(黒崎聡美)
天秤のゆれ終わらせず分銅をひっそり載せて満ちるしずけさ
「天秤のゆれ終わらせず」と「分銅をひっそり載せ」とは、一見、矛盾した行為のようにも思われるが、決して矛盾しては居ない。
「しずけさ」は、そうした敬虔で日常的な行為の中に「満ち」ているのである。
〔返〕 天秤の揺るるほどなる地震(なゐ)ありてその夜わたしは愛されてゐた 鳥羽省三
(南葦太)
実用上秤量精度100g程度で済んでしまう日常
「実用上秤量精度100g程度で済んでしまう日常」という一首に於ける「日常」とは、最近肥満気味の南葦太さんの体重測定の場面程度の、ごく限られた範囲内での「日常」でありましょう?
〔返〕 ナノグラム単位で量る微妙さを示せ詠歌で南葦太氏 鳥羽省三
(斉藤そよ)
天秤はゆれていなさい白黒をいわずしずかにわずかにずっと
「天秤はゆれていなさい白黒をいわずしずかにわずかにずっと」とは、なかなかに厳しく細やかなるご叱責。
「お前如きが物や者の重さを量ろうなどとは不届き千万」という訳なのでありましょう。
〔返〕 天秤は揺れていなさい白黒は裁判員がきちんとつける 鳥羽省三
(髭彦)
秤売る古色蒼然類なき店のありたり宮益坂に
「宮益坂」に確かそのような「店」がありましたね。
渋谷駅から青山通りに出る時、私はいつもその「店」の前を通るのですが、「古色蒼然類なき店」とは、言い得て妙な表現と思われます。
〔返〕 秤屋は検定登録制度下の商売だから古色蒼然 鳥羽省三
(中村成志)
そそくさと去る者ありてみぎひだり秤の針は揺れ続けおり
「そそくさと去る者」は一体どんな理由があって、その場を「そそくさと」去ったのか?
また、「そそくさと去る者」があった事と「秤の針」が「みぎひだり」に「揺れ続けて」いるのとは、どんな関係があるのか?
「そそくさと去る者」がその場を「そそくさと」去った理由も分からないし、去った事と「秤の針」が「みぎひだり」に「揺れ続けて」いる事との間も、関係が有りそうで無さそうで有りそうで無さそうな感じなのであるが、そうした点が、この一首の魅力なのである。
「秤の針」が「揺れ続け」ている間、私たち読者はその針を見つめているだけであるから、「そそくさと」去った者についての事はなに一つ明らかにならない。
〔返〕 ぶつくさと言ふ者も居てその間にも秤の揺れは止まらざりけり 鳥羽省三
(アンタレス)
損得を常に秤にかける人人の心は計り知れぬに
「計り知れぬ」と判っているのに、「損得を常に秤にかける人」が居るから「人の心は計り知れぬ」と言うのでもありましょうか。
でも、「損得」の勘定はともかく、人間というものは明日はどうなるかも分からないから、「計り知れぬ」とは知りつつも、自分や自分の身の回りのことなど、もっと大きく言えば、我が国の政治情勢や経済情勢、或いは国際的なそれについても気にかけたり、計ったりしているのではないでしょうか。
そうしたことが即ち、<生きている>ことではないでしょうか?
