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中間玲子のブログ

仕事のこととか日々のこととか…更新怠りがちですがボチボチと。

大学院・なかま祭り終了

2011-06-21 12:45:47 | 授業日記
この数週間は、オムニバス授業の担当が一気に重なっていました。
月1、火1、火2、木1が当たっていたこともあったので、
特にゼミの学生にとっては、それに加えてゼミもあり
なかまれいこ祭り状態だったと思います。お疲れ様でした。

火1、木1の授業については、
授業が続いている間は、コメントにあった質問に
答えていたのですが、最終回については授業で返せないので
ブログ上でポツポツお答えしていきたいと思います。

まずは、木1の授業「子どもの発達と学校の関わり」
(動機づけのパートを担当)から、
とりあえずコメントを共有しておこうと思ったものを載せますね。

「講義内で行ったパズルの中で、先生が誉めた場面があったが、
あのような状況は実際の学校現場でよくあることだと思う。
その場ごとに誉めることで、児童に活躍の場を与えることになるが、
一方で、他の児童(誉められていない)のことも
気にかけるべきだと実感した。
誰かを誉めるのは、一方で誉められない児童もいるということだ。
“誉める”ことが大切であるが、それによる負の状況が
あることもおさえる必要があると思った。」

「私は集中力が途切れたり、眠たくなったりすると、
すぐに何かしらの“行動”をします。
場所を変える、座り方を変える、立つ、飲物を飲む、
リズムを取る、歩く、人と言葉を交わすなどなど。
これらは全て、行動によって気持ちを変えようとするためのものです。
今回の講義の中であった、身体によって、脳の活動を
喚起することだと思います。
ただ、おかげで忍耐力はないのですが…」

キャンパス・デビュー?

2011-05-10 12:22:30 | 授業日記
先日、大学院説明会が開かれ、
そこでもらった配付資料に、
結構いい感じの学生向けパンフレットがありました。



大学生活の様子(時間やお金の使い方)、サークル紹介、
キャンパスマップや近隣のお店のことなど、
紹介されていまして、かなりのイメージアップです♪

パラパラめくっているとビックリ。
うちのゼミ生、ちゃっかり登場していました。


左の男の子です。バイト先の飲食店の紹介をしています。

そんな彼は、別のパンフレットの写真撮影も頼まれたらしく。
ゼミの時に、「ゼミの後、皆で行きましょう」ということになり、
ゼミメンバー(4回&M2&ちゃっかり私も)でゾロゾロと
撮影場所のカフェに出かけました。

集合写真みたいなのを撮るのかな?と軽く行ってしまったのですが、
上記パンフのようなイメージの歓談風景を撮るということで、
焦る私たち
とりあえず、男女2人に座ってもらい
私たちは後ろでパンを物色する人たちを背中で演じます。

その後、私も含めて5人でわらわらと席に座ったんですが、
そこから後は、ゼミが終わった時から思いがけず始まっていた
濃い~~話に花が咲き続け・・・

その後は、オープンテラスに移動して、
どんな写真がカメラに収まったのかはまったく予測がつかないまま、
パンフ係の方が去った後も、濃い~~話を続けていました。

昨日も思ってたんですが・・・
学生たちに誘われるまま入っちゃいましたが、
やっぱりちょっと先生邪魔ーーーってことで、
ごっそり差し替えられているかも~~~
その時は、皆&時間を割いてくださった支援課の方、
ごめんなさい

幻になるかもしれないパンフ写真

でも、このメンバーだけで部屋の外でお茶したのは
初めてだったので楽しかったです

今日はゼミの新歓コンパです。

発達心理学特論

2011-04-19 12:32:19 | 授業日記
今週から本格的に授業がスタートしていますが、
2011年度分の授業をすでに終えたものがあります。

過日、「出版報告」でも触れましたが、
放送大学大学院の「発達心理学特論」という授業です。

すでに「発達心理学特論」の放送自体は始まっていて、
毎週木曜日19:00~19:45に放送大学のチャンネルで放送されています。
私は、第4回、第13回、第14回担当ですので、
初回は、4月28日、19:00~19:45です。
13回目と14回目は、7月7日、7月14日です。

これは、スカパー!などで、無料で視聴できるようですので、
興味がありましたら是非観てみてください。
私は今のままでは観られる環境にないので、そのうちなんとかしたいのですが…。

担当分については、先にお知らせした通り、テキストの執筆もありましたが、
講義内容(台詞)もすべて自分で作ります。
プロデューサーの方が、それを元に、カメラの方向や
タイムキープなどを考えて番組を調え、このような台本になります。


中身はこんな感じ。


(クリックすると拡大します。)

これをもとに講義をするのですが、本当に、緊張しました。
前日にほとんど一睡もできず。
また、当日、スタジオに入ったら本当に頭が真っ白になるという経験。
自分がこんなに緊張するのかとびっくりしました。
今まで緊張したと思っていたのは緊張してたうちに入らないと思うほどでした。
とにかく、その場にならないと分からないというのは
こういうことを言うんだなー、と痛感しました。
本当に泣きたくなりました。が、とにかくやるしかありません。

こんなスタジオで


こんな風景(おそらく別バージョンのセット?)を前にしながら


こんな背景の前で


頭が真っ白の中、必死の形相で一生懸命、しゃべってきました。

全回とも、こわばった緊張感の中間玲子の顔が延々続きます
御覧になって不快になられた場合は本当に申し訳ありません・・・
その際は、テレビのスイッチをお切りください。

