臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日歌壇から(9月11日掲載・其のⅠ・あたいかて越中富山のをなごやで)

2011年09月15日 | 今週の朝日歌壇から
[佐佐木幸綱選]

○  午後零時黙祷一分五十年 昔のベルリンの壁の前にて  (ドイツ) 西田リーバウ望東子

 「ベルリンの壁は冷戦時代の一九六一年八月十三日に東ドイツ政府によって建設された。今年五十周年を迎える追悼式典に参加しての作。三つの数詞の後の『昔の』に思いがこもる」との選評である。
 三つの数詞を比較対照化する狙いがあったとするならば、「午前零時」の「零」は「〇」とするべきであったと思われます。
 〔返〕  ベルリンの壁は壊れてしまったが天然ガスのパイプライン閉め   鳥羽省三
      ベルリンの壁は破れてしまったが天然ガスのパイプライン攻め    


○  県外へ避難する子の荷の中へ机の名札を剥がして入れぬ  (福島市) 渡部かつ子

 末尾の助動詞「ぬ」は、文語の完了の助動詞でありましょうが、この「ぬ」を除けば、本作に用いられている語は全て口語である。
 したがって、この「ぬ」を口語の打消しの助動詞として解釈することも可能であり、そうなると、本作の意は、「『県外へ避難する子』が、頑なにも、自分の『荷の中へ机の名札を剥がして入れ』たりすることを拒んでいる」ということになり、親切心を起こした先生やご両親など大人たちの懸命の懇願乃至は説得にも関わらず、「県外へ避難する子」が、自分の荷物の中に「机」の「名札」という思い出の品を入れることを拒否している、といった内容の作品になるのである。
 作者の渡部かつ子さんとすれば、こうした悪意の解釈が為されるとはつゆ知らず、口語的な発想に基づいて詠んだ作品の末尾に、文語の助動詞「ぬ」を用いることによって、より短歌らしくすることを目論んだのでありましょう。
 だか、本作の場合は、同じ文語の完了の助動詞でも、「ぬ」を用いないで「つ」を用いた方が良かったのかも知れません。
 「県外へ避難する子の荷の中に机の名札を剥がして入れた」、或いは「県外へ避難する子の荷の中に机の名札を剥がして入れつ」となさったら、いかがでありましょうか?
 〔返〕  思い出の品を入れること頑なに拒む吾子の荷造り   鳥羽省三


○  一歳で福島に来た私が生まれる前からあった原発  (郡山市) 畠山理恵子

 と言うことは、本作の作者のご両親たちは、「原発」の所在を既定の事実として受け入れ、「福島」に転住なさったのでありましょう。
 勿論、国を挙げての“安全神話”に騙されてのことではありましょうが?
 〔返〕  かくなると知りせば転住せざりしもあまりに憎き安全神話   鳥羽省三


○  ゆらゆらと非「脱原発」主張する記事目につけばマスメディアらし  (静岡市) 篠原三郎

 「ゆらゆらと」という副詞は、福島第一原発のメルトダウン事故の結果、この宇宙の至る所に「ゆらゆらと」浮遊しているに違いない有害な放射線が空中を漂って行く様を読者に連想されるし、私たち日本国民を知らず知らずのうちに“ストレステストを済ませた原発の再稼動止む無し”という方向に過誘導しがちなNHKや朝日新聞などの「マスメディア」の役割などをも連想させるのである。
 したがって、本作の詠い出しの副詞「ゆらゆらと」の表現効果たるや、実に絶大なものである。
 しかしながら、我が国の「マスメディア」を展望すれば、あの読売巨人軍の親会社である某新聞社などは、“原発依存の態勢の維持”を社是として社説に歌っており、「ゆらゆらと」では無く、“堂々と”「非『脱原発』主張する記事」を毎日のように掲載している、と言えましょう。
 そういう訳で、私には、「ゆらゆらと非『脱原発』主張する記事」を掲載する新聞が「マスメディアらし」いのか、“堂々と”「非『脱原発』主張する記事」を掲載する新聞が「マスメディアらし」いのか、今のところあまりよく判りません。
 〔返〕  ゆらゆらと陽炎揺れる三月の十一日から半年過ぎた     鳥羽省三
      ぐらぐらと国土が揺れた三月の十一日から半年過ぎた
      ぬるぬると泥鰌が出て来て「こんにちは」政権交代三代目総理