近頃の私はあるがまま、ふらふらするままに生きております。
ふらふら揺れることを恐れずに生きております。
〔返〕 計り知れぬ人の心を計るから秤はいつもふらふらしてる 鳥羽省三
あるがままいつもふらふら揺れるまま計り知れない気持ちで生きる 々
(行方祐美)
秤量瓶に溜まる吐息か昼過ぎて窓にゆつくり降る雪がある
化学実験に行き詰った時など、化学専攻の学生たちは試料の代わりに「吐息」を「秤量瓶」に吹き入れたり、それを天秤にかけたりして無聊を晴らすのである。
そうした折も折、実験室の「窓」に向かって、「ゆっくり」降って来る「雪がある」。
その「雪」を見て、学生の一人が溜息を吐きながら言う。
「ああ、この雪と秤量瓶に溜まった私の吐息とは、いったいどちらが重いのだろうか? おそらくはこの瓶の中の私の吐息の方が重いに違いない」などと。
〔返〕 その内のうっすら曇る秤量瓶雪の舞い散る硝子戸に似て 鳥羽省三
(水絵)
遠き日の天秤棒で売り歩く 夏の訪れ風鈴金魚
一見すると、詠い出しの「遠き日の」は単なる字数合わせ、音数合わせのようにも思われる。
だが、金魚売りや風鈴売りが担いでいる「天秤棒」が、彼らの歩みにつれてふらふらと揺れる様は、いかにも「遠き日の」風景といった感じであり、また、「遠き日の」という詠い出しは、そうした昔懐かしい光景を導き出すのであるから、この五音は単なる音数合わせ、字数合わせには終わっていないのである。
〔返〕 遠き日の羅宇屋辻占よみがへり歩みも果てぬ谷中千駄木 鳥羽省三
(原田 町)
天秤棒かつぎ金魚売る声のこだま探せり本郷界隈
二句目の韻律の悪さを解消する為には、「金魚」を「きんとと」と詠ませる手もあるが、「金魚売る声の」を「金魚を売る声の」とする手もありましょう。
本作は、前掲の水絵さん作の趣きに、「本郷界隈」という具体的な地名を入れて、よりイメージを鮮明にした点が手柄である。
農学部構内などの鬱蒼とした木立をイメージすれば、「こだま探せり」という四句目の措辞が有効に働いていることが理解されるのである。
〔返〕 売り声のこだま探してたどり着く本郷弥生農学部前 鳥羽省三
(野州)
谷中銀座のメンチ肴に飲む酒の恋と食欲秤にかけて
「谷中銀座のメンチ」を「肴に飲む酒」の味は、「恋」の甘さと「秤にかけて」も釣り合う程に旨いと言うことでありましょう。
〔返〕 たかがメンチされどメンチの旨さかな剣菱三合熱燗が佳し 鳥羽省三
(理阿弥)
「善人」の肉一ポンドと公正をはかりそこねし秤ありけり
中世イタリアのヴェネツィア共和国には、そんな「秤」も在りましたね。
確か<沙翁>とか言う方の作だったとか?
〔返〕 金貸しのシャイロック馬鹿 人命と金が釣り合う訳は無いよね 鳥羽省三
「沙翁とは俺のことか」と言う人の顔のコインも命に勝てぬ 々
(鮎美)
天秤座のきみの打つときシンバルの左と右のいづれの鳴るや
「天秤座のきみ」は鼓笛隊の「シンバル」奏者なのであるが、彼は左利きだから、彼が「シンバル」を「うつとき」は、彼の右手が握っている「シンバル」が鳴るのである。
何故ならば、彼の左手が握っている「シンバル」はお仕置をする側であり、左手が握っている「シンバル」はお仕置をされる側なのである。
お仕置をする側が泣いて、お仕置をされる側が泣かないのは、通常、在り得ないからである。
本作の作者・鮎美さんに一言。
「理路整然と思考すれば、どんな難題も解けるのである」とは鳥羽の屁理屈。
〔返〕 天秤座の彼はのっぽで黙り屋でテンポ遅れてシンバル鳴らす 鳥羽省三
我が家の長男が学童だった頃、彼が通っている小学校には、運動会での鼓笛隊演奏に命を賭けているような感じの音楽選科の先生が居て、その先生の指導に逆らった児童は、強制的にリコーダー組やカスタネット組に入れられてしまうとの専らの噂でした。
私の家の長男は、最初、鉄琴組の一員でしたが、ある練習日に歯科医院の治療に出掛けたら、その次の日からリコーダー組に入れられて、親馬鹿の私をがっかりさせました。
(虫武一俊)
砂、瓦礫、廃墟、亡骸、風の音、砂、瓦礫、廃墟、亡骸、風の音、天秤のない街、交差点
「砂、瓦礫、廃墟、亡骸、風の音」と、不快感しか感じられない語句を上の句に列挙した挙句、「天秤のない街、交差点」と、イメージ転換をしたようなしないような感じで収束させるのは、いかにも「無足場ワンダーランド」の世界である。
よくよく考えてみると、街角や交差点に「天秤」が無いのは当たり前のことであるが、この作品はこの作品なりのシアリティーが感じられる。
〔返〕 街角に電子天秤置いていて空気の汚れを量る行政 鳥羽省三
(揚巻)
錆びついたおばあちゃんちの台秤「きしきし昭和すぎし」と鳴くよ
「『きしきし昭和すぎし』と鳴くよ」が宜しい。
〔返〕 寂びついたお婆ちゃんちのラジオにて広沢虎造唸って居るよ 鳥羽省三
(飯田和馬)
アヌビスが秤にかける心臓が移植をされたものならどうか
「アヌビス」は<ミイラ造りの神>とされ、<医学の神>ともされているが、<ラーの天秤>を用いて死者の罪を量る役目をも担っていたとされている。
この一首は、そうした事柄に精通している飯田和馬さんの作品に相応しい佳作である。
ところで、「アヌビスが秤にかける心臓が移植をされたものならどうか」とあるが、「どうか」の先はどうなっているのでありましょうか?