そして撮影されたものは、別室でチェックされています。

(これはすべてのチェックが終わって電源が落とされたところ)
すべての画面が自分の顔で埋まっているのを観た時は、
とても苦しく逃げ出したくなりました。。。まだまだ心臓弱いですね、私。

放送大学の仕事は、先に書いた「緊張」ということも含め、
ロケの仕事や、撮影のプロセスなど、仕事の種類や仕方自体も
これまでにないことだらけで、戸惑うばかりでしたが、
多くの人と一つのことを作り上げる仕事であり、
その中心に自分が置かれたという経験であったため、
自分の仕事について、深く考え直す大きなきっかけとなりました。
どういう仕事をするかということはもちろん、仕事の仕方、
仕事に対する責任や自分の置かれた立場や身を置く環境、などなど、
かなり、自分の中で、仕事に対する意識が大きく変わる、
貴重な体験となりました。
スタッフの方々にはご迷惑のかけ通しだったので
何とも本当に申し訳ない限りなので、もうこれはどうしようもないのですが、
いい経験をさせてもらえたと感謝していることを、
これからの仕事で観ていただくしかありません。

まあそれは、舞台裏の話であって、
放送されるのは、ただただ緊張しまくって、必死の形相で
なんとか43分講義をしている姿なのではありますが…

客観的な感想やご意見などいただけますと嬉しいので
もしお時間と心の余裕がありましたら、御覧ください。

修了式

2011-03-29 23:58:06 | 授業日記
去る3月23日、兵庫教育大学大学院の修了式でした。

私にとっては、兵庫教育大学に異動して
初めて修了生を送り出すこととなります。

今年度、私のところで修論を書いた院生は2名。
修了式を終えてやってくるであろうゼミ生のために
お花と手製のゼミ修了証書を準備して・・・


と思いきや、準備が終わらないうちに来られてしまったので
一旦お引き取り願い、3分後くらいに再度呼び出し

授与しました。

年に1度の(?)、先生らしい行動です。
ちなみに、ピンクのチューリップは、私の一番好きな花です

お渡しするとこんな感じです。


その後、ギャラリーから今後について院生生活について
いろいろ質問が浴びせられ、
これからの厳しい社会に向けての予行練習などもいたしました。
もう一人の方も、遅れて来室。

お二人のこれからのますますご活躍を心よりお祈り申し上げます
修了、おめでとうございます

追いコン

2011-03-19 00:04:19 | 授業日記
今日(昨日?3/18)は、中間ゼミの追いコンでした。
(注:追いコンとは「追い出しコンパ」の略です。
 送別会のカジュアル版といったかんじでしょうか。)
こんな時に?と言われそうですが、ええ、やりますとも。
大学あるいは大学院を出て行く人たちは
これから国の宝になるはずです。
彼らの門出、新しい生活、いっぱい祝ってあげたいです。
それに、買い占めなんて方向性ではなく、
お金を使って経済を動かしていかねば。

これから大学は卒業式シーズンを迎えます。
残念ながら、日本中で、安全が確保できないとして
あるいは自粛のために、
卒業式が開催されないことがニュースで伝えられていました。
とっても残念ながら、わが大学も謝恩会については
自粛ということになったそうです。

友だちがフラワーアレンジメントの先生をしています。
彼女がブログでこんなことを言っていました。

今、花は被災地には必要ないもの。
仮に、買占めがあったとしても(ありえないですが)誰も困らない。
東京のあたりも、需要は少なめのよう。
だとしたら、こちらはいつもどおり、
あるいはいつも以上に消費しなければ。

この場面にはお花が欲しいな、という皆様。
ぜひいつものように、お花を手にとってみてくださいね。
きっと、お花が元気をくれることと思います・・・


ほんと、その通りだと思います。

卒業生の大学生活の終了を祝い、そしてこれからの活躍を願うために、
たとえ卒業式が自粛されたとしても、
後輩の皆さん、関係者の皆さん、
卒業生・修了生のために、
いっぱい・いっぱいの花でお祝いしてあげてくださいね。

学位論文報告会

2011-03-06 15:11:12 | 授業日記
昨日(3月5日)は、
兵庫大学大学院学校教育研究科教育コミュニケーションコース
(↑名称だけで一行使った
2010年度学位論文報告会でした。

残念ながら全員参加というわけにはいかなかったのですが、
「締め切り前は、寝ても覚めても、夢の中でもパソコン打ってました」
(いまだにパソコン打つ夢から解放されていない方もいらっしゃるとか)
「書き上げたけど全然スッキリしません」
「もっと達成感があるかと思ったのに…」
といった言葉と共に、修論の成果が発表されました。
でも、それだけ関与できたって、すばらしいと思います。
それに、今やれることを全力でまとめたものを
出していただけたんだろうなあと感じられる、いい発表会でしたよ
みなさん、よく頑張られたなあと思いました。

その後は懇親会でした。

和食のおいしいお店だったのですが、長テーブルを2つ並べた状態だったので
自然と、食べ物・飲み物は、
端っこから順にパスして全員に渡るようにする、
というシステムになりました。

このシステムの場合、しばしば見られるのが、
a.パスのしすぎで端っこに戻ってしまう
b.食べ物が渋滞してしまう
c.食べ物が差し戻される
といった事態です。

まあ、b.c.は、a.を防ぐために途中で確認したりするために
起こるんだと思うのですが…

気づけばこんな状態に



↑「天つゆだらけ」(by Oさん(後述))
一膳しかないお箸が圧倒されてしまっています…

なのに「天つゆ、こっちいらない~」と別の方からの声とともに
さらに天つゆが集結
なぜ
「天つゆだらけ」とは言ってたけど、
「天つゆいらない」とは言ってなかったから…
わかってもらえなかったのか

