いつも寝不足 (blog版)

動物園・水族館へ行った記録が中心(?)。
他の話題はいつも寝不足 (信州FM版)で。

CanoScan LiDE 60購入

2005年08月19日 | PC・電気機器
基本的に、プリンタやスキャナはキヤノン製品が好き。長野県の企業で、仕事でエプソン製品を扱うことも多いのだが、どういう訳かキヤノンの方が好き。

さて、スキャナは7-8年前に買ったパラレルポート接続のものも持っているし、最近はもっぱらDocupenを使用していたのだが、大量に連続してスキャンする必要がある場合にはどちらも不向き。と言うわけで、キヤノンのページにお伺いを立てたところCanoScan LiDE 60を薦められたので購入決定。事前に当たりをつけておいた製品と一致したってことね。

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最近のスキャナが小さく軽くなっていることは知っていたが、やはり、自分の作業スペースに置いてみると、その小ささと軽さがよく分かる。バスパワーでUSBケーブル1本で動作するのも嬉しい。また、私の場合はあまり必要性がなさそうだが、縦置きした状態でのスキャンも可能とのこと。

なお、私はIrfanViewからスキャンなどもするので付属ソフトの使い心地については現在のところよく分からない。

今後の展開が気がかり

2005年08月19日 | マンガ・アニメ
発売日に買っていたのに、ようやく読んだ。もっとも、買ったきり読んでないマンガが何百冊(下手したら1,000冊オーバー)とあるんだから順調に読んだ方と言えなくもない。

さて、物語内の時間と実際の時間がシンクロしている以上、延々と続くホームコメディとはなり得ないことは分かっていたが、実の父親が出てきたり、正お兄ちゃんへの気持ちをハッキリ意識し出したりと、どう頑張ってもあと2冊が限界かなぁ。

お兄ちゃんと一緒 (4)

白泉社

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相当無理すれば高校3年間引っ張れるような気もするけれど、そこまで引っ張るとキャラクターやストーリーに無理が出るのは必至なので、やはり、あと2冊、高校1年か2年の半ばくらいまでじゃないかな、と思う。

何と言うか、温い展開が好きなのでできるだけ続けて欲しいのだが、現実の時間経過と同期して作品内の時間も進み、キャラクターが年齢を重ねる以上、作品世界を維持できる時間も現実の時間以上にはなり得ない。あとは、上手い幕引きを期待しつつ、残された時間を楽しむことにしようかと思う。

大きくなる子

2005年08月18日 | ポーすけ(or猫)
うちに来た翌々日には病院へ連れて行く羽目(※)になり、大丈夫だろうかと心配したポーだが、食欲は旺盛で順調に体重も増えている。今のところ20g/日くらいのペースで増加中で、10月中には2Kgを突破するんじゃないかな。ちなみに、今日は1,148g。
※幸い、軽い風邪のようで注射1本打ってもらって、現在朝晩投薬中。直腸検温は凄く嫌がったが、注射ではニャンとも鳴かなかった。

普段は段ボール箱にタオルケットを敷いたものの中で寝ていることが多いのだが、さすがに今日は暑かったらしく縁側でごろりと横になっていた。

女の子だからというわけではないと思うが、造花が気になるらしく独り遊びする際はよくじゃれついている。
花が気になる

選挙を空洞化させて勝利を目指す?

2005年08月18日 | 時事
ホリエモン・カリスマ主婦…“刺客”に著名人次々白羽 (読売新聞) - goo ニュース

もはや、えげつないを通り越して馬鹿馬鹿しくさえある。一体、何が争点で主権者は何を基準に投票すればいいか全くもって分からない。

そこが狙い目じゃないかとすら思える(※)。民主党が勝利するにはいわゆる無党派層が投票してくれることが必須条件だが、ここまで客寄せパンダ的な候補を乱立させ、争点をぼやかし、政見・政策や支持政党すら問題にならないような状況を作り出されると、一番最初に投票に行かなくなるのが無党派層。投票によっては何も変わらないような無力感を作り出し、結果として組織票を動員できる自民党や公明党が議席を確保する。
※と言うか、多分、そうだ。このシナリオを書いているのが誰かは知らないが、こういう破壊的なシナリオを書ける才能には感服しつつも唾棄せざるを得ない。

こういった状況の中心にいるのが、福田赳夫の弟子だというんだから訳分からん。田中角栄の弟子なら納得いくが。いや、むしろ、福田赳夫の弟子だからこういうことになってるのか?