〔返〕 「どうか」など問いかけたまま焦らしてるいつもの遣り方手馴れた一首 鳥羽省三
(高松紗都子)
目盛なき秤のように大らかに吾子をささえる母でありたい
大変失礼ながら、それを以って<盲目の愛>と言うのでありましょうか?
「大らかに」はややもすると「大まかに」と区別がつかなくなり、その結果として、途轍も無く野放図な育て方をしてしまうことにもなりかねません。
<釈迦に説法><賢母に子育て>とは承知しながらも、一言知ったかぶりをさせていただきました。
重ね重ね失礼申し上げました。
〔返〕 針の無い秤の如く揺れもせず量りも出来ぬ無償の愛を 鳥羽省三
(中村梨々)
屋根裏で秤がひとつ朽ちてゆき、まぶしい夏が差し込んでくる
「屋根裏」で「朽ちて」ゆく「秤」とは、あの昔懐かしい、十六貫目入りの米俵を量る、鉄製の台秤でありましょう。
米の配給制度が有名無実化して、供出米という制度が廃止されてからは、あの台秤たちの多くは、農家の納屋や「屋根裏」に格納されたまま、朽ち果てて行ったのでありましょう。
「屋根裏」に「まぶしい夏」の光が「差し込んで」来て、その光を浴びながら、昔懐かしいあの台秤が、何の役割りも果たせないままに「朽ちて」行く。
中村梨々さん、一世一代の傑作かと思われます。
「でも、手柄を急がれるあまり、思わず不足の無いご年齢をあからさまにしてしまいましたね」などとも書こうと思いましたが、それは止めにしておきましょう。
〔返〕 本当はお料理用だったりもして深読みの鳥羽また勇み足 鳥羽省三
(五十嵐きよみ)
材料をいちいち秤に載せないと慣れないお菓子づくりは不安
それはまた「不安」なことですね。
でも、「上手の手から水が漏れ」という諺もありますから、「材料をいちいち秤に載せ」てやるのが一番手堅い方法かとも思われます。
〔返〕 歌詠みもいちいち指を折ったりし意外に手堅い五十嵐さんだ 鳥羽省三
(牛 隆佑)
二十年かけて集めた天秤の一つ一つを狂わせてから
本作の作者・牛隆佑さんは、「天秤」のコレクターでありましょうか?
「二十年かけて集めた天秤の一つ一つを狂わせてから」、あの<開運!なんでも鑑定団>にご出演なさるおつもりなのでありましょう。
「二十年かけて集めた天秤の一つ一つを狂わせてから」のご出演だけに、お値段の程は計り知れません。
〔返〕 二十年かけて集めた天秤のふらふら揺れて値踏みされたり 鳥羽省三
(丸井まき)
人生を象徴してる産まれたら一番最初に秤にかけられ
そう言われてみれば、確かにそうですね。
私たちの人生は、最初から量られていたのでした。
〔返〕 風袋抜き三千八百二拾グラム丸井まきちゃんまるまる肥えて 鳥羽省三
(じゃこ)
きゃあきゃあとはしゃぐふりして女子たちはシーソー遊びで密かに秤
「きゃあきゃあと」「はしゃぐふりして」いるが、「女子たち」には油断が出来ぬ。
「シーソー遊び」の最中でも、彼女らは「密かに」、友だちを「秤」にかけていたのである。
〔返〕 「きやーきゃー」とおデブはしゃぎてシーソーの上がり下がりの体重測定 鳥羽省三
天秤のゆれ終わらせず分銅をひっそり載せて満ちるしずけさ
「天秤のゆれ終わらせず」と「分銅をひっそり載せ」とは、一見、矛盾した行為のようにも思われるが、決して矛盾しては居ない。
「しずけさ」は、そうした敬虔で日常的な行為の中に「満ち」ているのである。
〔返〕 天秤の揺るるほどなる地震(なゐ)ありてその夜わたしは愛されてゐた 鳥羽省三
(南葦太)
実用上秤量精度100g程度で済んでしまう日常
「実用上秤量精度100g程度で済んでしまう日常」という一首に於ける「日常」とは、最近肥満気味の南葦太さんの体重測定の場面程度の、ごく限られた範囲内での「日常」でありましょう?
