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中間玲子のブログ

仕事のこととか日々のこととか…更新怠りがちですがボチボチと。

ネガティブさに向き合うとは

2011-11-14 11:52:40 | 授業日記
過日の「幸せに生きるための心理学」の報告で、
「ネガティブさに向き合うことについてはまた書きます」と
書いたまま、ほったらかしてしまっていました。

ネガティブさに向き合うというのは、
まず、自分のネガティブさに気づく、認める、
ということから始まります。

でも、それで終わりではありません。

そこからどんな感情がわいてくるか。
悲しさや口惜しさ、憂鬱さなどが感じられるならば、
それをもたらしているものは何か?
・何に(どんな出来事に)対して?
・それは自分にとってどんな意味がある(あった)?

時には
・それは悲しむべきことだろうか?
も考えたりしながら、

結局自分は
・何を求めて?
・どうありたいのか?
・どうするか
を探っていく、ということです。

ネガティブな感情について
「どうしてこうなってしまったんだろう」という問いは、
本来、建設的な答えにつながるものなのですが、
多くの場合、その問いにちゃんと答える前に
「そういえばあんなこともあった」とか、
「またそうなったらどうしよう」など、
ネガティブな感情を増幅させるような思考を
反芻していってしまう。

この時、人は、ネガティブな感情に覆われ、それを感じているのだから
向き合っているように見えるのですが、
本当はちゃんと問いに答えていません。

そのような思考に対しては「反芻」ではなく「反論」を行い、
自分をネガティブスパイラルにもたらしている思考に対して
「ホントに?」「どうして?」ときちんと問うと、
その暗い淵から、自分の歩むべき道が
次第にほの白く見えてくる・・・

というのが、ネガティブさに向き合う、ということなのです。

こういうのはなかなか書くのが難しいですね。
事例を出さないと伝わらないだろうなと思いながら
事例を出さずに書いてしまいました・・・
伝わりましたでしょうか。

「幸せに生きるための心理学」

2011-11-02 19:22:08 | 授業日記
早いものでもう11月ですか・・・
月日のはやさに呆然としますが、皆様お元気でしょうか。

さて、10月には2回、標記タイトルでの講演がありました。
いずれも兵庫県で、加西市、豊岡市の2箇所で行いました。

どちらも保護者向けのものですが、
1回目は、割と小さいお子さんのお母さま方が対象、
2回目は、中学生くらいのお子さんをもつ父母の方が対象、
ということで、ちょっと内容に違いはありましたが、
だいたい同じことを話させていただきました。

話の内容としては、
1.日々の幸せは、自覚したり満喫しようと意識することで味わえる
2.その日々の積み重ねが、人生になる

ただし、
1.幸せに生きることは、快楽を求めることではない
2.ネガティブさに向き合ってこそ幸せな人生がある
といったことをお話ししています。

私は、「ポジティブ信奉」という概念を打ち立てて、
前向きになりましょう運動には無条件に参加しない立場ですので
単純に、「前向きな気持ちになれば幸せになれるよ」
などという気はさらさらありません。
でも、そういう気持ちでいる方が、実際に動ける。
動くことで、幸せな現実を作ることができる、
という観点で、前向きな気持ちになることや
幸せを日々味わうことの大事さをお伝えしています。

また、幸せは快楽を伴うとは限らないこと、
はたからみたらものすごく苦しそうなこと、
本人も、ものすごく口惜しかったり悲しかったりしていること、
でも、それがものすごい幸せなことであることもある。

とはいえ、昔の賢人のように、幸せだと思っていけないとは
考えていません。
やはり、幸せだからこそ、
あるいは、自分が幸せだと思うからこそ、
がんばれることがある。
でも、その中で、しっかりと、自分のネガティブさに
向き合わないといけないこともある。

そういうことを、心理学の研究結果や
チェックシートなどを用いてお話しさせていただきました。

子育て真っ最中の方々は、子育てに関することを
聞きたいと思ったかも知れませんが、
でも、まずは大人が、幸せに生きる姿を見せることが
とても大事であると考えています。

もちろん、子どもを引き受ける、責任をとる、など、
子どもとは違った立場に置かれ、向き合うべき課題も違う。
その責任を放棄して自分の幸せを追求しようといっている
わけでは決してありません。
でも、親であっても、まだまだ人生のある身。
次世代を育てながらやはり人生を生きる主体であることに
変わりはないはずです。
そんな大人達が、子どもたちにとって魅力的に映ること、
早く大人になりたいと思わせる大人がどんどん増えていくこと、
それは、これから大人になる子どもにとっても
大事な意味があるんじゃないでしょうか。
忌野清志郎さんの言葉から強くインスパイアされたのですが、
心理学的にも非常に大事なことを言い当てていると思います。

そういう趣旨で、ちょっと自分のことを考えていただく
時間にしていました。

最近は自分ではもうアンケートはとっていないのですが、
主催者の方が送ってくださったアンケートでは、
98%の方が、「満足」or「ほぼ満足」と答えてくださっていて、
皆様、とても熱心に聞き入ってくださっていたのだなあと、
とてもありがたい気持ちになりました。
また、こちらが伝えたいことを
しっかりと受け止めてくださったことも伝わり、
とても嬉しく思いました。

加西市の方では、ここで書いたようなこと、
特に、「ネガティブさに向き合う」ということを
時間が足りなくてほとんどお話できませんでしたので、
その辺りのフォローは、また書いていきたいと思います。

担当の方々、参加してくださった方々、
お世話になりました。
ありがとうございました。

知能指数・・・1300!!