○  橙を点す節黒仙翁に黒揚羽来るゆつたりと来る  (熊谷市) 内野 修

 作中の「節黒仙翁」とは、“ナデシコ科・センノウ属”の花であり、オレンジ色の五弁花を咲かせる。
 節の部分が黒いところから「節黒」とされ、「仙翁」は京都嵯峨の仙翁寺に因んでのこととされている。
 「節黒仙翁」は、“転職、転機”を花言葉とする花として知られていることから、本作は何かの比喩、例えば、「平成の絶不況下に在って、転職と人生の転機を求めて悩んでいる人物に対して、“人生は甘くも無いが、そんなに捨てたものでもない。成るか成らぬかは本人次第であるが、一先ず、試してみなさい”とばかりに『橙』色の灯りを点して、行動を唆している邪悪な運命」といったような意味が託されているものとも思われるのである。
 「橙を点す節黒仙翁」という表現の適切さもさることながら、「黒揚羽来るゆつたりと来る」という「来る」を繰り返して言う表現にも、「黒揚羽」という昆虫のイメージ的な特色が描かれていると共に、「黒揚羽」に象徴される、現代社会の悩める若者の心理状態をも描かれているとも思われるのである。
 〔返〕  赤信号点して招く三隣亡三陸福島復興未だし   鳥羽省三


○  スズメバチが双眼鏡の中を飛び巣は少しずつ大きくなりゆく  (川崎市) しんどう藍

 「スズメバチ」の巣作りを「双眼鏡」で眺めているのでありましょう。
 「スズメバチが双眼鏡の中を飛び」と言うことに拠って、微小な「スズメバチ」が「双眼鏡」を用いて観ることに依って巨大に見えることを示し、下句の表現で以って、その「スズメバチ」たちが「飛び」交うにつれて「巣」が「少しずつ大きく」なって行く様をも述べているのである。
 本作の作者は、「『双眼鏡』という不思議な眼鏡を媒介にして観ることに因って、ミクロな世界がマクロに観えること」を言いたいのでありましょうか?
 〔返〕  キッチンでキャベツをきざむ君の尻遠眼鏡に見ゆマリリンのごと   鳥羽省三  


○  猪が昨夜荒らしたる実り田を嘆く声する通夜の座敷に  (三重県) 喜多 功

 「彼が、あの峡田を入院する前日まで精魂込めて耕していた様子が思い出されますよ。それなのに、いよいよ収穫出来る時期になったというのに、彼が亡くなってしまい、おまけに、彼が息を引き取った『昨夜』に限って、せっかくの『実り田』が『猪』どもに荒らされるなんて、何の因果でありましょうか?」などという会話が、「通夜の座敷」で故人の亡骸を前にして交わされているのである。
 「通夜」の席で交わされる亡き人の噂話には、大なり小なり、必ず、幾分かの誇張と虚飾が混じっているものである。
 私は、そうした誇張し虚飾の混じった噂話を聴くのが辛いので、例え、自分自身の「通夜」の場合でも、その席に連なる気がしません。
 〔返〕 叔父甥が遺産を巡り諍ふと通夜の席にて悲しき噂   鳥羽省三


○  いつもより広い世界が見たいからベビーカーより抱っこをせがむ  (東京都) 森住貴子

 母親なればこそのご発想でありましょうか?
 「ベビーカー」に乗せられた赤ちゃんが、しきりに「抱っこをせがむ」のは、母親の優しい顔を間近にしていたいことと、母親の体臭を嗅いでいたいからでありましょう。
 〔返〕  抱っこ癖ついた子供の将来は親離れせず嫁も貰えず     鳥羽省三
      抱っこ癖つかぬ赤子のなれの果て屁理屈ばかりの鳥羽省三だ   


○  「あの山が比叡山やで」運転手さんのごつごつした指の先  (富山市) 松田わこ

 この際ですから、松田わこさんに確かに申し上げますが、「夏休みは、もう終わったんですよ。いつまでも、京都への家族旅行の思い出などに浸っていないで下さい。度が過ぎると勉強の妨げにも、友達関係の妨げにもなりますよ。いえ、歌材が家庭内のことばかりに拘っていると、歌人としての成長の妨げにもなります。」
 それはそれとして、「『あの山が比叡山やで』」と、京都弁まで聞き分けての、松田わこさんの観察眼の鋭いことよ。
 「運転士さん」が「ごつごつした指の先」で指したのは、確かに「比叡山」だったのですか?
 〔返〕  「あの山が比叡山や」と言いかけて「嵐山や」と言い直しする   鳥羽省三
      「あたいとて一個の越中をなごやで」松田わこちゃん「やで」などと言ふ
      「あたいかて越中富山のをなごやで」松田わこちやん腕まくりして
 何せ、越中富山と言えば、“米騒動”の発祥地でありますから、わこちゃんの将来も凡そ予測が付きましょうか?


○  いつよりか定位置に来て若き手が盆の西瓜を花に切り分く  (京都市) 八重樫妙子

 「定位置」を具体的に説明すると、一昨日、八重樫妙子さんが明け渡したばかりの“主婦の座”でありましょうか?
 だとしたら、本作の作者の観察眼は、性根悪い姑としての観察眼とも言えましょうか?
 冗談はさて措いて、やがては自分に成り代わって一家の主婦の座を守ってもらわなければならない若い嫁さんに対する姑さんの温かい眼差しが感じられて好感の持てる作品である。
 〔返〕  トイレから出るといきなし姑が手も洗わずに西瓜を割った   鳥羽省三
      いきなしに甘いところに齧り付く若い嫁御に感じる嫉妬


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