〔返〕 ナノグラム単位で量る微妙さを示せ詠歌で南葦太氏 鳥羽省三
(斉藤そよ)
天秤はゆれていなさい白黒をいわずしずかにわずかにずっと
「天秤はゆれていなさい白黒をいわずしずかにわずかにずっと」とは、なかなかに厳しく細やかなるご叱責。
「お前如きが物や者の重さを量ろうなどとは不届き千万」という訳なのでありましょう。
〔返〕 天秤は揺れていなさい白黒は裁判員がきちんとつける 鳥羽省三
(髭彦)
秤売る古色蒼然類なき店のありたり宮益坂に
「宮益坂」に確かそのような「店」がありましたね。
渋谷駅から青山通りに出る時、私はいつもその「店」の前を通るのですが、「古色蒼然類なき店」とは、言い得て妙な表現と思われます。
〔返〕 秤屋は検定登録制度下の商売だから古色蒼然 鳥羽省三
(中村成志)
そそくさと去る者ありてみぎひだり秤の針は揺れ続けおり
「そそくさと去る者」は一体どんな理由があって、その場を「そそくさと」去ったのか?
また、「そそくさと去る者」があった事と「秤の針」が「みぎひだり」に「揺れ続けて」いるのとは、どんな関係があるのか?
「そそくさと去る者」がその場を「そそくさと」去った理由も分からないし、去った事と「秤の針」が「みぎひだり」に「揺れ続けて」いる事との間も、関係が有りそうで無さそうで有りそうで無さそうな感じなのであるが、そうした点が、この一首の魅力なのである。
「秤の針」が「揺れ続け」ている間、私たち読者はその針を見つめているだけであるから、「そそくさと」去った者についての事はなに一つ明らかにならない。
〔返〕 ぶつくさと言ふ者も居てその間にも秤の揺れは止まらざりけり 鳥羽省三
(アンタレス)
損得を常に秤にかける人人の心は計り知れぬに
「計り知れぬ」と判っているのに、「損得を常に秤にかける人」が居るから「人の心は計り知れぬ」と言うのでもありましょうか。
でも、「損得」の勘定はともかく、人間というものは明日はどうなるかも分からないから、「計り知れぬ」とは知りつつも、自分や自分の身の回りのことなど、もっと大きく言えば、我が国の政治情勢や経済情勢、或いは国際的なそれについても気にかけたり、計ったりしているのではないでしょうか。
そうしたことが即ち、<生きている>ことではないでしょうか?