2011-10-17 17:24:18 | 授業日記
今日からオムニバス担当になった授業で
「知能」のことを扱っています。

「知能」「知能指数」という言葉を始めて知ったのは・・・

小学校の頃、大~~~好きで夢中になっていた
NHKの人形劇『プリンプリン物語』での
「ルチ将軍」との衝撃的な出会いでした。

ルチ将軍の決めゼリフは「知能指数・1300!!」

ぼわんと伸びた後頭部に、1300の文字が浮かんでいたのを
覚えています。

色んな意味で怖かったですが、「知能指数1300」というのも
言いしれぬ怖さを感じたように思います。

(小学生の頃、後頭部が大きい人は頭が良いと思い込んでいたのは
 きっとルチ将軍の影響だろうなあ・・・)

記憶を確かめるために、ルチ将軍について調べてみました。

こんな詳しいサイトがあり、

トラウマ指数ナンバーワン!」という見出しに大笑いしました。

ルチ将軍は、「アクタ共和国」の支配者(独裁者)です。

アクタ共和国の国歌はこんな感じです。
こちらのサイトより。他の国歌も興味深いものばかり!)

  世界で一番優れた民族  アクタ アクタ 共和国
  命令絶対規則はいっぱい アクタ アクタ 共和国


アクタ共和国には、
「ルチ将軍に投票したいものは投票しなくていい」
「無投票はルチ将軍に投票したとみなす」
「ルチ将軍以外に投票するものは投票箱を自分で用意すること」
「ただしそんなことをしたら死刑」
というめちゃくちゃな選挙4原則があり、
ルチ将軍の強力な独裁体制が確立しているという設定だったようです。
こちらより

ひどい国です。
プリンプリンはルチ将軍の独裁に反対して選挙に立候補し、
「空き缶ノーポイ運動」なるものを展開していました。
その辺りは、ルチ将軍の記憶と共にはっきりと覚えています。

(ルチ将軍および側近の軍人たちは
 いつも「アクタラジュース」というものを飲んでは
 空き缶をポイポイ投げ捨てていたのです)

では、ルチ将軍が登場し、名言「知能指数1300」を宣言し、
アクタ共和国の国歌が斉唱されるシーン
を御覧ください。

プリンプリン物語、大好きでした!
30年あまりの年月を経ての思いがけぬ再会!
興奮が冷めません。

『子どもと保護者によりそう心』

2011-10-02 14:36:28 | 授業日記
9月29日、兵庫県立子どもの館というところで、
標記のタイトルでカウンセリング・マインドに関する
講習会をしてきました。

これから数回実施される講座の第一日目だそうで
大枠というか、基本のきを理解してもらうことを目的に
準備をしていきました。
(講座全体についての案内はこちら

午前中2時間、午後2時間の計4時間でしたので、
4コマに分けて
・コミュニケーションについて
・傾聴
・考えが対立するとき
・カウンセリングマインド
という構成で、ワークを中心にしながら
・コミュニケーションで実際にやりとりされていることは
思っていることと違うこと
・傾聴は相手の枠組みに立って相手の世界を理解するために必要であること、
 また、伝える必要があること
・考えが対立したときに意見を主張することの大切さとそれを邪魔するもの
・相手と向き合うときには自分の人間観が影響すること

をお話しました。

最後、時間がなくて、サドンデス
という感じになってしまいましたが…

ワークなどには皆さんワイワイと取り組んでくださって
意見を聞いたりするのがとても楽しかったです

いかなるやりとりも人間同士であり、
カウンセリングマインドで関わるとしても
人間同士のかかわりあい。
関わる自分もやはり人間。

その辺りが伝わっていれば幸いです

これから続けて講座を受けられる方も多いかと思います。
私には講義できない内容も他の専門家の方が講義されるようです。
ぜひ日常の中で生かしていってください
ありがとうございました。

自尊感情の心理学

2011-09-21 18:55:27 | 授業日記
もう一ヶ月以上前になってしまいましたが、
8月10日(水)に、兵庫県多可町というところで
『自尊感情の心理学』というタイトルで講演をしてきました。
兵庫教育大学と多可町との連携講座というものだそうで、
多可町の人と、大学の学生さんは誰でも参加できるというものでした。
結果として150名くらい参加してくださってたようです。

自尊感情のしくみや、それがなぜ大事なのか、
なぜ高く持つことができないのか、といったことについて
画像をふんだんに用いてお話してきました。
特に、最後に、「おさらいです」ということで
『いい奴じゃん』からの抜粋をし、
その場面にどんな意味があるかの解説をしたりして、
自分としては非常に満足のいく出来映えでした。

ただ、評価はあまりよくなくて、5点満点中3.7点。
(事務で統一された聞き方だったので、満足度ではなく
 「期待通りのものでしたか」という聞き方だったのですが
 だいたい満足度を反映しているかな?)