このシステムを円滑に行うコミュニケーションのあり方を、
コースとしてもっと探究しなければなりませんね。
M1の皆さん、共にがんばりましょうね

そして、修論の苦労話や院生生活の話などに花が咲きました
多文化共生教育について研究されたM2のOさんは、
修士論文の息抜きに「レイコのレイギ」を読んでいましたと
他の先生や院生に「レイコのレイギ」を紹介してくださいました

この写真は、まさに、その広報真っ最中の瞬間です
(一応、ほんのりモザイクかけてみました)
いつもご愛読、ありがとうございますー
うれしいです

それにしても、こういう行事があると、なんだか月日の流れを感じますね。
最近、兵庫はまた寒さがぶり返し、再び雪景色となっていましたが、
もう…春ですね。

この春で修了される皆様、
これからのますますのご活躍に期待しております
皆様にとって素敵な春となりますように。

出張講義「コミュニケーション」

2011-02-25 20:35:27 | 授業日記
だいぶ以前の話になりますが、
昨年、12月13日に、兵庫県立北条高等学校というところで、
「コミュニケーション」に関する出張講義をしてきました。

当時は、こんなナビの報告しかできていなかったのですが、
この度、生徒さんからの感想がようやく届きましたので、
当日の模様を振り返りたいと思います。

北条高校のこのページにも、
12月のところまでスクロールしていただくと、写真が載っていますので、
ちょっと雰囲気が伝わるかな、と思います。

3時間にわたる時間設定でしたので、
どうしようかと考えたあげく、「コミュニケーション」を
自覚的に考えることのできるワークを、
いくつか用意していきました。

直前に行われていた日本臨床心理身体運動学会で、
バウムテストに関する岸本寛史先生のワークショップに感銘を受けていた私。
臨床場面におけるバウムテストによる診断の話だったのですが、
その診断における問題の中に、
コミュニケーションの本質に関わる要素が盛り込まれていたのです。

なので、その本質はそのままもらい、大きくアレンジして、
高校生でも楽しく使えるワークを自分なりに用意してみました。

講義の大きな目的は、
「自分のことを相手は分かってくれてる」
「言わなくても分かる」
「相手のことはだいたい分かる」
という思いこみ、私たちは心のどこかで持っていますが、
それは間違っているということ、
だから、しっかり理解し合いたい時は、伝える努力、
きく(聞く、聴く、訊く)努力が大事なんだよ、ということを
実感してもらうことでした。

なので、上記ワークをメインにすえて、
それまでにも、いくつかのペアワークをしてもらいながら
「伝えているつもりが伝わらない」「分かっているつもりが分かってない」
ということ、そしてそれがどんな問題を生むのかについて、
実感してもらい、考えてもらいました。

初めて出向くところでのペアワーク中心の講義だったので、
どのくらいアイスブレーキングができるかが不安だったのですが、
皆、積極的に参加してくれて、
ワークが楽しかった!という感想を書いてくれていてホッとしました。
平均は5点満点の4.48点。私としてはとっても高得点です。
それに、上記目的もしっかり伝わっていたことが、
何よりうれしかったです。

コミュニケーションって日常の作業なので、
普段からそんなに神経質になる必要もないと思うのですが、
体験として記憶してもらえると、どこかでまた、
コミュニケーションの問題にぶつかったとき、
思い出してもらえたら嬉しいな、と思っています。

コメントリプライ:幸せに生きるための心理学

2011-01-22 08:20:20 | 授業日記
ちょっと油断するとすぐ更新に日にちがあいてしまいますね…

今更ですが、年末の「幸せに生きるための心理学」で
いただいていた質問にお答えしましょう。

私に関する質問が多かったのですが、たぶん、
皆がいちばん聞きたかったのはこのことだろうと思います。

先生は今、幸せですか?

どういう風に答えましょうか。
やはり、まず、「Yes」と答えましょう。

とはいえ、一点の曇りもなく常に楽しくハッピー気分というと
もちろんそんなことはありません。
実際、講演の集計ファイルをいただいた年末の時期は
本当に忙しくて仕事が山盛りで、なかなか終わらず、
とっても辛い毎日でしたし、
今でも、日々の中で、悲しい思いをしたり、イライラしたり、
落ち込んだり寂しくなったり、と、いろんな辛い思いを抱きます。
こんな自分ってダメだなー、と、自己嫌悪に陥ることも多いですし。
決して「快適」な時ばかりではありません。

でもまあ、時は流れるんですね。
どんなに辛くても、その時が永遠ではないし。
これまでにも辛いことは色々あって、それでも何とかやってきたし。
と、そう思うと、
自分にはなんとかその中で生き続ける強さがあるんだろうなあ、
なんてことを私は思うんですね。
そう思うと、
ああ、そんな1日の中にもこんないいことあったし、まあいっか、とか、
結局はそう思えてくるのです。

もちろん、そんなことを思いつつも、
「でもやっぱり悲しい、くすん」と
立ち直れずグズグズすることもあります。

でもそれでいいんです。
悲しい時は悲しいし、辛い時は辛い。
楽しい時は楽しく、嬉しい時は嬉しいように。

講演の最後に、“幸せになることを邪魔する3つの思いこみ”を上げました。
「幸せになれない」
「幸せになってはいけない」
「幸せにならないといけない」
です。

これ、あんまり印象に残すことができなかったみたいですが、
幸せを感じられる最大のポイントは、ここから抜けることだと思っています。
特に、「幸せにならないといけない」は、
不幸になるポイントです。
幸せを感じられない時は、もうその状態を引き受けるしかない。
下手に「幸せにならなきゃ」なんて思うと
その状態はますますドツボにはまります。