近頃の私はあるがまま、ふらふらするままに生きております。
ふらふら揺れることを恐れずに生きております。
〔返〕 計り知れぬ人の心を計るから秤はいつもふらふらしてる 鳥羽省三
あるがままいつもふらふら揺れるまま計り知れない気持ちで生きる 々
(行方祐美)
秤量瓶に溜まる吐息か昼過ぎて窓にゆつくり降る雪がある
化学実験に行き詰った時など、化学専攻の学生たちは試料の代わりに「吐息」を「秤量瓶」に吹き入れたり、それを天秤にかけたりして無聊を晴らすのである。
そうした折も折、実験室の「窓」に向かって、「ゆっくり」降って来る「雪がある」。
その「雪」を見て、学生の一人が溜息を吐きながら言う。
「ああ、この雪と秤量瓶に溜まった私の吐息とは、いったいどちらが重いのだろうか? おそらくはこの瓶の中の私の吐息の方が重いに違いない」などと。
〔返〕 その内のうっすら曇る秤量瓶雪の舞い散る硝子戸に似て 鳥羽省三
(水絵)
遠き日の天秤棒で売り歩く 夏の訪れ風鈴金魚
一見すると、詠い出しの「遠き日の」は単なる字数合わせ、音数合わせのようにも思われる。
だが、金魚売りや風鈴売りが担いでいる「天秤棒」が、彼らの歩みにつれてふらふらと揺れる様は、いかにも「遠き日の」風景といった感じであり、また、「遠き日の」という詠い出しは、そうした昔懐かしい光景を導き出すのであるから、この五音は単なる音数合わせ、字数合わせには終わっていないのである。
〔返〕 遠き日の羅宇屋辻占よみがへり歩みも果てぬ谷中千駄木 鳥羽省三
(原田 町)
天秤棒かつぎ金魚売る声のこだま探せり本郷界隈
二句目の韻律の悪さを解消する為には、「金魚」を「きんとと」と詠ませる手もあるが、「金魚売る声の」を「金魚を売る声の」とする手もありましょう。
本作は、前掲の水絵さん作の趣きに、「本郷界隈」という具体的な地名を入れて、よりイメージを鮮明にした点が手柄である。
農学部構内などの鬱蒼とした木立をイメージすれば、「こだま探せり」という四句目の措辞が有効に働いていることが理解されるのである。
〔返〕 売り声のこだま探してたどり着く本郷弥生農学部前 鳥羽省三
(野州)
谷中銀座のメンチ肴に飲む酒の恋と食欲秤にかけて
「谷中銀座のメンチ」を「肴に飲む酒」の味は、「恋」の甘さと「秤にかけて」も釣り合う程に旨いと言うことでありましょう。
〔返〕 たかがメンチされどメンチの旨さかな剣菱三合熱燗が佳し 鳥羽省三
(理阿弥)
「善人」の肉一ポンドと公正をはかりそこねし秤ありけり
中世イタリアのヴェネツィア共和国には、そんな「秤」も在りましたね。
確か<沙翁>とか言う方の作だったとか?
〔返〕 金貸しのシャイロック馬鹿 人命と金が釣り合う訳は無いよね 鳥羽省三
「沙翁とは俺のことか」と言う人の顔のコインも命に勝てぬ 々
(鮎美)
天秤座のきみの打つときシンバルの左と右のいづれの鳴るや
「天秤座のきみ」は鼓笛隊の「シンバル」奏者なのであるが、彼は左利きだから、彼が「シンバル」を「うつとき」は、彼の右手が握っている「シンバル」が鳴るのである。
何故ならば、彼の左手が握っている「シンバル」はお仕置をする側であり、左手が握っている「シンバル」はお仕置をされる側なのである。
お仕置をする側が泣いて、お仕置をされる側が泣かないのは、通常、在り得ないからである。
本作の作者・鮎美さんに一言。
「理路整然と思考すれば、どんな難題も解けるのである」とは鳥羽の屁理屈。
〔返〕 天秤座の彼はのっぽで黙り屋でテンポ遅れてシンバル鳴らす 鳥羽省三
我が家の長男が学童だった頃、彼が通っている小学校には、運動会での鼓笛隊演奏に命を賭けているような感じの音楽選科の先生が居て、その先生の指導に逆らった児童は、強制的にリコーダー組やカスタネット組に入れられてしまうとの専らの噂でした。
私の家の長男は、最初、鉄琴組の一員でしたが、ある練習日に歯科医院の治療に出掛けたら、その次の日からリコーダー組に入れられて、親馬鹿の私をがっかりさせました。
(虫武一俊)
砂、瓦礫、廃墟、亡骸、風の音、砂、瓦礫、廃墟、亡骸、風の音、天秤のない街、交差点
「砂、瓦礫、廃墟、亡骸、風の音」と、不快感しか感じられない語句を上の句に列挙した挙句、「天秤のない街、交差点」と、イメージ転換をしたようなしないような感じで収束させるのは、いかにも「無足場ワンダーランド」の世界である。
よくよく考えてみると、街角や交差点に「天秤」が無いのは当たり前のことであるが、この作品はこの作品なりのシアリティーが感じられる。
〔返〕 街角に電子天秤置いていて空気の汚れを量る行政 鳥羽省三
(揚巻)
錆びついたおばあちゃんちの台秤「きしきし昭和すぎし」と鳴くよ
「『きしきし昭和すぎし』と鳴くよ」が宜しい。
〔返〕 寂びついたお婆ちゃんちのラジオにて広沢虎造唸って居るよ 鳥羽省三
(飯田和馬)
アヌビスが秤にかける心臓が移植をされたものならどうか
「アヌビス」は<ミイラ造りの神>とされ、<医学の神>ともされているが、<ラーの天秤>を用いて死者の罪を量る役目をも担っていたとされている。
この一首は、そうした事柄に精通している飯田和馬さんの作品に相応しい佳作である。
ところで、「アヌビスが秤にかける心臓が移植をされたものならどうか」とあるが、「どうか」の先はどうなっているのでありましょうか?
