goo blog サービス終了のお知らせ 

randomnote

日記。

死児の屍

2012年02月09日 | 台湾風俗誌
第5節 死児の屍
  一醫あり、投薬を誤り、人の愛児を死せしむ、主家之を詰まりて曰く、汝須らく為に殯殮(ひんれん;もがりおさめ)すべし、否らずんば之を官に訴えん、醫已む無く許諾し、依て児屍を薬箱中に匿して携へ帰る中途に又一家に邀(むか)へられ、往いて箱を啓(ひら)き、薬を用うる時、誤りて児屍を露はせり、家主驚き問う、答えて曰く、此れは是れ別人の医者の殺せるもの、我れ携へ帰りて蘇活せしめんとすと

 或るところにお医者さんがありました、薬を間違えて、人の大事な子供を死なせてしまいました。
親は怒って、お医者さんに葬儀を出すように言いました。「約束をやぶったら役所に訴えます!」と。
お医者さんはやむなく、「わかりました、すみませんでした」と言って死んだ赤子を棺の代わりに薬箱に入れてしまいました。
又他の家族から「ちょっと先生、家族の者を診察して下さい」と言われ、そこの家に行って診察をする事になりました。
診察をして薬箱を開けて薬を出そうとした時に、間違えて死んだ赤ちゃんが見えてしまいました。
家の者が驚いて「先生それは??」と、
お医者さんはシドロモドロにこう答えました。「う、これは別の医者が死なせてしまい、これから我が治療院に戻ったら蘇生を試みようと思っているところです」


 コメント:原文では、葬儀では無く、殯殮(ヒンレン、もがり、おさめる、)と有ります。
脱線になるのですが、これは古代の死生観。
人が死と言う事を理解する為に、死体が腐り、白骨化するまで、そっと棺などにおさめておく事を言います。
あまりにも悲しくて死んでしまったなんて信じられず本当に死んでいるか覗いて見たりしてしまう人もいたでしょうか。
日本でもあった、古い風習です。
そうしてちゃんと頭も心もその人が亡くなったの理解していくのでしょう。

もがりという言葉だけ探すと最近「もがりの森」と言う映画も有りました。

大化の改新の時に「薄葬の令」という法律が有りました。爾来、仏教の伝来と共に、火葬などに変わり簡略化が進みました。
でも仏教の供養で七七日(49日)や百か日などに故人の霊が段階を踏んで霊界に赴くという考え方も、この殯殮にもとを辿って見る事が出来るかもしれません。
台湾の風俗風習は道教や仏教などたくさんの宗教、宗派がありますが、人の死は簡単に宗派によって分けられるものでは無く、共通して悲しい時はみんな悲しいです。
うまく結論は出ませんが、人は悲しみを越えるためには時間がかかるのでないでしょうか。


死児屍
 有一個醫生、由於用薬錯誤、而把入家的愛子給治死、苦主威脅他説…『你一定要為我愛子辦理喪事、否則我就到衙門去告你!』醫生只好承諾、於是就把死屍放在手提箱𥚃帶走、可是途中他又到另一家去出診、當他打開箱子取藥時、不小心把死屍露出來、這家患者看到就很鷲恐的問、醫生回答說⋯『這是別的醫生治死的、我準備帶回家給他治活。』

台湾人の一口噺 ノコギリを使って矢を切る。

2012年01月25日 | 台湾風俗誌
第4節 鋸(のこぎり)を用(もち)いて箭(や)を切る  


 一人演武場に於いて誤りて飛箭に中(あた)る、外科醫を迎へて之を治せしむ、醫曰く、易事(えきじ・たやすきこと)のみと、乃(すなわ)ち小鋸(このこぎり)を用いて、其の外部の箭のみを裁り去り、依りて謝儀を求む、内部の箭は如何んと問へば、答へて曰く、是れ内科醫の事なりと

  ある人が演武場で誤って弓矢の矢にあたってしまい、刺さって抜けず、
急いでお医者さんを呼びました。駆けつけたお医者さんは
「大丈夫、簡単です。」と言って、
ささっとノコギリを出して刺さった矢の外部だけ切り取ってしまいました。
そして診療報酬を求めたので、
「ええっ! 体の中の矢の先は…。」
と問いただすとお医者さんは言いました。
「あっ、ココから先は内科医の仕事になります。」

用鋸截箭
 有一個人在演武塲誤被飛箭射中,於是他就請一位外科醫師來為他診治,醫師看了看傷口說,,『這很簡單!』說完就拿起一把小鋼鋸,把留在傷口外部的箭柄鋸斷,患者問他射在肉裏的箭怎麼辧,他的回答是,,『我是外科醫生只能治外部,射進肉𥚃的箭你要請內科醫師來治。』

