臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日俳壇から(7月21日掲載・其のⅣ・待望花金特集版)

2014年07月25日 | 今週の朝日俳壇から
[大串章選]

(つくば市・松本精)
〇  青田道少年の日へ真直

 「青田道」への向こうへと「真直」に歩みを続けたら、本作の作者は彼自身の「少年の日」に辿り着く事が出来るのでありましょうか?
 否、否、どんなに歩み続けて行っても彼は決して決して「少年の日」に辿り着く事は出来ません。
 彼にとっての「少年の日」こそは、今や、永遠に辿り着く事が出来ない幻影に過ぎないのである。
 〔返〕  熟し田へ真直ぐに歩む老残の頬の照りこそ滅びへの讃


(北九州市・伊藤信昭)
〇  蚊帳捨てて昭和が一つ消えゆけり

 我が家にも六畳間用の白蚊帳が一張り有って、和室の天袋の中に封じ込めている段ボール箱の中に居て惰眠を貪っているはずであるが、あのものの役にもたたない白蚊帳を捨ててしまったら、私は私自身の手に拠って、「昭和」を「一つ」捨ててしまう事になるのでありましょうか?
 否、否、「昭和」とは、私たち老残の意識の中に在る形而上の存在でありますから、決して決して斬った張った出来るものではありませんし、当然の事ながら捨てたり殺したりする事が出来るものではありません。
 〔返〕  父母が購ひ求めたる青蚊帳を釣れど聞こゆる雷の音


(秋田市・中村榮一)
〇  陶枕に載する頭をやはらかに

 秋田県内では、この頃「秋田の柔らか頭」という言葉が持て囃されているそうである。
 その発端は、公立学校に在籍する小学六年生及び中学三年生を対象として文科省が毎年行っている「全国学力テスト」に於いて、ここ数年間連続して秋田県の児童・生徒が第一位の栄誉に輝いているという点にあったのである。
 私に言わせれば、「秋田の柔らか頭」なる「無い頭」を現出させる為に、秋田県内の公立小中学校の教師たちが、如何に無い知恵を絞って頑張らせられ、サービス残業を強いられているという事である。
 彼らは、新学期早々から、自分の勤務する学校の児童・生徒たちに「全国学力テスト」を受験させる為に予備テストを重ね、「今回は私が担当する一組の平均点が二組の平均点よりも三点も高かった」とか「低かった」とかと云い合っての競争に終始し、教育とは言えない教育を行っているのが現状という事である。
 そうした忌まわしい現状を、文科省の担当者たちが認めざるを得ない立場に追い込まれての事なのかどうかは知りませんが、過日の朝日新聞に掲載された関係記事に拠ると、文科省幹部が「予備テストを行うのにも、児童生徒の学力増進をは図るという積極的な意義がある」という趣旨の談話を発表した、とか?
 まったく、この世の中はどのようになっているのでありましょうか?
 今年度以降の「予備テストブーム」が今から危惧されるのである。 
 ところで、本句にも登場する、「陶枕」なる睡眠用具は、「古代中国に於いて、一夜の宿も求める旅人たちに、『その枕に頭を載せて眠れば疲れが取れて安眠できるよ』と持ち掛けて眠らせ、旅人たちが寝に就くな否や、旅人たちの頭を木槌状のもので思いきり殴打して殺戮して金品を奪う」という悪辣な理由で以って生産され、普及した、との説が為されているのであるが、その点に就いての「やはらか頭」の本句の作者・秋田市にお住いの中村榮一さんのご意見は如何でありましょうか?
 〔返〕  寝た途端ぐしゃっと遣られ死んだなら柔らか頭で受験が出来ず


(豊後高田市・木村和人)
〇  箱庭の如き眺めの村に入る

 「そう、そう、旅をしていると、そういう村に時々出会う事がありますよ。尤も、村と言っても、家の数がせいぜい十数軒の規模であり、村と言うよりは集落と言ったら適当なのなも知れませんが?」とは、私・鳥羽省三の謂いである。
 〔返〕  掃き溜めの如き眺めの村も在り