半数以上の方が4点以上をつけてくれていたのですが、
低い評価の方は「もう少し具体的にどうすればいいか教えて欲しい」と
書かれていて、
あれ以上、どう具体的にしたらよいのだろう?と
戸惑っていました。

昨日、丹波市立青垣中学校というところで、
先生方対象に同様のタイトルで講演をしてきました。
ただし、先生方が対象であることと
「自尊感情を高め、自己肯定感を育てる指導」という副題を
指定されていたことのため、
珠玉のパートであった『いい奴じゃん』は外し、
ちょっと説明を増やしたり、対応例などを入れたりしました。

途中、「ああ、やはり文字が多すぎたかな・・・」と
密かに反省しつつも、
とてもサポーティブな先生方のおかげで
講演自体はなんとか無事に終わったのですが、
話し終えた後、やはり独特の、「わかるけど、でも、どうしたら?」
といった空気が流れてしまいました。

で、昨日はそこから、司会の先生が話題を具体的な事例へとうつされ、
今、どのようなことに悩み、どのように対応しているのか、
ということを先生方が色々発言してくださったので、
それをもとに検討することができたわけです。
その後、その続き、そして、他の生徒の話などについても、
校長先生・教頭先生と色々とお話することができました。

そういったやりとりをした後で、色々と考え、
気づいたことがありました。

私は、まずは、
「はたらきけかけても自尊感情が高まらない事態を
どう理解すればよいのか」
について話さなければならないのではないか、
ということです。

自尊感情が低い子を、高い状態にするには時間がかかる。
長い目で変化を信じて、という姿勢が必要になる。
まずは、このことをしっかりと知ってもらう必要がある。

こちらを御覧ください。


こういう話題の時にイメージされている自尊感情は、
この水面下の「自己概念」や「性格」に関するものだと
理解してよいでしょう。

土台となるものであり、変わりにくいものなのです。

そして、問題となるのは、
「高い・低い」ではなく、
「しっかりと育ったものであるか」ということになります。

そもそも、自尊感情は、調査できるレベルの話でも、
「高い・低い」だけではなく、「安定・不安定」ということも
問題とされます。
当然ながら「高く安定」した状態がもっとも本人は
生きやすい状態にあるわけですが、
「低い」状態から「高く安定」に至るには、
相当な時間(経験の積み重ね)が必要となります。

「自尊感情を高める」という言葉が流布しているけれども、
なかなかそれはハードルが高く、時間がかかること。
それをまず本当に理解して、「なかなか高まらない」ことに
焦らないこと、見捨てないことが大事なのだと思います。

また、自分を肯定できないことや前向きになれないこと
そうならざるをえない心については
特に肯定も否定もせずそのまま受け止め、
でも、自分を肯定できることや前向きになることの
価値は教える。
そういったはたらきかけが必要であろうと思います。

もちろんそれだけではダメで、じゃあどうすればいいか、
つまり、その価値へのハシゴをどうかけるか、ということについて、
共に考えたり支援したりということも必要になるでしょう。
その際は、その子が既にもっている資源を中心に考えること、
新しい資源を作ろうと頑張るよりは、
今ある資源をさらに広げようとすることが大事になります。

ところで、人が生きるということを考えた時、
自尊感情を高めることは決して直接の目的にはなりません。
生きやすくなるので、自尊感情が高いに越したことはない
といったレベルの話で。
もちろん、生きるための心理的支えとなるということで
とても大事なものではあります。
でも、それは、生きていく中で培われていくものでもあり、
自尊感情が高かろうと低かろうと、
今を生きるために何が必要か、どのような励ましが大事か。
さらに、その今が未来につながるために何が大事になるか。
その辺りの混沌につきあってあげることが大切であり、
それが、逆説的ではありますが、
自尊感情を育てることになるのではないかと思うのです。

・・・とここまで考えると、
結構これくらいは先生方はすでに分かって実行されている方も
少なくないのではないか?
「自尊感情」という言葉を使うから
かえって見えなくなっているだけなのではないか?
という気にもなってきました。

その言葉を使わなければ、どのようなことが分かっていて
どのようなことが分かっていないのか、
かえって見えてくるのではないかと・・・

そんなことも思っているところです。

この気づきが正しいのかどうか、
現場の先生方にご意見をうかがいながら
また、自分の実践活動の中で、考えたいと思います。

ですが、青垣中学校の先生、
色々なヒントを与えてくださいまして、
ありがとうございました。

夏休み直前ゼミ2011

2011-08-12 18:24:56 | 授業日記
去る8月5日、夏休み直前ゼミということで、
3回生~M2までの合同ゼミを行いました。
(於:神戸サテライトキャンパス