皇室を知る

2005年08月17日 | 読書
おことば 戦後皇室語録

新潮社

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私の皇室に対するイメージってのは、第五章「そして、昭和は終わった (昭和五十八年~平成二年)」と第六章「無関心にさらされて (平成三年~十年)」の章題がなかなか端的に表していると思う。特に後者が。昭和47年生まれなので、今上の恋愛→成婚は両親がまだ少年と呼ばれるような頃の話だし、島田雅彦(編著者)のように自分の成長と皇太子の成長を併置して感じることもできなかった。皇太子の成婚だってさして身近な話題という訳でもない。

こういった事情(基本的に無関心)は、ほとんどの人に共通するものだと思う。例えば、

昭和三十四年十月、「皇室アルバム」は華々しく放映を開始した。「開かれた皇室」を象徴するこの番組は、皇室の生活についてのディディールを公開する画期的な番組だった。(p. 97)

で始まる「『皇室アルバム』と僕」の結語は以下の通りだ。

実は今でも、「皇室アルバム」は週末の早朝に放映されている。(p. 98)


もちろん、折々に触れて皇室の話題はニュースでも流されるし、皇位継承権や人格否定発言などなどで週刊誌の話題をさらうことも珍しくはない。しかし、皇室という枠で括られてしまう人たちが実は人間で、各々の感情と将来への希望や不安を抱きながら生きているということをどれだけの人が身に沁みて考えたことがあるのか分からない。

少し話が逸れるが、城山三郎『大義の末』(角川文庫、1975年)に東京高商(現 一橋大学)を慰問(?)に訪れる当時11歳の今上の姿が描かれている。それまで、天皇というと昭和天皇の変ちくりんなしゃべり方(※1)や、お仕着せ風のお言葉を述べる(※2)今上の姿しか思い浮かばなかったが、『大義の末』に描かれた少年皇太子は、敗戦という事実と皇統を継ぐ者であるという事実の狭間で懸命に振る舞う(皇族に求められるものを)けなげな一少年でしかなかった。
※1 その理由についても、本書で簡単ながら触れられている。
※2 もちろん、お仕着せの場合もあろうが、可能な限り自分の意見・言葉を述べようとしていることは、編著者が指摘している通り。


そして、その後に続く主人公(おそらく城山三郎自身)の感想が、少なくとも私の今上に対する考えを変えた。現在の象徴天皇制について、また、皇室の存続(廃絶含む)について最も真剣に考え苦悶してきたのは他ならぬ今上のはずで、その結果が開かれた皇室と平和憲法に則った各種のお言葉や行動として表れているように思う。この点を島田雅彦は以下のように述べている。

英王室に範を採った当時の宮内庁首脳部は、このような大衆化を全て許した。「『恋』の『平民』皇太子妃ブームは、いわば新憲法を前提としてのみブームとなり得たのである。それは新憲法ブームという方がふさわしくはなかろうか」という松下圭一は予言的に述べているが、のちにケネス・ルオフが『国民の天皇』で考察しているように、それは正しい見通しだった。

現在の明仁天皇を見ていると、ご成婚当時の天皇観をそのまま堅持し、揺るぎがないという印象がある。右翼の批判などどこ吹く風、自分は確かに天皇ではあるけれども、たとえ一人の市民だとしても、公の義務と責任をしっかり果たしさえすれば、敬意を持って遇される人間になる、という民主主義の思念に極めて忠実に行動しておられるように見受けられる。

神としての天皇の威厳や、国民的影響力を発揮するカリスマよりも、率直で、礼儀正しく、信念に基づいて行動する善人になること。一学者としても成果を残しているし、昭和天皇の代行として諸外国に謝罪を続けた独自の気配りと歴史観は終始一貫している。また、現代では形骸化してしまっている一夫一婦制、ここでは妻一筋に生きる姿勢を、これほど律儀に守っているご夫妻も珍しい。

明仁天皇は、その地位が約束されずとも、世間の荒波を実力で渡ってゆくことができる人材に育ったに違いない。歴代の天皇に比べても、能力、人格で勝負しようとされている稀有な天皇だと考えるべきではないか。 (pp. 86-87)