私は若い頃は、こういった思いこみを持っていて
ジタバタしていましたが、
今はこれらの思いこみに苦しめられることは基本的にありません。

というわけで、別に毎日お気楽ハッピーではないですが、
やはり、幸せに生きているなあと思います。
毎日の中で、
「ああ、私って幸せだなあ」としみじみ
あんなことやこんなことを嬉しく思うことも多いです。
毎日の中で、嬉しいことや、ほっこりすることに出会い、
辛いことがあっても生き続けるくらいには幸せを貯金してて、
そんなこんなで、なんとか今日まで生き続けております

「幸せに生きるための心理学」於:飾磨工業高等学校

2011-01-06 17:56:09 | 授業日記
年末にちらりと書きましたが、
12月17日、兵庫県立飾磨工業高校多部制3部というところに
「幸せに生きる心理学」の講演に行って参りました。

昨年末、アンケートが届いていましたが、
時間がなくて今になりました

今回は、生徒さんたちの記述をすべてテキスト化して
送ってくださいまして…
有り難い限りです
年末のお忙しい中、色々とお世話になりました。

この講演は、7月に大雨警報で流れてしまったものでした
なので、半年越しにようやく実現したのでした。

評定値は5点満点中4.0点で前よりは下がってしまったんですが、
そんなの関係ねえ(←懐かしい…)
当日は、講演時の生徒さんたちの態度がいつになくとってもよかったようで、
講演終了後は、先生方が非常に幸せそうになっていて、
その中での先生方とのお話や、生徒さんを思う気持ちをうかがうのも楽しく、
非常に満足して帰路に着いたのでした

内容ですが、
前半は、人間の欲求の話と幸せを感じる認知のしくみについて、
後半は、「幸せ≠快楽」ということを軸に上質の幸せについて
お話してきました。

感想を見させていただきますと、それぞれ色んなことを受け止め、
考えてくれたみたいで、とても勉強になりました。
自分と照らし合わせて真剣に聞いてくれてたんだなあと思う
コメントが多く、そうなると、また、こちらの頭が下がるわけです。
私の話を聴いてくれて、ありがとうございます。

とりあえず、「幸せに生きるための心理学」の講演のために
不幸せにならないでほしいな…って思っていたので、
幸せになった!幸せだと気づいた!という感想が多かったので
安堵いたしました

「今日は寒いから学校を休もうと思ったけど、
学校に来てよかったと思いました。」
と書いてくれた人もいて、なんだかその前半部分のリアルさに
思わず笑ってしまいました
でも来てくれてありがとう。

内容のキーワードは、
【生徒さんの印象に残ってくれた話セレクション】より紹介
幸せな時には幸せに気づきやすく、不幸せな時には不幸せに気づきやすいという所に共感した。

僕は、今日の講演で、人は何かに一生懸命になるには勇気がいるという言葉が印象に残りました。

印象に残ったことは、幸せは他人から与えてもらうものではないとプリントに載っていた。他人から与えられたものは自分の幸せではないということを学んだ。

「幸せ」の中に「辛さ」という字がある、というように、良いことの中には悪いことがある、悪いことの中には良いことがあるということを感じることが出来ました。

落ち込んだときは「快適さ」は「幸せ」を与えてくれるが「幸せ」が「快適なこと」とは限らないっていう言葉を思い出したいと思っています。

人は、生まれてくること、年をとること、、人を愛することは避けられないという言葉がとても印象的でした。


…と、こんな話をしてきました。

今回、「辛いという字は、もう少しで幸せになれそうな字である」
という一般的な話もメタファーとして用いたのですが、
それを調べているうちに、新たな収穫がありました。

この、辛いと幸せの類似は、語源的には根拠のない後付の話だそうですが、
「幸」の語源。
この言葉、若くして死ぬという意味の「夭」(=夭逝)と
「屰」(=「逆」の意味)の組み合わせで出来ていたのだそうです。
つまり、「若くして死んでしまった」ではない状態、
組み合わせると、「生き延びることができた」という意味が
「幸」という字なんだそうです…

へえ~~~

と、せっかくなのでこのこともお話してきました。

前後の先生方とのやりとりも楽しく、
先生方が生徒さんに傾ける熱意には、なんだか打たれました。
心配してくれる人がいるって、幸せなことだと思いますよ

せっかくテキスト化してくださったので、
【生徒さんたちの珠玉の言葉セレクション】も載せましょう
人の人生はたまねぎと同じようなもの。一皮一皮むけるたびに涙を流します。

人の欲求は無限と言っていたけど、それは少し違うと思いました。その欲求に線を引くのが人だと思うからです。

人は幸せが長続きしない。だが、次へ次へと欲求のある中で色んな経験をし成長していくことがわかった。

自分が生きている意味は人に教えてもらうのではなくて自分で決めるということだと思う。家族・友達・周りの人がいるから今の自分がいるのです。生きていることに意味がある。