台湾人の一口噺 のんきな子とせっかちな子・性急急緩

2012年01月24日 | 台湾風俗誌
第3節 性急急緩 のんきな子とせっかちな子
 某子 性(しょう)極めて緩慢なるあり、嘗て一足靴を新調す、其の友の一人、性甚(はなは)だ急なり、之を見て問ふらく、靴の價幾何ぞ、某子片足を揚げ、徐(おもむ)ろに示して曰(いわ)く、六角半なり、友 忽(たちま)ち怒りて曰く、彼の狡商、余の靴を新調するに、正に其の二倍を収めりと、某子徐に制して曰へらく、慢慢聴!他方の片足の靴も、亦(また)價六角半なりと

ある呑気な性格の子がいました。一足靴を新調しましたが、それを見てせっかちな性格の友達が聞きました。
「その靴いくらで買ったの?」
のんきな子は片足を揚げておもむろに
「六角半だよ」と言いました。
「ズルい商人め!騙された!」友達はたちまち怒り出しました。
だって自分の靴は二倍の値段で買ったのだから。
のんきな子は制して曰く、
「まあまあ、ちょっと聴いてよね。もう片方の靴もまた、六角半だったんだよ」と。

有一個慢性人,某日買了一雙新鞋穿著,途中遇到一個性急的朋友,就問他這雙鞋多少錢,他慢呑呑的伸出右脚說,,「六角半」、急性的朋友很生氣的說,,『唉呀!我被奸商騙了,我這雙鞋跟你的完全相同.可是竟然用了一元三。』這時熳性的才又伸出另一隻脚説、、『這一隻的價錢,也昰六角半。』

台湾人の一口噺 第2節 馬を借りる

2012年01月22日 | 台湾風俗誌
第2節 馬を借りる    借馬

一富翁あり、文に通ぜず、一日友あり、手紙を寄せて馬を借らんとす、書中に曰ふあり、僕偶(た)ま他出せんとす、乞う俊足一乗を借らんことをと、翁怒りて曰く、我も亦只だ足二本を有するのみ、如何ぞ其の一足を他に借すを得ん、一人傍に在り、解して曰く、俊足とは馬足なり、怒るを休めよ、
翁益々怒りて曰く、咄何ぞ無禮(ぶれい)の言を為す、我も馬足ならば、彼奴は驢(ろば)脚ならんのみと

お金持ちの爺さんが一人居た。あんまり文字は読めなかった。
ある日友だちが馬を借りようと手紙を書いた。手紙にはこう書いてあった。
『たまには遠出しようと思って、そこで、俊足を一乗り、借りれませんか?』
爺さんは怒りながらこう言った。
「ワシもあいつと同じ二本の足を持っている、その足を一つ、人から借りようなんて!」
そばに居た人がこれを聞いて、「まあまあ爺さま、怒らないでよく聞いてください。俊足、とは、馬の足の事ですよ。」
爺さんはますます怒ってこう言った。「ワシの足を馬扱いしおって、ワシが馬なら、、彼奴は足はロバの足だ!」
(教訓;なんでも人から借りないでなるべく自給自足で行こう!)

 有一個不認識字的富翁、某日朋友寫信向他借馬、朋友在信中説、、、『因為我有外出、請借俊足一乗以代歩。』富翁聴了這話很生氣的說、、『我只有兩條腿,又怎能借給他一條!』這時在旁的一位管家釋說、、『「駿足」並不是指䐚,而是指馬足,請老爺息怒!』不料富翁聽了更加氣憤說、、『他也眞是太沒禮貌了,竟然說我是馬足,那他是驢足了!』

台湾風俗誌 台湾人の一口噺 第1節 鼻影を棗(なつめ)となす

2012年01月20日 | 台湾風俗誌
台湾風俗誌第6集
第1集 台湾人の一口噺

第1節 鼻影を棗(なつめ)となす
近視眼者あり、某家に客たり、主人饗するに茶を以ってす、客、茶碗底中、己(おのれ)の鼻影の映ずるを見て誤りて橄欖(かんらん;オリーブに似た木ノ実;カンラン科 Burseraceae Kunth)となし、撈模(ろうもう;探り取ること)として已(や)まず、之(これ)を久うして忿り極り(いかりきわまり)、乃(すなわ)ち指を以って撮(つま)み、力に任して之を咬む、指忽ち(たちまち)破れて紅血流る、客、仔細に之を視て曰く、吾れは只た橄欖なりしと思ひしに、原と是れ一個の紅棗なりしかと説くに理(ことわり)を以ってし、喩(さと)すに情を以ってするも尚且(なおか)つ頑迷悟らざるの徒、将(はた;また。あるいは。)此の近視の客の類のみ