集中講義や教採セミナーなどの都合で
全員参加というわけにはいきませんでしたが、
なかまゼミ11名中9名参加の合同ゼミでした。

細かい内容についての議論は、日常のゼミで行うので、
合同ゼミの目的は、情報交換&意見交換に尽きます。
そのために、各自、A4判1枚程度で
次の内容を盛り込んだレジュメを用意してもらい、
発表してもらいました。

★M1&3回生用:
1.現時点での問題意識
a.こんなことを調べてみたい
b.なぜそれを知りたいと思ったか
c.それがわかったら、皆にとってどんないいことがあるか
d.そのために今までにやってきたこと(あれば)
e.これまでにボツになった問題意識たち(あれば)
f.今、困っていること、皆に聴きたいことなど
2.夏休みの研究計画:この夏休みに、読もうと思っている本、論文など。
3.研究以外での夏休みの計画
4.夏に向けて一言

★M2&4回生用:
1.現時点での問題意識
a.取り組んでいる研究テーマ
b.なぜそれを知りたいと思ったか
c.それがわかったら、皆にとってどんないいことがあるか
d.現時点での進行状況
e.これまでの苦労(M1&3回生へのアドバイスもかねて)
2.夏休みの研究計画
3.研究・教採以外での夏休みの計画
4.夏に向けて一言

言うまでもなく、1&2がメインです。
各自20分ずつの持ち時間で、発表&質疑などを行います。

15時~18時半の予定で、適当にブレイクも入れながら
M2からは今日に至るまでの苦労と共に今後の意気込みが語られ、
3回生からは、今つまずいている悩みが出され、と
合同ゼミならではのやりとりが展開しつつ、
それぞれの発表が順調に進んでいってたのですが…

M1の2名の発表を残した18時前…

サテライトの事務の方からのまさかの通達。

「サテライトキャンパスは6時までです…」

なにーーーー

ああ、ぬかりました
私ったらなんてツメがあまい…

皆に、ごめんねごめんねーーーと言いながら
神戸サテライトキャンパスを後にし、
さて、どうしよう?と。

飲み会は19時からですので、向かうには早過ぎるし。

しかし、神戸サテライトは、港町スポット。
せっかくなので、青空ゼミしちゃいましょう

というわけで、港の方に歩いていくと、
ナイスなスポットがあるではありませんか。



ちょうど円くなって座れるような配置で
石が並んで置かれてあります。
さっそくそこでゼミ続行です。

逆方向からの景色はこんな感じ↓


ところが…

残念なことに、青空ゼミも長くは続かず
曇り空ゼミになり、そして、小雨ゼミになり

「無理ですね。移動しましょう

残り1名の発表を残した状態で、再び彷徨う民となった私たち。

向かったのは近くのショッピングモールにあるフードコート。



マックのポテトが鼻孔をくすぐる中、
最後の1名の発表を、なんとかやり遂げたのでした。

わははは。
やるといったらやりますよ、ゼミ
(でも、落ち着いてできなくてごめんなさい

その後は、沖縄料理の店で前期の打ち上げを行いました。

幹事Mさんの指令により、各自持参した「沖縄っぽいもの」
(星砂、貝のアクセサリー、シーサー、アグー豚っぽいグッズ(?)、
 沖縄で買った麦わら帽子(50円だったそうな)、
 沖縄っぽいアクセや洋服、指ハブ など)
のお披露目会、
言い出しっぺなのにグッズは持参しなかったMさんによる
ウチナーグチ講座(プリント配付あり)、
「沖縄っぽいもの持参」という指令自体に
気づいていなかったF君による手品(?)の披露といった
催しもあり。
夏休み直前ゼミ&前期打ち上げは
なかなかに充実したものとなったのでした。

さて、ゼミ生の皆、夏休みに卒論or修論課題、取り組んでね
そのための所信表明の会でもあるのだからー
夏休み明け、楽しみにしてるー、うふふ

アイデンティティのこと

2011-08-11 14:26:22 | 授業日記
7月後半以降、更新を怠りがちですが、
その間、色々な行事がありました。
それについても、続々アップしていきます

今日は、前期授業のレポート読破の日です。

最近、ようやくホームページの方を更新しまして、
今更、2011年度の時間割とゼミ生について情報を加えたところです。
時間割から、前期に私がどのような授業に関わったかは
御覧頂けると思います。

それぞれの授業でレポート課題があるのですが、
私の授業ですから、だいたい、
「アイデンティティ」、「生き方」、「自分探し」などが
課題になってきます。
なのでもともと、私にとっては読みたいと思う内容が
レポートとして提出されることが多いです。

読んでいると、
こんな風に考えているんだ、ということを知って、
ほのぼの思ったり、不思議に思ったり、少し切なくなったり、
そして、その書き方、考えのまとめ方に勉強させられたり。
あるいは、考え方を知ることで、こちらの考えも深まったり。
読み応えのあるレポートは、読んでいて楽しいですし、
刺激を受けます。