このほかにも自分なりの決意を書いてくれた皆、
その後、どう過ごしていますかー

お互い、幸せな1年でありますように

祝☆修論提出

2010-12-20 18:02:38 | 授業日記
今日は、兵庫教育大学大学院学校教育学研究科の
修論提出日でした(ただし、昼間課程)。

いやあ…これまでの日々、特にこの10月以降、
修論生の皆、ホント、大変そうでした…

なんだか見ていてつらそうでしたが、
結局自分で書き上げなきゃいけないので…

でも、なんとか完成した形にしてくれて、
よかったよかった…

というわけで、兵教大で初代の修論生が
無事に修論を提出してくれて安堵しております
お疲れ様

今日は、提出後、ゼミメンバーで、
関西では有名な小山ロールと幻のコーヒー、コピ・ルアック
お疲れ様会をしてました。

・・・ケーキの写真撮るの忘れた

コピ・ルアックは、先日、現職のゼミ生からいただいたもの。
映画『かもめ食堂』
コピ・ルアックの存在と価値を知っていたため、
いただいた瞬間、狂喜乱舞してしまいました
まさか口にできるとは
ものすごいさらっとした飲み口なので、透明感の高い味なんですが、
一方で、深い味わいです。
香りも、普通のコーヒーとはまた違う香りがします。

小山ロールも、1年半ぶりくらいに食べたのですが、
ものすごくおいしかったです
以前は、購入までの過程がすごくストレスフルだったので
あんまりおいしくいただけなかったのだということを認識。
ケーキ自体は、ものすご~くおいしかったです
うん、小山ロール、おいしい
やっぱり、おいしさを味わうって、能動的な行為ですね

修論生たち、よくぞ無事に提出してくれました
とりあえず解放されてくれていてよかったよー
大変よくがんばりました。
おいしいコーヒーとおいしいケーキを、
おいしく味わえてうれしかったです
修論、おつかれさま&おいしい時間をありがとう
いやあ、本当に提出してくれて嬉しいです。
2人とも、本当、よくがんばったね

そして、元・中間ゼミ生のNさん、Kくん、
修論提出は年明けかな?
今頃追い込みなんだろうなー
私も自分の仕事はたんまり色々残っているからまだがんばるよ。
がんばろうね

「自分を伸ばすための心理学」神戸甲北高校

2010-11-26 14:21:55 | 授業日記
先日のブログでは、道に迷った話だけで終わってしまいましたが
去る11月15日(月)、兵庫県立神戸甲北高校で
3年生のための「インスパイアハイスクール講座」というところで
講演をしてきました。

題目は「自分を伸ばすための心理学」

これまでは教職員向けの話だったのですが、
高校生向けは初めてです。
なので、高校生向けに内容もかなり作り直しました。
特に力を入れたポイントは、
「夢に向かってがんばろう!」だけでなく
「夢がない人は今どうしたらいいのか」の話もしようと思ったことです。

私自身が、特に夢とか自分の好きなものというものを見つけられず
夢や好きなものを見つけられている人をうらやましいなあと
苦しく思って過ごしていた時間が長かったため、
夢がもてていない人にも届く話をしたいと思っていました。

夢がもてている人には、その夢に向かってより力強く行動していけるように、
夢がもてない人には、まずは今をしっかり生きられるように、
と、それぞれの立場の人・状況に分けて話をしてきました。

後日、アンケートをいただきましたが、
皆、本当にまっすぐに、自分の今と向き合いながら、
私の言葉を受け止めてくれていたようで、
アンケートを読ませていただいて、
こちらが元気づけられる思いでした。

いくつかの感想を紹介することで、
講演の内容もすこしお伝えできるかと思いますので、
ちょっと抜粋してみますね。


「自分が人生の主人公であり、それを生かすプロデューサーでもある」
「タレントである自分が成長すると、プロデューサーである自分も成長している」
という言葉が本当に印象的で、とても心に響きました。
やはり誰かに成長を手助けしてもらうばかりだけでなく、
自分は自分のプロデューサーとして、自分を成長させる義務・責任があるので、
それは自分で責務を全うしなければならないのだと学びました。
また、私はどんな場面においても一生懸命努力しているのに
なかなか成果が出ず、悩まされることが多々あります。
しかし、ある程度時間を要さなければ思うような結果が出ない、
成功させたいのであればそのように成功するまで続ける必要がある
という助言が非常に励まされ、努力の大切さを改めて実感しました。

進路実現のために、仕方なくあきらめた夢があって
それがずっと心残りでした。
でも講演を聴いて、「目的地にたどりつく道は1つではない」と
いうことが分かり、勇気づけられました。

一番印象に残ったのは、"失敗を恐れない"ということです。
まだまだ失敗を恐れて、一生懸命になれない、全力が出せない、
本気になれない、ということが、私の中にも沢山あるなと
気づかされました。
行動するからこそ失敗は生まれるのであって、
何も行動せず立ち止まっているよりは、
失敗が生まれる方が良いなと思いました。

"「やる気が出るのを待つ」は間違い"という言葉を見てハッとしました。
今まで自分が受け身だったことに改めて気づかされました。

どんなことでも、考え方や自分が動くことで、
少しずつでも進んでいくことができるんだ、ということが、
あらためて分かって、すごく安心したし、勉強になりました。
「はしご」というあたりのお話が、すごく好きで、
大切におぼえていようと思いました。
どんどん自分で行動していくことが大切なんだなと感じたので、
自分からどんどん動いていきたいです!!!
少しずつでも、毎日自分を伸ばしていけるよう、頑張りたいです!!!


・・・うーん、読んでいると、
ああ、こんな風に受け止めてくれたんだあ…と思い、

そう感じることのできたあなたたちが素晴らしい!!