【現代語訳】鼻影をナツメとする。
近眼の人がお茶に呼ばれてある御宅に行きました。ご主人が入れてくれたお茶を楽しんでいたら、茶碗の底にカンランという名前の木の実が底に沈んでいる、指でつまんで食べようとするけれど、なかなかうまく掴めない、それもそのはず、だって自分の鼻影が茶碗に写っていてそれが木の実に見えてたのさ。そのうちイライラして来てついに力一杯に茶碗の底に指を入れると、指が茶碗にぶつかって血が出たよ。それでも「自分はカンランの木の実だと思っていたけど、これは紅いナツメの実ですか?」と聞くので主人はいろいろ説明したんだけど、なかなか近眼のお客は頑迷に自分の意見を変えなかったとさ。。。って痛くなかったの⁉


一、以鼻影為棗
 有個大近眼、到親友家去作客,主人用茶水來招待他丶不料客人竟把茶碗底上的鼻影誤會成昰一顆大紅棗。於是就準備撈來吃,可是撈了很久也沒撈上來,最後就很急躁的用手來撈,結果竟被他 「撈」 上來了,於是就使勁用嘴來咬,不料竟把手指咬得鮮血淋漓,這時他就氣急敗壞的説⋯ 『我蠻以為是一顆大紅棗,原來竟是一顆大橄㰖。』 其實他咬的既不是橄欖也不是紅棗,而是自己的手指頭,比喻頑迷不知醒悟之徒。



第1章 台湾人の出産第6節から第10節

2009年10月07日 | 台湾風俗誌
第6節 産婆 a midwife.

産婆は「拾囝婆」(キヲキアポオ)または「収生婆」(シウシポオ)と云う、技術なく、免状なく、僅かに経験あるもの之をなす、但し近来台湾各地の医院に於いて助産婦(士人婦女)を養成しあるを以て将来大に区別あるを見るべし

第7節 胞衣(えな)the placenta ((胎盤などの総称)).

胞衣は瓶に収める紅紙を以て密封し庭隅または宅前の畑中に埋む、若し火の為焼くる(野焼きなど)ことあらば其の兒必ず火の為に死すと云ひ又初産の臍帶を保存し置き他日成長の後他人と訴訟するに際し之を帯び行けば大膽となり必ず訴訟に勝つと云ふ

第8節 難産 a difficult delivery.
難産なるに遭えば家人外に出で槌にて地を打つときは胎児乍ち生ると云ふ、
又、天公祖(チエヌコンソオ)に「求苦、求難」(キウク、キウナン)と称する祈りをなし、尚ほ出生せざるときは胎の祟りなりとし道士を請ひ「催生」(ツイシエン)と称する祈祷をなす

第9節 俯伏(うつぶせ)産 
小児出産の際うつ伏せし出でたるものは親及び親族に祟りなすと云ふ(明治四十一年台南南梓仙溪里二重溪庄陳水連の妻張氏糟なるものうつ伏せ産をなしたるを以て大いに之を恐れ嬰児を壓殺し罪人となりたることあり)

第10節 死産 a stillbirth.
胎児死産なる時または産後直ちに死したるときは死児を水中に棄つ、若し水中に棄てざれば鬼(クイ・怪物)と化し祟りをなすのみならず将来子を孕まずと云う

第五節 臨産 childbirth

2009年09月14日 | 台湾風俗誌
第5節  臨産
臨産に至れば産婆(只産に経験の在る婆)及び近隣の婦女二三人産婦の両肩及び腰邊を扶翼し、産婆は仔が出つるのを待って手を以て之を接受し臍帯を断ちて布に包む、一面傍らの人産婦を介抱し床上を清め産婦を被(ポエ)・(布団)に靠(もた)らしむ、此の時四壁風の入るを防ぎ、力めて安静を保たしむ、産婦は逆上其の他眩暈に陥り易きを以て酢を焼き之を嗅がしむること一日数囘す、また未だ食物を取らざる幼児卽乳児の溺(いばり)に熱酒を混じて飲ましむ、之を精神を興奮せしめ血暈等に罹らしめざる為の予防なり、之を安胎薬(アヌタイイオ)と云ふ、又人参を用ふるものあり


第4節 臨月 the last month of pregnancy

2009年09月06日 | 台湾風俗誌
第4節 臨月
臨月に近づけば産婦の房中は介抱の婦人のみ出入りし他人の往来を避くるものとす、但し下流の婦人は旦に田野に出で、夕べに家に歸えるを常にするを以て以上の禁を守ることなし

本島婦人の子女を産するに二様あり、一は眠床(ビヌツン)に於いてし、一は床下に於いてす、中流以下は多く床下に於いてなすものなり、床上に於いてなす者は先ず床上に草蓙(ござ)を舗き更に破れたる衣褲を重ね上に油紙を布きてなす、床外(シャウグワイ)に於いてするものは床外に枯草又は藁を布き産褥となし傍らに「子桶キアタン」と稱する桶を置き臨産の時床より下り産褥に移りて産し汚物は此桶の内に收む
臨月に當り突然腹痛起り、いは止み、或は起り、―二日及至四五日にして胎水来り腹痛止まざるものあり、之を弄産(ラヌサウ)と云ふ、又臨産の一箇月前突然腹痛起りて未だ出産せず、之を試月(チイゴエ)と云ふ如此き時は土人は十三味(サプサアビイ)又は成化湯(シェンホアタン)と稱する安産の藥を用ふ


第3節 男子系統主義 succession in the male line.

