2011年度作品。日本映画。
東大安田講堂事件をきっかけに全共闘運動が急激に失速を見せていた、1969年。東都新聞社で週刊誌編集記者として働く沢田は、取材対象である活動家たちの志を理解し、共有したいという思いと、ジャーナリストとして必要な客観性の狭間で葛藤していた。2年後のある日、沢田は先輩の中平とともに梅山と名乗る男から接触を受ける。梅山から「武器を揃え、4月に行動を起こす」と言われ、沢田は疑念を抱きつつも親近感を覚えるようになる。(マイ・バック・ページ - goo 映画より)
監督は「リンダ リンダ リンダ」の山下敦弘。
出演は妻夫木聡、松山ケンイチ ら。
そこまでくわしく知っているわけでないので、えらそうなことは言えないが、全共闘というものに対して、僕は偏見を持っている。
思想的には一面的、独善的、短絡的な部分が多く、学生たちは熱病的な流行に乗っているだけで、筋の通った考えをもっているわけではない。
若気の至りで騒いだだけの、迷惑でうすっぺらいお祭騒ぎ、というのが僕の偏った考えだ。
「マイ・バック・ページ」はその当時の青年たちを描いている。
主として描かれるのは、全共闘運動に共感を覚える若い記者沢田と、革命運動を続ける青年梅山だ。
松山ケンイチ演じる梅山は、僕が持っている全共闘運動の悪いイメージを集約したような人物である。
うすっぺらくて、思想にも中身がない。流行に乗っているだけで、ヒロイックな自分の行動に酔っている。
それだけでなく、彼は自己弁護が激しく、自分の手を汚すことのない卑怯な人物として描かれている。
最悪なやつだな、否定的な気分で見ていた。
青いと言えば青いけれど、その青さと独善っぷりに見ていて、げんなりしてしまう。
一方の、妻夫木聡演じる沢田は、僕が持っている全共闘運動のいいイメージを集約したような人物だ。
本気で世界を良くしたいと考え、若い考えなりに行動したいと願っている。
だが、彼が全共闘にシンパシーを覚えるのは、仲間と一緒に行動できなかったという負い目もある。だからこそ、必要以上に梅山を信じて、援助しようとするのだ。
けれど、そこに迷いがないわけではない。それは結局のところ、梅山が信じるに足るかという一面に尽きる。
基本的に沢田という人は純粋なのだろう、と見ていて思う。
彼は社会の側に立ち、卑怯に自分をだまして生きることができない人間なのだ。冒頭の挿話などいい例だ。
言い換えるなら、社会的に見れば、不器用で弱い人間ということである。
だからこそ、梅山といううすっぺらい人間を信じることを貫き通してしまったのだろう。
彼が社会的に制裁を受けるほど、強く自分を貫き通したのは、矛盾しているけれど、彼の弱さゆえなのだろう、と僕は思う。
ラストシーンはこの映画のすべてを象徴するシーンだと思う。
沢田はそのシーンでひたすら涙を流し続けた。
その涙にある感情を名づけることは容易ではない。
彼は信じた人間に裏切られ、自分が信じた通りに行動した結果挫折を強いられた。そして同時に自分がだました人間に信頼を寄せられ優しくされてもいる。
それは敗北の涙であり、自身のふがいなさに対する涙かもしれない。
もしくはもっと深い意味があるのかもしれない。
ただそのシーンは、切なくも苦く、余韻を残すラストになっている。それが個人的にはとても印象に残った。
評価:★★★★(満点は★★★★★)
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