と叫びたくなります。
本当に、そう叫びたくなる感想を多くの生徒さんが書いてくれていました。
紹介しきれませんが、すべて、受け止めました

こういう話って、聞き手がどのくらい受け止める気持ちがあるかで、
まったく違いますよね。
まっすぐ受け止める姿勢で私の話を聞いてくれて、本当に感謝です。

参加者は211名、満足度の平均点はなんと、5点満点の4.21点
この人数でこの得点はすごいと思います。
今後の自分に対するかなりのプレッシャーになってしまいましたが、
自分の講演内容を自分にも語りかけ、守りに入らず、
これからも自分自身、成長し続けたいと思います

「子育て・子別れの心理学」リプライ(3)

2010-10-23 13:46:19 | 授業日記
前回前々回に引き続き、
滝川第二中・高等学校で出された質問へのリプライです。

受験に強い子を育てるには?

「受験に強い」ということをどうとらえるかですが、
「プレッシャーに強い」「目標を達成できる」ということで
考えてみましょう。


(1)
「プレッシャーに強い」人は、プレッシャーを感じなかったり
プレッシャーをよい意味で自分の力にしている人だと思います。
いずれにしても、「その活動に集中できる」人でしょう。
人間が最高レベルのパフォーマンスをすることができる時の
不思議な状態をフロー状態というのですが
その状態に入りやすい人は、普段から物事に集中して取り組むことが
出来る人だとされています。
なので、普段から何か活動する時にはダラダラとせずに
集中できるようになっていることが必要でしょう。

集中力をどう高めるか?
これについては、ちゃんと調べてませんので
私なりの工夫を紹介しましょう。
あくまでも個人の工夫ですので、皆さん各自で調べたり
人に聞いたりしていただけたらと思います。

まず。締め切りが迫ると集中力が高まりますよね。
また、長く続けていると集中力は低下します。
このことから、私は高3の時、自宅にいる時の「時間割」を作って
勉強していました。これは集中できました。
普通に勉強していると「ここまでやろう」と課題の内容で区切りを
つけてしまうのですが、徹底的に時間で区切ります。
「この時間にこの科目内容をする。目標はここまで」とすると、
やっぱりキリが悪いのはいやなので、
なんとかそこまでにやらなきゃ!と
少なくとも最後の10分くらいはかなり集中するわけです。

…ただし、こういうことをする時には、かならず、休憩時間や自由時間を
設けておかないと精神的にやばくなりますので注意です。
休憩時間や自由時間を設けていても、
かなり自己統制を強いることですので、ほどほどに。

それからこれは、人によりけりでしょうが、
公共の場所で(つまり人の目があるところで)
勉強するというのもよくやっていました。
自分一人ではついついサボってしまうのですが
図書館やカフェなど、周りの目があるところだと
(本当は見られている訳ではないのですが)
しっかりしなきゃ!と、見栄のようなものが働いて
その活動に集中しやすくなりました。

また、雑念が浮かんで仕方がない時には、それを抑えようとすると
かえってそのことが気になってしまうものです。
なので、そのような場合はその雑念を抑えようとせずに、
何か課題であれば、時間に余裕がある時にはそれを先にやってしまう、
考え事(人間関係とか)であれば、「○○について気になる!」など、
とりあえず、紙に書きます。
また、集中しなければいけない時に、絶対に忘れてはいけないことを
ふと思い出したりすることもあります。
その時は、「それを覚えておかないといけない」と記憶の働きが
そこに奪われてしまうので、その時も、紙に書いて
「忘れても大丈夫」な状態を作り出します。

これはむしろ、大人になってから行っていることですね。
雑念は、「その活動をしたくない」という心の反映で、
それに集中できない状況を言い訳として作り出しているように思います。
雑念を処理してしまうというのは、集中できないことについての
言い逃れできない状況を作っていくということかもしれませんね。


(2)
「目標を達成できる」については、
その先のことまで考えて受験を位置づけるということが
ポイントになろうかと思います。

以前、「ゴールが見えることによるマイナス効果」
というタイトルでブログに書かせていただきましたが、
受験自体が大きな目標になってしまうと、
その本番ではもしかしたら全力が出せなくなるかもしれません。

もちろんその記事で書いてある水泳選手の話と
受験の話はだいぶ文脈が異なってくるので
そのまま応用していいかどうかはわかりませんが、
それでも、受験勉強が苦しくなった時や、
志望大学を変更せざるを得なくなった時など、
その先の「大学に行って何をするか」が明確であれば
受験は単にそこに至るためのプロセスとして位置づけることができ、
やっていることの意味が明確になります。

(3)
こぼれ話的に、もう1点あげるなら、
「つつがなく受験本番の日を迎える」というのがあげられるでしょう。
実は、私は大学受験は失敗しています。
第一志望も、その同じ旅程で受けた私立大も
落ちてしまいました。
なぜか?
多分これだけが原因ではないだろうとも思いますが、
大きく後悔していることとして、受験旅行で浮かれてしまったということが
あげられます。アホやろって?ええ、アホです。
私は受験に向かう時、なんだか「旅行気分」になってしまったのです。
同じ方面に向かう同学年の友達と皆で飛行機に乗るのですから
ドキドキワクワク。ホテルも一緒でワクワク。
その変なテンションのせいか飛行機酔いが激しく、
結局ホテルでずっと気分悪くて寝込んでいました。
それでも皆で旅行に来たことが嬉しくて、
受験が終わってからのボウリング&カラオケ計画などで
受験前から皆で盛り上がる始末。
そんな浮かれ気分で迎えた当日はまさかの大雪で
受験会場に間に合うかどうか、ということで頭は大混乱。
そんな中でも平常心で受けたと自分では思っていましたが
まんまと落ちてしまいました。
ま、当然といえば当然かもしれません。
ついでに言うと、
同じ旅行グループで同じ大学を受験した人は全員落ちました。
(もう時効だよね)