2009年08月31日 | 台湾風俗誌
第3節 男子系統主義
何れの國の人と雖も出生を慶び、子孫を愛し、其増殖繁栄を希ふは人類の通常なり、特に支那(原文ママ)人種に於いて其甚だ深きものあり、その亜流たる台灣人に於いて亦異なる所なし、之れ古来より宗祧継承(ソウテウケイショウ)及び祭祀(サイジ)の制度を重んじたるに起因すべきも亦原則としては系統主義にして其系統に非ざるものはその宗祧を祭を得ず且つ男系主義にして宗を承け祭を継ぐものは必ず男子なり又嫡長主義にして長を尊び幼之に次ぐ直系主義にして父の後を襲ふものは子、この後を襲ふものは孫ならざるべからずと云ふに起因するものなるべし、然して婦女懐胎するときは常に孕婦の身體を安静にし精神に異常の感動を与え身體に過度の労を与ふるが如きを戒む、昔は儒教の教義より胎教と称し、古人の教育を重んじ、胎内に在るときより已に其端を開く教育、即ち擧止端正(きょしたんせい)にその見聞する所悉く禮(レイ)に合しむる等の事ありしも今の台湾に於いては見る能わざる事なり

第1集

2009年08月28日 | 台湾風俗誌
台湾風俗誌第1集

第1章 台湾人の出産
第1節 病囝(ビイキア)
夫人の懐胎の始めを病囝と称す、これ内地の「つわり」なり、病囝婦人の身体生理状態は内地婦人の「つわり」と異なる所なく、唾液は頻(しき)りに出て酸味を欲し時々頭痛あり、又悪寒嘔吐を催し心気万時に懶き(ものうき)など皆同じ。

第2節 迷信
病囝より臨月に至るまでの間衛生上の注意として別に記すべきことなし、只迷信的注意二三あり、胎児は胎なる神の支配を受け居るものなれば若し此の怒りに触れるる時は胎児を奪われると云う、此の胎は姙婦の居住する家屋内に在りて或る時は箱、ある時は桶、籠等何れの處に居るや一定せず、若し不知の間に妊婦之れに触るる時は胎怒りて妊婦を病ましむ、此の時妊婦は道士と称する祈祷者を呼び来たり「安胎」と称する祈祷をなす。道士は病囝者(妊婦の枕邊)にて鉦笛を鳴らし数時間読経し後ち符(ふ)と称する呪文書きたるものを床柱或いは門柱に貼布し、尚ほ呪文を唱へつ、湯又は水を飲ましめ、之を以て胎去り、胎児安全を得たるものとなす風あり、又「換斗(オアタウ)」という語あり、
已(すで)に懐胎せる胎児を祈祷の結果女子又は男子に変胎せしむるものなりといふ、その法先ず「青瞑(セエメエ)」と称する盲目の祈祷者又は道士に請ひ、米桝に根のある芙蓉花を植え祈祷者とともに神廟に持ち行き、牲醴香燭を供へ、道士神前にて読経し、婦人はその傍らに香を焚き紙を焼き(銭紙と称するもの)三跪九拝し心中に換斗(オアタウ)(變胎)を祈り、数時にして家に帰る、其れより三日間室内に於いて祈祷を継続し、後芙蓉花を庭前に植え以て變胎し終わりたるものなりと云う、此の時詣づる廟は臨水婦人廟(リムツイフジンビオ)又は「註生娘娘[ツウシイニウニウ」の廟にしてこれ等の神は胎児を授くるの神なりと云う、妊婦室内に於いて物品を縛するときは手足湾曲せる俗に茗荷児(ミョウガジ)なるものを生ず、又剪刀を以て鋏む時は無耳児(ムジジ)生じ、錐又は針にて物を貫けば盲目児(モウモクジ)物を焼けば(ショウランジ)、傀儡戯を見れば無骨児(ムコツジ)牛を牽く縄を跨ぐときは十二箇月にして児生まれ、喪家の演出したる芝居を看れば不吉なりと云う、又夜間外出すれば黒虎神に觸れ必ず凶あり、盂蘭盆会の時妊婦の腰桶を庭前に露出するときは普度公(ポオトオコン)の怒りに觸れ凶あり、死人の棺に觸るれば児夭折すると云う(その他迷信の部参照)

(うーん、これは家事をやらせない為の知恵かもしれないね。)