その中で、こんなことを書いておられた方が
いらっしゃいました。

今、再び「アイデンテイティ 対 アイデンティティ拡散」に
いるのかもしれない、でも、青年期のそれとは違う、という流れで

「「今だからわかる」、
 そう感じられる年齢になるまで生きられたこと、
 今ここにこうして、日々の幸せを感じながら
 生きていられることを本当に有り難く思います」

じーん。。。
きっと色々なことを経験なさったんだろうな、
その渦中では、苦しさや混乱に溺れかけたこともあったんだろうな、
それでもなんとか生き延びて、気づけば、
なんとか心穏やかに生きられるようになっていた、
今でも色々な迷いはあるけれども、
それでも、幸せを感じながら生きていけている、
そんな自分になれた喜び、
そこまで生きてこられたことへの喜び、
そしてそんな自分だからこそ感じることのできる幸せを
日々をかみしめている感じが、なんだか伝わってきました。

・・・妄想でしょうか。

いいえ、誰でも。
(・・・ちょっと古かったでしょうか、by ACです。)

でも、そんなイメージが瞬間、わきあがってしまいました。

青年心理学の授業では、
ものすごく悩んでいる時は
それがずっと続くように思える(=時間的展望の拡散)
それでも、時間が経つと、色々なことが変わる、
という話をします。
その渦中にいる時は、
その苦しみが終わるなんて考えられないようなことでも、
とにかく生きていさえすれば、
ちょっとハードルを上げるならば、
とにかく生きていこうとしていさえすれば、
生きていった先に、
ちょっと彩りの違う世界が見えてくるのです。

生きておられることを喜んでおられるすべての方に、
改めて、そのことは、言祝ぐべきことですよと
お伝えしたいなと感じました

『教育コミュニケーション論』

2011-08-04 12:47:42 | 授業日記
2010年3月に、教育コミュニケーションコース
社会学の先生であられた杉尾宏先生が退官されました。

それを機に、コース看板授業である
「教育コミュニケーション論」のテキストを作ろう!
ということになりました。

退官記念の本としてではなく、大学院の授業のテキストに
耐えうるものを作ろう!ということで、
当時の教員たち6名
(杉尾先生、安部先生、渡邊先生、宮元先生、大関先生、私)
が、その授業で論じていることをそれぞれまとめました。

それがこの度、ようやく出版の運びとなりました。

コースのホームページでも
紹介させていただいています。



個人的には、このカバーデザインが大変気に入っています。
暑い季節にぴったりの涼しげなデザイン。
手に取ったときの感触もよい感じの紙質で、
ソフトカバーのよい作りになっています。

というわけで、来年度からは、前期授業「教育コミュニケーション論」で
このテキストを使うことができます♪

目次は以下のとおり:
序章 近代学校の権力構造とコミュニケーション(杉尾宏先生・社会学)
一章 日常的行為としての教育コミュニケーション(中間玲子・心理学)
二章 対話としての教育(大関達也先生・哲学)
三章 教育コミュニケーションの規定要因としての時間割(渡邊隆信先生・西洋史)
四章 教室という場におけるコミュニケーション(宮元博章先生・心理学)
五章 日本的コミュニケーションの特質と様相(安部崇慶先生・日本史)
終章 「言語ゲーム」としての教育コミュニケーション(杉尾宏先生・社会学)

うちのコースの教員構成が、社会学、歴史、哲学、心理学、と(当時)
学問領域ばらばらなので、かなり多彩な議論になっています。

執筆の際には、
それぞれテーマをはずれていないか、
全体としてのまとまりが損なわれないか、はチェックされましたが、
互いの学問領域を尊重してか、
かなり好き勝手に書かせてもらった印象があります。

自分の部分について言うと、
担当章タイトルは「日常的行為としての教育コミュニケーション」。
・教育というのは、学校に限らないということ、日常生活の
 色々な場面で教育行為を指摘することができること
・教育においては、いずれか一方だけが変わるということはあり得ない、
 教える側も実は教えられているということ
が論旨です。
心理学的知識のおまけとして、
ロジャーズが非指示的療法を打ち出した際に行った、
それまでの療法の相対化の作業についてのまとめもあります。

というわけで、興味のある方は是非お買い求めください。

奈良ツアー(2)

2011-08-03 20:04:39 | 授業日記
更新を怠っている内に、
長らく出張していて、すでに8月に・・・

奈良ツアーの続篇です。

さて、この「奈良ツアー」、
カテゴリーが「授業日記」になっています。

そう、この「奈良ツアー」は、単なる観光旅行ではないのです。

メインは、天川村のお祭りでした。

奈良県で開かれるお祭りは、これのみならず、
12月の春日大社「若宮御祭」、2月の東大寺「お水取り」など、
本当に「神事」としての祭りが少なくありません。

観光客もいますが、その人達を楽しませる、ということよりも、
ただただ、神に対する儀式として、祭りが進みます。

それを眺めていると、
古来からの人の神への対し方、
そして、そこにいかなる作法が形式化されてきたか、
などが垣間見えて、非常に興味深いのです。
人の心や願い、自然の中でそれを畏れながら生きてきた人間の心へ
思いを馳せることは当然ながら、
何が畏れられ、何がタブー視されたか、そこで何が慣習となったかなど、
慣習の形成過程にも思考は拡がります。

