところに倉庫がいっぱいあって、なんとなく不思議に感じていたのですが、今朝の散歩の途中でひとつの石碑を見つけて、理由が判明しました。

 石碑を読むと、そこは旧旭川電気軌道という鉄道の東川駅の跡。

 そういえば、じーじが子どもの頃、旭川四条駅から東川まで電車が走っていたことを思い出しました。

 残念ながら50年くらい前に廃止になってしまったのですが、その東川駅の近くに倉庫があったようです。

 鉄道でお米なども運んだのでしょうか、

 電気鉄道というと、なんとなく客車のイメージしかなかったので、もし貨車があったとすれば、歴史好きのじーじとすると勉強不足です。反省、反省。

 あとで旭川や東川町の歴史の本で調べてみましょう。

 朝の散歩で、東川町の歴史にふれて、ちょっとインテリになった気分のじーじです。    (2019.8 記)

     *

 2022年夏の追記です

 その後、調べてみると、確かに、客車の後ろに貨車をつなげた写真を見つけました。

 人と一緒にお米なども運んだようです。

 この年になっても知らないことがいっぱいあって、もっともっと謙虚に勉強をしなければなりません。     (2022.7 記)

     *

 2022年夏のさらに追記です

 先日から東川の図書館で、なんと、東川の電車、という企画展が始まりました。

 その中に、貨車をつなげて走っている電車の動画があって、びっくり。動画は初めて見ました。

 貨車には、肥料や石炭を積んでいた、というナレーションがあって、勉強になります。

 すごい町ですね、東川は!     (2022.8 記)

コメント

大雪山旭岳ビジターセンターに行ってきました-じーじの2019北海道の旅

2025年08月14日 | ひとり旅で考える

 2019年7月のブログです

     *

 ここのところ、旭川も東川町も昼間は30℃を超える暑さが続き、暑さと寒さの両方に弱いじーじはぐったり。

 そこで涼しそうな旭岳のふもとに行ってみることにしました。

 去年、行った時には工事中だったビジターセンターを見てみたいという目的もありました。

 東川町の道の駅は朝なのにもう30℃近く、しかし、標高1000メートルに近い旭岳山麓まで行くとさすがに涼しく、半ズボンでは寒いくらい。

 とても快適です。生き返るような気分になりました。

 しかも、途中の道で、えぞしまりすくんときたきつねくんに遭遇。

 旭山動物園に行かなくても(?)、無料の動物園のようです。

 どちらもまだ小さくて、子どものようで、そのために交通ルールがわかっていないらしく(?)、道路の真ん中で遊んでいたので、あやうく交通事故になりそうでした。

 北海道に行くと、えぞしかさんに注意という交通標識はよく見るのですが、えぞしまりすくんやきたきつねくんに注意という標識はあまり見ないので、油断していたというか、しかし、予想外のプレゼントでした。

 ビジターセンターもとても立派できれいで、旭岳だけでなく、大雪山全体のことがよくわかるように展示されていました。

 涼しさだけでなく、自然の動物たちにも癒され、とてもいいひとときを過ごせました。     (2019.7 記)

コメント

藤沢周『界』2019・文春文庫-これまた不思議な小説たちです

2025年08月14日 | 小説を読む

 2019年8月のブログです

     *

 藤沢周さんの『界』(2019・文春文庫)を読みました。

 これも旭川の本屋さんで見つけました。

 藤沢さんの小説は初めて。

 新潟出身で、あの水島新司さんのマンガのモデルで有名になった新潟明訓高校卒業と聞いています。

 BSの「週刊ブックレビュー」や地元新潟のローカル番組でそのお姿はお見かけしていますが、なぜか小説はなかなか読めませんでした(藤沢さん、ごめんなさい)。

 そして、今回、新潟でなく北海道で、藤沢さんの『界』という不思議な小説を読むことになりました。面白いものですね。

 『界』は本当に不思議な短篇小説集です。

 解説の姜尚中さんが泉鏡花の『高野聖』に比していますが、確かにそんな雰囲気が漂います。

 50過ぎの中年おやじが、迷い、苛立ち、流されます。

 60過ぎのじーじも身につまされます。

 子どもの頃、おとなや親はどっしりしているもの、と思っていますが、そんなことはまったくありません。

 そんな情けない姿が正直に、しかし、生と性を見すえてじっくりと描かれます。

 そう、ここには生きている人間がしっかと書かれています。

 若い人たちには少しわかりにくいかもしれませんが、おとなの人間の一面が見事に描かれたいい小説だと思います。     (2019.8 記)

 