〔返〕 「どうか」など問いかけたまま焦らしてるいつもの遣り方手馴れた一首 鳥羽省三
(高松紗都子)
目盛なき秤のように大らかに吾子をささえる母でありたい
大変失礼ながら、それを以って<盲目の愛>と言うのでありましょうか?
「大らかに」はややもすると「大まかに」と区別がつかなくなり、その結果として、途轍も無く野放図な育て方をしてしまうことにもなりかねません。
<釈迦に説法><賢母に子育て>とは承知しながらも、一言知ったかぶりをさせていただきました。
重ね重ね失礼申し上げました。
〔返〕 針の無い秤の如く揺れもせず量りも出来ぬ無償の愛を 鳥羽省三
(中村梨々)
屋根裏で秤がひとつ朽ちてゆき、まぶしい夏が差し込んでくる
「屋根裏」で「朽ちて」ゆく「秤」とは、あの昔懐かしい、十六貫目入りの米俵を量る、鉄製の台秤でありましょう。
米の配給制度が有名無実化して、供出米という制度が廃止されてからは、あの台秤たちの多くは、農家の納屋や「屋根裏」に格納されたまま、朽ち果てて行ったのでありましょう。
「屋根裏」に「まぶしい夏」の光が「差し込んで」来て、その光を浴びながら、昔懐かしいあの台秤が、何の役割りも果たせないままに「朽ちて」行く。
中村梨々さん、一世一代の傑作かと思われます。
「でも、手柄を急がれるあまり、思わず不足の無いご年齢をあからさまにしてしまいましたね」などとも書こうと思いましたが、それは止めにしておきましょう。
〔返〕 本当はお料理用だったりもして深読みの鳥羽また勇み足 鳥羽省三
(五十嵐きよみ)
材料をいちいち秤に載せないと慣れないお菓子づくりは不安
それはまた「不安」なことですね。
でも、「上手の手から水が漏れ」という諺もありますから、「材料をいちいち秤に載せ」てやるのが一番手堅い方法かとも思われます。
〔返〕 歌詠みもいちいち指を折ったりし意外に手堅い五十嵐さんだ 鳥羽省三
(牛 隆佑)
二十年かけて集めた天秤の一つ一つを狂わせてから
本作の作者・牛隆佑さんは、「天秤」のコレクターでありましょうか?
「二十年かけて集めた天秤の一つ一つを狂わせてから」、あの<開運!なんでも鑑定団>にご出演なさるおつもりなのでありましょう。
「二十年かけて集めた天秤の一つ一つを狂わせてから」のご出演だけに、お値段の程は計り知れません。
〔返〕 二十年かけて集めた天秤のふらふら揺れて値踏みされたり 鳥羽省三
(丸井まき)
人生を象徴してる産まれたら一番最初に秤にかけられ
そう言われてみれば、確かにそうですね。
私たちの人生は、最初から量られていたのでした。
〔返〕 風袋抜き三千八百二拾グラム丸井まきちゃんまるまる肥えて 鳥羽省三
(じゃこ)
きゃあきゃあとはしゃぐふりして女子たちはシーソー遊びで密かに秤
「きゃあきゃあと」「はしゃぐふりして」いるが、「女子たち」には油断が出来ぬ。
「シーソー遊び」の最中でも、彼女らは「密かに」、友だちを「秤」にかけていたのである。
〔返〕 「きやーきゃー」とおデブはしゃぎてシーソーの上がり下がりの体重測定 鳥羽省三