臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日歌壇から(9月11日掲載・其のⅡ・ピアニシモから始まる虫の音)

2011年09月16日 | 今週の朝日歌壇から
[高野公彦選]

○  この雨が秋の扉を開いたかピアニシモから始まる虫の音  (神戸市) 田崎澄子

 「ピアニシモから始まる虫の音」という表現は、なかなか文学的な表現とも思われますが、「ピアニシモ」即ち“きわめて弱く”を指定する音楽用語は、歌人好みの語と思われ、短歌作品中にしばしば用いられている語である。
 「ピアニシモ(ピアニッシモ)」の反意語は「フォルティッシモ」であるが、この語は、字数の関係に重なり、イメージの関係も在るのか、短歌作中に用いられることは殆どありません。
 〔返〕  ああ哀し大江光の『ノクターン』ピアニッシモからフォルティッシモへ跳び  鳥羽省三


○  思い出など聞いてやらない私もう脇役人生など歩かない  (東京都) 上田結香

 学校や大きな病院、或いは社会福祉施設などに行くと、白衣を着ていて、胸に「カウンセラー」という職種を表す札を下げた人物に出会うことがある。
 彼らは、生徒や患者や収容者たちの話を聴いてやり、適当なアドバイスをしてやることを仕事にしている職員であるが、彼らが相手とする人々の多くは、アドバイスよりも話を聴いてもらうのを楽しみとしている人が多いから、「カウンセラー」たちの仕事の多くは、「思い出」話を聴いてやることであるとも言えましょう。
 人々の「思い出」話を聴いてやることを仕事としながら、彼らは、それぞれの教育施設や社会福祉施設の“主役”とも言うべき位置を占め、彼らがそれぞれの施設の「脇役」であるなどとは、彼ら自身は勿論のこと、彼らの周囲の人々も、誰一人として思っていないのである。
 本作の作者・上田結香さんは、「思い出など聞いてやらない」「私もう脇役人生など歩かない」などと、やけっぱちみたいなことを仰って居られますが、彼女に「思い出」話をする者は、彼女ご自身の祖父母か、彼女の配偶者の祖父母、或いは彼女のぐうたら亭主だけであったのではありませんでしょうか?
 だとすれば、彼女自身は、他人の「思い出」話を「聞いて」やりながら「脇役人生」を歩いていた、と言うべきでありましょう。
 これからは、然るべき施設の「思い出」話の聞き役として、それぞれの施設の“主役”としての「人生」を歩みましょう。
 でも、“主役”と言えるような立場に立つ為には、それなりの資格が必要であり、それなりの資格を取得する為には、それなりの勉強が必要かと思われます。
 〔返〕  思い出など聞いてもらえるだけでさえ心が癒され救われるかも   鳥羽省三
  

○  親戚に居づらくなりてか被災者の一家が疲れて病院に来る  (平塚市) 西 一村

 「疲れて」いるから、という理由だけで「病院に来る」人が多くなった、という話を多くなったと聞いたことがあります。
 私の父親の世代の人間は、「『病院』とは、死亡診断書を書いてもらう為にのみ行く施設である」などと嘯いて居りました。
 高齢者の医療費が高額となったことを理由の一つとして、民主党政府が消費税額の倍増を叫んでいるのも尤もなことと言えましょうか?
 〔返〕  嫁さんの悪口言うため病院の待合室に出掛けて来るのか?   鳥羽省三


○  ヒマワリはかなしき花となりにけり汚染の土地にあまた咲きいて  (福島市) 美原凍子

 この名人上手の手に掛かってしまえば、桜でもチューリップでも「ヒマワリ」でも「かなしき花となりにけり」と成り果ててしまうのでありましょうか?
 〔返〕  福島も夕張同様寂れにき明日私は何処に住もうか?   鳥羽省三


○  父を母をかえせと哭きし峠三吉 土を村をと呻く福島  (名古屋市) 諏訪兼位

    ちちをかえせ ははをかえせ
    としよりをかえせ
    こどもをかえせ

    わたしをかえせ わたしにつながる
    にんげんをかえせ

    にんげんの にんげんのよのあるかぎり
    くずれぬへいわをへいわをかえせ      (峠三吉著『原爆詩集』より「序」)
 〔返〕  補助金や箱物道路を棚上げに 桃よ牛よと騒ぐ福島   鳥羽省三

 
○  美しく老いてゆくこと難しい転びこぼして縮んでゆけり  (赤穂市) 内波志保

 往来を歩いていて「転び」、病院の待合室で愚痴を「こぼして」、志が「縮んで」い行ったのでありましょうか?
 だとすれば、「美しく老いてゆくこと」は、真に「難しい」のであり、あの八千草薫さんさえも、“皇潤”の助けを必要としているということである。
 〔返〕  皇潤を服用したから老いぬのか八千草薫は今に芳し   鳥羽省三  


○  蝉採る子蛙採る子の声ひびき平均年齢下がる盂蘭盆  (鳥取市) 中村麗子

 今時の都会の子供たちは、父母の生家の在る田舎に「盂蘭盆」に出掛けても、カブトムシやオオクワガタならまだしも、「蝉」や「蛙」などを採りたいなどとは決して言いません。
 都会の孫たちに、「蝉」や「蛙」を採らせようと待ち構えているのは、田舎の爺さん婆さんだけのことである。
 それに、「盂蘭盆」の間の二、三日の間に滞在した人たちをも、町や村の人口として数えるような習慣は、我が国にはありませんから、本作は、思い付きだけが先走った作品と申せましょう。
 或いは、本作にお詠みになられた内容は、本作の作者・中村麗子さんの、儚く哀しい夢なのかも知れません。
 〔返〕  ケータイやゲーム機がちゃがちゃ遣り出して寿命の縮まる思いの盂蘭盆   鳥羽省三
      ネクターも西瓜も桃も食べ飽きて村一軒のコンビニ通い
 

○  太陽光バネル取付詐欺被害警告放送茶山に響く  (島田市) 小田部雄次

 いかにも、静岡辺りの豊かな茶栽培農家の実態をお詠みになられた作品のようにお見受けさせていただきましたが、評者の極めて素朴に気持ちを述べさせていただきますと、「この際は徹底的に騙されて、『詐欺』を働く犯人を絶滅する一助となるべきであろうか」とも思います。
 〔返〕  火災報知器取り付け被害増大と消防署員が巡回してる   鳥羽省三



○  首のべて翔ぶ白鷺のかげふたつ連れだつめをとうつくしきかな  (大分市) 岩永知子

 いきなしに「首のべて」とあったので、江戸時代の極悪犯人が捕まって、 小塚原刑場に引かれて行って、“人斬り浅右衛門”こと山田浅右衛門の前に、「首」を差し伸べている場面かと思いました。
 本作で詠まれているような光景は、日本全国、至るところで目にすることの出来る光景であり、私の住いの在る川崎市内に於いても、しばしば目にすることが出来るのである。
 〔返〕  首のべて嘲り笑う極道の妲己のお百吉原遊女   鳥羽省三   


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