真剣に受験のとりくむ人でこんなアホなことをする人は
そう多くないとは思いますが、
いずれにせよ、つつがなく受験本番の日を迎えることは
その日のコンディションとして、何より大切だと思います。

「子育て・子別れの心理学」リプライ(2)

2010-10-21 11:04:01 | 授業日記
昨日に引き続き、標記講演で寄せられた質問について。

パソコンゲームにはまりすぎる子どもに何かアドバイスは?心配しています。

時間が多いことで気になっているのであれば、
昨日の記事とも関連することかなと思いますので、
それを参照くださればと思います。

なお、これは昨日の補足にもなってくるかと思いますが、
何か自分がしようと思っている矢先に「~~しなさい」と言われると
やる気が失せるということがあります。

「自分が」そうしようと思っていたのに
そこで人に言われてしまうと
あたかもその人に言われてやっているかのように思えて
おもしろくない、というわけです。
そう思うのも、人間には自律性の欲求があるからです。
自分で決めて行動したい、自分の心をもつ一人の人間でありたいと思うのです。

さて、自律性の欲求を重視したDeci博士は、講演の際、
パソコンゲームは「選択」できる事柄が豊富にあること、
だから人はそれに夢中になるのではないかと言っていました。
もちろん、ステージをクリアするごとに「有能感の欲求」も
満たされていきますね。
ステージをクリアしなくとも、
自分が何かを操作しているというそのことだけでも、
有能感を体験することにつながると思います。
そういう欲求を満たすのがパソコンゲーム場面だけであれば
それに夢中になってしまうのは仕方ないのではないかと。
なので、それらの欲求をパソコンゲーム以外でも
満たすようにすることを考えるのが大事ではないかとおっしゃってました。

ただ、なかなか、ゲームに勝るものを
日常で用意するのは難しいかもしれません。
なので、やはり、ゲームを制限するための取り決めが
必要になるかと思います。

しかし、やはり、禁止することだけを考えると
お互い苦しくなると思います。

そこでそもそも、なぜゲームをやることが
そんなに心配になるのか?ということを考えてみてはいかがでしょうか。
きっと、ゲームをやることそれ自体よりも、
ゲームをやることによって、何が阻害されている、と
感じているからではないでしょうか。

たとえば、ゲームでは本当は「関係性」は満たされていないはずなんですが、
満たされたような気になっているかもしれません。
また、「有能感」も、現実世界に根ざしたものではないんですよね。
現実世界での充実した関係や有能感の喜びを
十分感じることができているか、そういう機会を味わえているか。
情緒を伴った全身で感じられるそういう体験をしっかりと経験できているか。
たとえばそういったことをどうやって体験してもらおうか。
このような視点から考えるのも、
この問題に取り組む1つの方向性かな、と思います。

「子育て・子別れの心理学」in滝川第二中・高等学校

2010-10-20 18:21:33 | 授業日記
先週の土曜日(2010/10/16)、滝川第二中・高等学校で
保護者約200名を対象に「子育て・子別れの心理学」という題目で
講演をしてきました。

趣旨としては、
・それまでの関係が維持できなくなる時期であること
・でもそれは、成長の一過程で、結び直す「死と再生」の時期として
 見直すことができること、つまり、
 「関係がこわれていく」と不安になってしまうプロセスも
 それは新たな関係を作るために必要なプロセスとして
 とらえ直すことができること
・現実というのは曖昧な事態が多い。その時に1つの正解を
 求めようとするとかえって難しい。
 世の中には白か黒かで決められないことが多く
 特に青年期の子どもに向き合う時には
 そこに生じる曖昧さに耐えていくことが必要
ということをお話しさせていただきました。

アンケートの結果を見ますと、平均は3.85点(5点満点)。
5点満点をくださった方も少なくなかったのですが、
やはり上記内容、オーソドックスすぎたので
不満を感じられた方もいらっしゃったようです。
自分がもやもやっと「これでいいのかなあ」と感じられていた方や
子どもの不安定な態度に戸惑っていた方は
「そんなもんなんだ」「これでいいんだな」と
とても元気になって帰ってくださったようですが
もっと内面的なことを深く掘り下げて聞きたいと思っていた方には
物足りなかったようです。と、これは深く反省です。

そんな中で会場を盛り上げてくださり、
場の雰囲気をとても和やかなものに作ってくださった係の方には
心から感謝です。ご丁寧な対応をありがとうございました。

いつものように、いくつか質問に答えたいと思います。

第一次反抗期のとき、くつ下をはかせる場合、2つのくつ下を持ち出しどっちがイイ?と聞くと素直にはいてくれるという魔法の言葉がありますが、高校生にもなると、ストレートに勉強させようとしても素直に行動しなくなっています。上記の様な魔法の言葉や言い回しがあると教えていただきたいと思います。

なかなかこういう言葉や言い回しがいいと1つの正答を出すことはできませんが、
その時参考にしていただきたいのが、講演で申し上げた3つのニーズ
・有能感の欲求
・関係性の欲求
・自律性の欲求
です。

特に見落とされがちなのが、
「自律性の欲求(支配されたくない、自分で選びたい)」だと思います。
「ほめて育てよう(=有能感の欲求を満たす)」
「愛情が大事(=関係性の欲求を満たす)」などは
結構多くの人に共有されていると思います。
(とはいえ、それが満たされているかはまた別問題ですが…)

2つのくつ下を持ち出して選ばせるというのは、
「自律性の欲求」を満たす言葉かけです。
その観点は青年期でも(というかどの時期においても)有効だと思います。

「勉強しなさい」ばかり言われていると、
自分の生活を支配されているような気持ちになり、
そう思うと自律性の欲求が満たされず、
それに抵抗しようという気持ちが高まっていきます。