言葉にしようとすると、「なんか・・・すごいなあ」
ということでしか表現できないのですが。
でも、そこから、日常における「当たり前」というものを
少し対象化できるような境地になるのです。

なので、祭りへの参加は、授業日記になるのです。

さて。

メインの天川のお祭りは、宵祭りから参加しました。



この五十鈴が天川の象徴だそうな。。。

宵祭りでは、
祝詞、神楽、玉串奉納、そして、参加者全員での般若心経。
粛々と進みました。

翌日は、山伏たちが行列をなし、ホラ貝の大きな音と共に
なにやら儀式が始まり、言葉を奉納し、護摩を焚き・・・

その煙がもくもくと神社境内を覆い尽くしたお昼過ぎ、
奉納としての「神事能」が始まりました。

この舞台がすごいのです。
山を上ったところにある舞台では、
その背後は山の緑。
宵祭りの神楽の時はただただ闇なのですが、
お昼に奉納されるこの神事能は、
背後の緑が、演出効果を発揮していて、
そこで演じられる能を見るのは、
通常以上に非現実の世界へと誘ってくれます。
途中、睡魔が襲い、はっと目が覚めるのも
またその不思議な感覚を味わわせてくれる・・・

演目は「葛城」というもので、山伏を題材にしたものです。
終わった瞬間、偶然さっと風が吹き、
まさに「幕」が引かれた感じがしました。

その場に身を置いた時に感じる、いつもと違う感覚。
それを引き起こす一連の神事というのはなんなんでしょう。
儀式という一つの構造が、なぜそのような形として完成したのか、
そして、その構造によって、なぜ人はいつもと違う感覚を得るのか。
また、どこからどこまでが作られた部分で、
どこからどこまでが自然環境や受け手に委ねている部分なのか。
その際、自然環境や受け手までも構造にいれてしまっているのだろうか。
いつもいつも不思議に思うのです。

奈良ツアー

2011-07-20 21:33:52 | 授業日記
7月16日と17日、奈良の天川村にある
天河大辨財天社」の例大祭とその宵宮祭に行ってきました。

天川村は奈良の南の方、吉野の近くにあります。
せっかくその辺りまで行くのだから、ということで、
16日の宵宮祭まで、吉野も楽しもう!ということで
私と院生3名は、朝早くから出かけていました。

橿原神宮を過ぎて南下を続けている時、
「壷阪」という地名表示が目に入りました。
「壷阪」といえば、以前、奈良に住んでいた頃、偶然立ち寄って
かなり衝撃を受けた「壷阪寺」のあるところです。

その時の衝撃を思い出し、急遽、壷阪寺にも立ち寄ることにしました。

山奥に入っていくと突然別世界が開けており、
驚くほどの大きな石仏が、ごろんごろんと立ち並んでいます。

眼の神様ということで、ここの本堂にいる仏像は
眼がばっちり開いているという、珍しいものです。

でも一番の見所は、こちらでしょう。

階段を上った時に突如ひろがる広場の中に、
堂々とそびえ立つ石仏。そして眼下には寝ころぶ涅槃の石仏。
広場の下に降りて上を見上げると上の写真のような感じです。
青空と深い緑の中に浮かび上がる姿がまた迫力です。
なかなかないですよね、こんな風景。

これらの石仏、インドの地場産業復興にも寄与しているそうです。
(インドで採石し、インドで作り、運ばれてきているそうです)
また、眼病封じの寺ということで、目の不自由な方のための
特別老人ホームも隣接していたりします。
本来、寺や宗教というのは、
人びとの生活を支えることを願っているのだと思いますが、
精神面だけでなく、物理的な支援をしているのを目の当たりにすると、
そのことを改めて実感するのでした。

そして、

↑「思う壷みくじ」なんてのもありました。
面白いのでひいてしまい、まさに「思う壷」…

壷の中に願い事をいれると叶うという、壷型をした
「思う壷守り」というのもありましたが、そこまで
思う壷にははまらず、壷阪寺を後にしたのでした。

その後、一路、吉野へ。
また続きはぼちぼち書きます♪

青年期論についての質問(1)

2011-06-26 19:47:53 | 授業日記
では、質問に答えていきましょう。

「学生運動に関わった人たちのうち、同一対象への固着をした人と、
喪失した人の追跡調査をした資料はありますでしょうか。」

→追跡調査をした資料は、
 私はまだ見つけられていません。
 主導者の人たちの幾人かについては、
 NHKで取材がなされ、数名の方が、
 予備校の教師になっていらっしゃいましたが、
 それ以上のことについては、まだ私が調べられていません。 

