ココロの居場所

平穏な居場所を求めるべく、日々、感じた事を掲載していきます。

学問で人生を切り開くとは、福沢諭吉、学問のすすめ

2011-07-18 23:30:21 | テレビ番組
時代は、幕末から明治にかけて、福沢諭吉と言えば、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」が有名ですが、著書「学問のすすめ」では、この言葉の後に「といえり」と書かれているとのことです。これは、アメリカの独立宣言を意訳したものだったのですね。   「福沢が執筆を始めた明治5年は廃藩置県の翌年。全国で200万人の武士が一斉に“失業者”となった社会で、福沢が切り札と考えたのが「学問」、特に『人間普通日用に近き実学』だった。全編に流れる「学問」への信頼と敬意から、福沢の目指した理想を読み解く。」(「100分で名著」より引用)    37歳にして「学問のすすめ」書いた福沢諭吉、当時は今でいうベストセラーで、多くの人々が共感し、東京に学問を習得しようと集まったそうです。以下、列記します。

「本を読むことだけが学問を行うことではない。実生活のあらゆる場面に学問のチャンスはある。」

ベストセラーとなった背景。
・廃藩置県(200万人の失業者がでた。)
・植民地下の危機(一人ひとりがしっかりしなくてはだめだという意識。)

「もっぱら、勤むべきは、人間普通日用に近き実学なり。」
 →実生活にこそ、学びの場がある。 →飯を炊き、風呂を沸かすのも学問である。
 →さまざまな工夫していくこと。

100分で名著
http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/04_fukuzawaukichi/index.html#box01

遠くの君に、届くはずもない想いを叫ぶ。

2011-07-18 23:17:43 | ココロ
ひと仕事した後の帰り道に、急に、ポタ、ポタと、大粒の雨が降りだす。
夏の雨は、濡れるのも、痛く心地よく、至らなかった想いばかりを、
その想いを、心の中から洗い流して欲しいと祈る。
そして、濡れながら、神社の横道にさしかかった時。
神社の周囲の樹木の枝葉が重なり会って、サワ、サワと空の先で音をたてる。
その時、あの頃の色あせた郷愁にかられ、危うく、めまいがしそうになる。