なので、それを少しでも満たしてやる方法で解決を考えることは
有効な方法の1つかなと思います。

これはあくまで1つの例ですが、
たとえば、その子の生活の時間をどう組み立てるか、
勉強する時間をきちんと生活に組み込むために
その子と共にルールを決めていくなどが考えられます。
その時に、勉強の時間○時間、と言う風に
親の方で先に提案する場合もあれば、
子どもに任せる場合もあるかと思います。
それはその時その時考えていくしかないでしょう。
いずれにせよ、「自分で決めた」というステップをふむことができることが
ポイントになると思います。

またその時、「勉強の時間を確保する」ことにばかりとらわれず、
「この日はみたいテレビある?」とか
「ゲームはどのくらいにしようか」など、
勉強の時間以外も、一緒に考えてあげると
お互い楽しいプロセスにできるかと思います。
自分がやりたいことをある程度ではあっても尊重されると
感じることは、とても重要だと思います。

もちろん、その取り組みにすんなりのってくれるとは限りません。
でもその取り組みにのってもらう間での過程こそが、
親子のコミュニケーションの場となるでしょうし、
子どもが動かないでいるという状態に寄り添うということになるでしょう。
その中で、上記の方法以外の、
その子どもにとって受け入れられるチャンネルは何かが
見えてくるかもしれません。

そのプロセスをがまんできるかどうかが鍵になるかと思います。
もちろん、子どもの言いなりになる必要はありません。
ただ、相手の言い分を聞いた上で、
コミュニケーションをするということです。
その中で、子どもは親の「器」を試しているのかもしれません。

また、コミュニケーションの中で
「あなたのためよ」という言葉を使いたくなったら、
それだけでなく
「あなたのためになると、お母さん(お父さん)は思う」と言った方が、
相手を個別の人間として扱っていることを伝える言い方にはなるかと思います。

1つの場面を想定した上で、考えたところを答えさせていただきました。

公開講座続報と「大学の先生」イメージについて

2010-10-06 14:58:41 | 授業日記
ご無沙汰しております。
一週間ほど出張していました。
昨日久しぶりに大学に来たところ、前回のブログに書いた公開講座の
アンケート集計結果が届いていました。

満足度は5段階評定なのでそれを5点満点と計算すると4.2点。
かなり満足されて帰られた雰囲気でこの点数でしたので
今後の点数の読み取りの参考になりそうです。

大学規定のアンケートなのでその他にも色々項目はあったのですが
「時間の長さは適切だと思いましたか」について、
・短いと思う。
・2時間はあっという間で物足りなく感じました。つまらない話だと苦痛でしょうが、充実した時間はなんて速い・・・。

これは「適切でない」という趣旨の回答なので
時間設定は失敗だったと反省すべき点なのでしょうが、
その理由として、私個人の講演ではいただけないような賛辞をいただけて、
とても嬉しく有り難く、共同の講演はいいものだなあと思ったりしました。

それで項目回答が終わると、自由記述欄の内容も
示されていたのですが、そこで一番先に目を引いたコメントが

「みなさん大学の先生なのに、お話が上手でびっくりしました。楽しかったです。」

ふむう。

なかなか興味深いコメントです。

「大学の先生=話が下手」

というのは、定着しているイメージなのでしょうね。
今回はたまたまお褒めを頂きましたが、
これまで、下手な講演をしてしまった際に
「大学の先生だから仕方ないかもしれませんが」のような
前置きをいただいてご意見をいただいたこともありました。

考えてみれば、「大学の先生に見えません」
「大学の先生なのに」という言葉を
褒め言葉と共にいただくことは少なくありません。

「大学の先生」というのは、基本的には研究者の集団なので
偏屈だったり自分の世界に入り込みすぎていたり、とにかく、
「世間から見たらダメな人たち、でも専門的分野には強い」
というイメージがあるのでしょう。
それが事実かどうかは…ご想像にお任せします。

・・・と書いていたら、今、たまたまゼミ生が来たので聞いてみました。
彼によると、大学の先生は、
・堅い、上からものを言う感じ
だそうです。
「あ、でも、話をわかってくれるのも大学の先生!」なども
付け加えてくれましたが…

というわけで、大学の先生という肩書きを持っていると、
普通の人間として行動しているだけで褒められるということが
あるようだ、とよく感じます。

こういうのを、「割引原理」「割増原理」と言います。
通常ならダメだなあと思われることをしても、「大学の先生だから仕方ない」
普通の人なら誰でもやれるようなことをしても、「大学の先生なのにすごい」
というふうに、マイナスは割り引かれ、プラスは割り増しされる効果です。

たぶん、普通に生きているより褒められる回数が増えていると思うので
それは嬉しいことなのですが、その褒め言葉を、
「大学の先生」肩書きを背負わないところでも
信じていていいのかどうか、どの程度の割り増しで褒められているのか、
とっても疑問です。

それにしても、割引原理・割増原理が適用されるような
「大学の先生」イメージって
一体どこから作られたのかなあ…。
テレビやドラマの影響でしょうか。

などと思っていたら「授業です」とゼミ生に回答されてしまいました。
ああ、そうですね…仰るとおり。

…と感心している場合ではありません、
急に刃がこちらに向かってきました。
そうです、私も、イメージ作っている一人なんだ…
「『大学の先生なのに』と褒められます」なんて
浮かれている場合じゃありません。
後期も始まったことだし、そうならないように、
授業をしっかり頑張りたいと思います。