「“おたく”は、「お宅」家に居て、外で交流を持たず、
まんがを読む人が語源ときいたことがありますが、
本当でしょうか。」

→一般には、違う理解がされています。
 中森明夫がコミケ(同人誌即売会)に行った時、
 普段はおそらく、教室の隅っこでひっそりとしてるような人たちが、
 うってかわって明るくふるまっていた姿を見て
 そういう人たちを集団としてカテゴライズした。
 その人達は相手のことを「あなた」とか「君」とか呼ばず、
 「おたく」と呼んでいたことから、
 「おたく」と命名したとされています。

「新人類って何ですか。」

→80年代の若者論です。
 これまでとは全く異なる体質の新しい若者ということで
 命名されました。
 特に、メディア(テレビ、ラジオ、雑誌)や
 情報機器(パソコンやオーディオ機器など)への感度が高く、
 消費による自己構築にも熱心で、
 コミュニケーション能力も高い、
 でも、会社よりも自分を大事にする、といった人たちが
 イメージされるようです。

青年期論についてのコメント

2011-06-25 19:29:52 | 授業日記
火1の授業「ライフサイクルの中の学びと発達」では、
青年期論などを話していました。
特に、アイデンティティの理論を足場に、
それが各時代の青年を理解する上でどの程度有効か
あるいは、どう再考されるべきなのか、など。

2006~2008年度の科研で検討してきた課題を
発展させたものでもあり、
個人的にお気に入りの論考です。

まずは共有を目的に、コメントを抜粋しましょう。

「物の豊かさを求めていた時代は、それを追い求めることに
一生懸命で、その時代の青年達は迷いも少なかったのでしょうか。
心の豊かさを求める分、選択肢があって、それはそれで
不自由だとも思います。」

「表面化、同じことをすることで
自分自身を納得させている面については
今もなお続いていると思う。
「仲間がいないと自分が不安になる」これは全てに
言えていることではないだろうか」

「エリクソンから出発したidentity論が、
日本文化の中でどのような意味があるか、適応されるかについて
再考しました。
生物学的、精神的発達段階論にも、その人間が育つ社会という
大枠の影響を受けるんだなと思いました。
(中略)その中で、若者の葛藤の度合いも、自己理解も
異なってくるのではないでしょうか。」

「就職難の現代は、大学だけでなく大学院においても
就職先がないので進学するというような学生も
少なからずいると思うので、
これからは、大学院の役割や大学院生というものが
問われるのかな?と思いました。」

「大学の入学式に同伴する保護者、
オープンキャンパスで子どもよりも積極的な保護者を見ると、
すごく不思議に思う。
誰が入学し、誰がそこで学ぶのか、子どものためにと
何から何まですることが、本当に子どものためなのか、
みんなが考えるべきだと思う。
(大学生が)“幼稚園化”したというのはその通りだなと思った。
ただ、大学に行っている子も増え、
“大卒”という肩書きだけを得るために行く人と、
早くに目標を決め、専門に行ったり働いたりする人との
給料の違い、待遇の違いは、すごく残念に思う。」

「“心の時代”のところで、“物の豊かさ”と
“心の豊かさ”についての調査結果がありましたが、
それらは独立しているものなのか?
心の豊かさは、家庭円満などさまざまな要因で満たされるものと
考えられるが、“物の豊かさ”が満たされるが故に
“心の豊かさ”も満たされるのではないかと
疑問に思いました。」

動機づけについてのコメント

2011-06-24 16:24:45 | 授業日記
こんな取り組みを書いてくださった方もいらっしゃいました。

ご紹介しますね。

失敗恐怖が高い生徒にとって、少人数授業はとてもよい
取り組みだと思いました。
少人数授業というのは、クラスを半分に分ける、成績別に分ける
などの方法がありますが、
私が行ってきたのは、数学で、基本クラスを作るため、
1クラス10人以内の希望性をとる方法でした。
私がこだわったのは、希望性であるということでした。
そこでは、「できることを増やす」ことに目標を持ち、
その授業内に1人1人が必ず達成感を得られるように
課題を与えます。
みんなできないので「できないのははずかしくない」
「できないからここで基本を学ぶ」と
胸を張って言うようになります。
大きなクラスでは萎縮してしまう子どもたちも、
伸び伸びと発言します。
残念ながら、成果が上がることの例は少ないですが、
楽しみにしてくれるという意味では、
この制度はなくしてほしくないと思います。

→とても大事な取り組みだなと思いました。
 学ぶことを楽しむ態度を形成できる取り組み、
 素晴らしいと思いました。
 態度が形成されれば、他の領域にも転用する可能性が
 でてきますよね。
 もちろん、使い方を教える必要があるかもしれませんが…。