コメント

じーじ、朱鞠内湖(しゅまりないこ)でこころの美しい人々に感動する!-じーじの2018北海道の旅

2025年08月13日 | ひとり旅で考える

 2018年8月のブログです

     *

 昨日の東川の天気予報は曇りのち雨、しかし、朝から雨でした。

 それで曇り空を求めて、今回の旅2回目の北への旅をしました。

 前回は目的地は設定せずに、しかし、結果的に、美深の町まで行って、村上春樹さんの『羊をめぐる冒険』をめぐる旅(ややこしいですね)をしました。

 しかし、今回は違います。朱鞠内湖(しゅまりないこ)。じーじには似合わない美しい響きの湖です。 

 たまたま何日か前の北海道新聞で朱鞠内湖の記事を読み、戦争中にできた人工湖と知って興味があったところに、同じ日、宮下奈都さんの短編集『遠くの声に耳を澄ませて』(2012、新潮文庫)を読んでいたら、やはり朱鞠内湖を舞台にした小説が出てきて、その中で、何もないところ、と書かれていて、こころが動きました。

 こういう偶然は時々あることですが、やはりユングを尊敬するじーじとしては、この天の声を大切にしようと思いました。

 ということで、愛車タントくんに乗って出発、なんと隣りの比布町に入ると雨も上がりました。

 快調なドライブで塩狩峠を越え、剣淵町、士別市に入り、ここから国道40号線と別れて、幌加内に向かいます。

 幌加内はお蕎麦で有名な町で、道の両側は蕎麦畑とじゃがいも畑。

 どちらも白い花をつけますので、白いじゅうたんのような畑が続き、夢のような景色です。

 1時間ほど走って、朱鞠内の集落。

 昔、ここまで鉄道が伸びていたということで、びっくりします。

 間もなく、朱鞠内湖に到着。

 今の朱鞠内湖は、何もないところ、ではなくて、湖畔に遊覧船やモーターボート、貸しボートがありました。

 しかし、人は少なく、喧騒からはほど遠く、静かな、美しい湖でした。

 森林と湖水と空が綺麗で、「美」に疎いじーじでも感動します。

 まるで東山魁夷の絵のようだと思いました。

 しばらく、静かで、美しい景色を堪能し、お昼のパンを食べて、帰ることにしました。

 と、ここでアクシデント発生、なんと財布をどこかに落としてしまいました。

 車の中や歩いたところを探しますが、見つかりません。

 しかたなく、恥ずかしさをしのんで、貸しボート屋さんに、財布の落とし物が届いていませんか?とお聞きすると、なんと拾った人が届けてくれたので、案内所に預けたとのこと。

 お礼をいって、案内所に行くと、困っているかもしれないと思ってすぐに駐在所に届けに行ったということ。

 恐縮をしていると、届けに行った職員さんと連絡を取ってくれて、まだ届け出前なので駐在所の前で待っていてくれるという。

 すぐに急行し、駐在所のところで、職員さんに免許証を提示して本人確認、無事、財布が戻ってきました。

 善意の素早いリレーのおかげてありがたいことに財布が戻りましたが、考えてみれば、こんな奇跡のようなことはおそらく都会などでは考えられないことで、財布を拾って届けてくださった方をはじめ、ボート屋さんのご夫婦、案内所のおじさん、駐在所まで届けに行ってくださった美人の職員さん、みなさんに本当に感謝です。

 朱鞠内の人たちは、こころも美しい人たちでした。     (2018.8 記)

コメント (2)

椎名誠『おれたちを齧(かじ)るな-わしらは怪しい雑魚釣り隊』2022・小学館文庫

2025年08月13日 | 随筆を読む

 2022年7月のブログです

     *

 シーナさんの『おれたちを齧(かじ)るな-わしらは怪しい雑魚釣り隊』(2022・小学館文庫)を読む。

 この本も夏休みにゆっくり読もうと楽しみにしていた本。

 旭川の本屋さんで購入。

 大人気シリーズ第7弾、とあって、文庫本はだいたい読んでいるつもりだったが、もうそんなに出ているんだ、と改めてびっくりする。

 本の帯に、ブリだってボラだって出世するのに、どうしておれたちはいつまでも賢くならないのだろうか…、とあるが、シーナさんとその仲間たちの釣りとキャンプとお酒の旅はいつ読んでもおかしい。

 みんな社会人としてはなかなかの仕事をしている人たちばかりだが、シーナさんと遊ぶ時には子どものように無邪気になるところが面白い。

 たとえば、海仁さん。

 シーナさんが昔、初めて小笠原に旅行をした時に、編集者として同行した若者。

 酒を呑まず、笑わせるのに苦労するという真面目で博学な編集者だが、その後、怪しい雑魚釣り隊に加入、エースとして活躍する。

 ところが、大物を釣りあげると興奮をして怪我を頻発するという癖があることが判明、そういう次第を綴るシーナさんの筆が優しい。

 そして、ドレイのみなさん。

 今の世にドレイ(?)が存在するというところに、この集団の特異さと面白さがある。

 下手をするとユーモアを解さない人たちに非難されかねない前近代的制度だが、このドレイのみなさんたちへのシーナさんのさり気ない優しさがまたいい。

 毎回、同じようなできごとが続くが、しかし、変化も確かにあり、ここら辺がこのシリーズの魅力なのかもしれない。

 どこを読んでも決して飽きない面白さがあるというのは、やはりシーナさんの才能なのだろうと思う。

 電車の中で読むには少し危険な本だが、ずっと続いていってほしいと思う。      (2022.7 記)

 

コメント