臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

吾はいま

2010年12月02日 | 我が歌ども
○  吾はいま自(し)の晩年を生き居るや三日月の影しみじみと見つ   鳥羽省三

 
 電波時計の針が午前四時を刻むのを待って寝床からもそもそと這い出す。
 書き掛けの稿を夜明け前に仕上げようとしてのことであるが、隣りの床で寝ている妻・翔子の寝顔を気にしながらのことでもある。
 ハジャマの下に下着を一枚二枚と重ね着をして、更にその上に着古しのぶ厚いコートを着て、日頃から妻がからかってよく言う、<植村さんスタイル>をしたうえでパソコンの前に座った途端に、「三日月がとても綺麗に懸かっていますよ」と、妻からの声が掛る。
 私が寝床を離れた後、竹林に面した和室の窓際に寝ている妻は、部屋の障子をそっと開けて、屋外の風景に目をやったと思われるのである。
 「何を愚かな」と思いつつも、声を掛けて呉れた妻・翔子の思い遣りを徒や疎かにしてはならぬとも思うので、私もやおら立ち上がり、書斎のカーテンを開いて、師走の夜明け前の空をしみじみと眺めたのであるが、一首の発想は、<植村さんスタイル>をしてパソコンの前から立ち上がるとほぼ同時のことであった。
 この一首、発想の当初は、下の句を「上弦の月しみじみと見つ」乃至は「上弦の月身を入れて見つ」にしようとも思ったのであり、上の句中の「自」の字が古惚けているとも思ったのでもあるが、その推敲は後日のことにして、取り敢えずは記し置くのである。
              十二月二日(木曜日)午前四時三十分   鳥羽省三記す



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