 また、最後の3行、学校の意味を考える上でも
 大事な指摘だと思いました。
 成果が上がるというのは、成績が上がるということだと思いますが、
 それだけで測られてしまうのは悲しいですね。
 学ぶとは何か、それが人間にとってどんな意味があるのか、
 そもそもの話と現状とのギャップも含め、
 それらのことを、改めて考えさせられます。

動機づけについての質問(2)

2011-06-23 18:41:59 | 授業日記
動機づけについて話をしていたのですが、
こんな意見もありました。

「学んでいることは、これまで起こってきたことなどについて
「そうだったのか」「なるほど」という気持ちになりますが、
では、どうすればいいのか、と思います。
たくさんの有効なインプットがありますが、
具体的に動けないもどかしさを感じます。」

「心理学で得られた動機づけ理論はたくさんありますが、
どの理論も納得する部分はいずれの理論にもあります。
ただし、課題はそれらの理論を現実の場面にどのように
応用するかという点だと思います。
(中略)そこで生まれる疑問は、
「複雑な現実場面をいかにその場で状況を整理
(分類・取捨選択など)して、自分の行動に反映させられるのか」
という点です。
知識(心理学理論を知っている)ことが条件でしょうか。
それとも、経験にもとづく直観なのでしょうか。」

→心理学をどう応用するかということに関わる話ですね。

 理論がどう役に立つのか、ということについてですが、
 動機づけに限らず、理論というのは、
 まず、現場で何が起こっているのか、
 それを整理する視点や枠組みを提供してくれると思います。
 また、表面的な問題の裏にあるしくみも知ることが
 可能になることもあるでしょう。

 つまり、現状をよく理解する、という点で役に立つと思います。

 もちろん、現実場面では、とっさの判断も必要でしょうが、
 それについても、その後、その行動の意味を考える必要があった時、
 何らかの視点をもっていれば、
 色々なことを掘り下げて考えることができます。

 その際、多様な観点から考えるのが有効ですので、
 知識はあるに越したことはないと思います。

 現状を理解することがなぜ重要かというと、
 それに即した対応を考えることに役立つからです。

 とはいえ、心理学の理論は、平均をベースに構成されていきますから、
 むしろ、その理論で理解できない子どもなどが
 現場で重要な問題になっているのだろうと思います。

 それでも、平均をベースとした一般的な理論を知っていることは
 必要だと思います。
 問題になっている子にも、当然ながら、
 一般的な心理学理論で理解できる部分はあるからです。

 …と、理論は使える、という点を強調して書きましたが、
 当然ながら、理論だけ知っていれば現場に対応できるかというと
 そんなことはないでしょう。
 何かの問題を解決するための万能な理論は当然ながら、ありません。
 
 それでも、手持ちのカードが増えるのは
 悪くはないことだと思うのです。
 (もちろん、手持ちのカードを増やすことだけに執心すると
  本末転倒になってしまいますのでそれは問題外です。)

 たとえそれが1枚だけでは使えないカードであっても
 何か別のカード(それは“経験知”かもしれません)と
 組み合わせることによって、効力を発揮してくれるものに
 なるかも知れません。
 
 そのやり方については、模索していくしかないですね。

 次回からは、この辺りも補足して伝えられたらいいなあと思いました。

動機づけについての質問(1)

2011-06-22 18:32:20 | 授業日記
昨日に引き続き、木1の授業(動機づけ担当)での
コメントです。

今回は、質問ですので、答えていきます。

「失敗恐怖は成功願望よりも強いと思います。
失敗恐怖と成功願望の良いバランスはないのでしょうか」

→アトキンソンは、失敗恐怖が強いと、回避してしまうと言いましたが、
 実は、失敗恐怖の方向で、課題に取り組む動機づけが起こることもあります。
 「自分はあまりうまくやれない、だから、失敗しないように頑張ろう」
 といった形の動機づけです。
 今は、「成功できるように頑張ろう」というパターンだけでなく
 「失敗しないように頑張ろう」というパターンでも
 人は動くことが出来る、しかも、その結果に差はないということが
 示されるようになっています。
 自分にあった形で、動きやすいパターンを探すのが
 大事であると考えています。

「学習性無力感において、行動し、結果が伴わないことでおこるということは
レポート等において、一生懸命行動した(レポートを書いた)ときに、
成績の評価(結果)が、自分で思っていた、予想していたよりも悪かった時に
起こるというようなことでしょうか?
評価が悪くても、どこがどう悪かったのかということを
フィードバックされた場合は、学習性無力感は起こらないと思うのですが、
なら、フィードバックされなかったために、学習性無力感が
おこるということではないのですか?」

→評価が悪くても、きちんとフィードバックがなされれば、
 次に行動するための具体的な目標を得ることができるので
 無力感には陥らないでしょう。
 たとえば、どれだけ努力を重ねても、
 常に、レポートに大きく「×」だけされて
 返ってくるような場合には、その教科に対しては
 「何をやっても無駄だ」と、無力感に陥るかもしれませんね。
 もしも、その無力感が他の領域でも回復されないと、
 慢性的な無力感に陥ってしまうかもしれませんね・・・