(京都市・水船つねあき)
〇  山の子の飛込み海の子たぢろがす

 「あの高い崖の上から深さも定かで無い淵に飛び込むんですから、到底、海の子たちが敵う訳はありませんよ!」との弁も亦、私・鳥羽省三の謂いである。
 〔返〕  芋の子の黒さ馬鈴薯敵し得ず


(高山市・大下雅子)
〇  形代の水に透けゆく薄さかな

1年間、365日の中間に当たる6月の特定のの選び、過去半年間の諸々の罪業を祓い、厄を落すという趣旨に基づいて行われる「夏越しの祓」という伝統的な年中行事が在るが、本句の題材となった「形代流し」という行事は、その「夏越しの祓」の一形態であり、東京都荒川区の素盞雄神社を肇とした日本全国各地の神社で行われている。
 その次第を、7月上旬の平日に行われる素盞雄神社の場合を例にして説明すると、「この日の朝、氏子たちが一堂に参集した素盞雄神社では、それまでに氏子連中が納めた、「形代」と称する、人形(ひとがた)を象って切った、和紙を織って創った紙の人形を、一人一人の氏子連が自らの身体に擦り付ける事に拠って、自らが過去半年間に背負った諸々の罪業や穢れや厄災をその「形代」に移し、これを我が身の身代わりとして、素盞雄神社からほど近い隅田川の水面に流し入れるというだけの素朴なお祀りである。
 「形代」とは、即ち「人間の身代わり」という意味であり、和紙を折って創った神人形をも「形代」と言うのである。
 思うに、鳥取市の用瀬川などの全国各地で雛の節句の一環として行われる「紙雛流し」なども、「形代流し」の一形態かと思われ、さらに想像をたくましくして言えば、岐阜県高山市に在る、岐阜県立斐太高等学校の卒業生たちが3月1日の卒業式が終わった後に行っている「白線流し」なども、その一形態かと思われるのである。
 人間を象っているとは言え、「形代」は所詮「紙人形」に過ぎませんから、水面に放たれた瞬間から透けて溶け始め、やがては隅田川を流れる、冷たい水と同化してしまうのでありましょうか?
 だとすれば、「形代」の儚き命こそ真に哀れである。
 〔返〕  諸々の厄背負はせられ流されて水に消え行く形代哀れ


(群馬県東吾妻町・酒井大岳)
〇  鉄道に学ぶ童ら駅涼し

 句中の「児ら」は、いわゆる「ゆとり教育」の一環として、群馬県東吾妻町大字原町に在る、JR吾妻線の群馬原町駅に社会見学に遣って来たのでありましょうか?
 群馬県と言えば、夏の気温が我が国で最も高い地域ではあるが、群馬原町駅は、標高(海抜)約363メートルの高原駅であるから、とても涼しいのかも知れません。
 〔返〕  SLに群がる鉄馬鹿いと憎し.


(東村山市・高橋喜和)
〇  藍浴衣同級生に出くはしぬ

 かつては相思相愛の仲だった二人がそれぞれ恋人の手を携えて浴衣姿で出会ったとしたならは、それなりの恥ずかしさと共に懐かしさをも感じることでありましょう。
 〔返〕  どうだ見ろ!今の彼女のまぶい顔!お前と切れて俺は良かった!


(横須賀市・菅沼ひろし)
〇  星に生れ星に暮らして星祭る

 神奈川県に於ける「七夕祭り」と言えば、「平塚の七夕」が定番である。
 あの味も素っ気もない横須賀市の住民が、本家・アメリカさんの目を盗んで「七夕祭り」などという風流な行事を行うのでありましょうか?
 〔返〕  哀れなる星に生れて街角で笑みを浮かべて春を売る 
 これが横須賀の女性の通常の暮らし向きだとするならば、横須賀の人口が激減している理由も解る訳である。
 〔返〕  横須賀を逃げて喜多さん何処へゆく東海道中五十三次


(横浜市・橋本青草)
〇  砂日傘泳ぐ気の無き人ばかり

 もしかしたら、「ビーチパラソル」のことを横浜市のハイカラな連中は「砂日傘」と言うのでありましょうか?
 〔返〕  派手なウェア滑る気の無き人ばかり


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