個人的には、今上のこういったところに非常な好感を持つし、島田雅彦が冒頭に掲げる「親愛なる陛下、殿下へ」で始まる献辞も一見、いわゆる「右翼的な」ものに見えるけれども、実は、人間としての皇族に対して捧げられたものであることが分かる。これは三島由紀夫の「などてすめろぎは人間(ひと)になりたまひし」に代表されるような「ロマン主義の源としての天皇」(例えば、本書冒頭の白馬に跨る昭和天皇)とは対極にあるものだ。

実は、今上はいわゆる「右翼」に評判が良くない。もちろん、「右翼」といっても一枚岩ではないし、様々な主張を持つ人たちをレッテル張りしたものに過ぎないから、今上に対して不満を持つ人がいても何ら不思議ではない。しかし、仮にも「右翼」が天皇に対して批判的な態度を取るとは。。。

これは、今上こそが現行の憲法を最も体現しているという奇妙と見えなくもない事情によっている。実は今上や東宮のおことばこそが最大の護憲勢力と言ったら笑われるだろうか。しかし、これは紛れもない事実で、いわゆる「左翼」勢力が後退し、護憲という呼び声が虚空に消えていく中で、繰り返し繰り返し現行憲法の象徴天皇と不戦を表明しているのは今上だし、民とともにあろうとしている姿に嘘偽りはないと思う。このあたりの事情は、孝明天皇こそが最大の幕府支持者だったということに似ていなくもない。

司馬遼太郎が、日本の歴史は天皇抜きで考えると分かり易いと述べているのを佐高信が批判していたが、これは正しくて、神主の親玉でしかない時期が長かろうがなにしようが、天皇を抜きにして日本の歴史を考えるのは無理がある。もちろん、現在から過去を見渡す際に明治維新近辺で異常なまでに盛り上がった天皇に対するロマン主義を通して、それ以前の天皇を解釈する愚も避けなければならない。その意味では、司馬遼太郎の主張も正しい。おそらく、小説の明解さのために天皇抜きという視点を使うのが司馬遼太郎の本意ではなかったかと思う。

いきなり、日本の歴史なんて長大なことを言い出しても仕方ないので、取り敢えず私たちと同じ時代を生きている皇族がどういった人たちであるかを知るところからはじめるには本書はうってつけだと思う。例えば、

私は日本の建国が決して一人の英雄の手によって一時にできあがったものでなく、我々の祖先が、あるときは争い、あるときは和し、またあるときは苦しみ、あるときは楽しみつつ、旧石器時代から縄文、弥生、古墳時代と何万年という時代を重ねつつ成し遂げてきた複雑な社会的発展の結果生まれたものであることを確信し、この際歴史的真実を歪曲してまで、一部の日本人のかたがたの昔をしのぶ感情論から、学問研究の百年の計を一瞬にして誤るおそれのある建国記念日の設置案に対して深い反省を求めてやまない。(p. 90)

という三笠宮崇仁の信念や

もうダメだよ。皇族をやめたい。至急会議を開いてほしい。(p. 142)

という三笠宮寛仁の悲痛な叫びは知っている人は知っているけれど、知らない人は全く知らないと思う。こういったことは全てうやむやにされ封印されていくから。

国家の「機関」ではなく、「人間」である天皇とその眷属を知る。その結果として、

今後も憲法の定めるところに従い、市民の平和な未来のためにお務めを果たされる陛下、殿下にとって、日本が、そして世界が希望の源であらんことを願っています。また、陛下、殿下が私どもに与えられている自由と権利をともに享受される日が来ることを心よりお祈り申し上げます。(p. 1)

という天皇観を私は非常に好ましく思う。

※もう少し書くかも※

夜の須坂市動物園へ行ってきた

2005年08月14日 | 動物園・水族館
夜の動物たちの姿を見せる試みが流行しているが、須坂市動物園でも夜の動物園探検が開催された。

昼間行くと寝そべったままのことの多いハッチも涼しい朝晩は盛んに天津小豆の袋で作られたサンドバッグと戯れていた。ちなみに、左下が5月時点のサンドバッグ。右下が今日のサンドバッグの状態。若干くたびれてきたかな。
ハッチのサンドバッグ(5月) ハッチのサンドバッグ(8月)

蚊遣りのためか、アロマキャンディらしき匂いの漂う夜の動物園は若干怪しさがずれた方向ながらなかなか楽しめた。残念だったのが、途中で雨が落ちてきたこと。こればかりは、どうしようもないが晴れた夜空の下だったら、もっと良かっただろうに。

また、夜の動物たちを見せるだけではなく、15分おきくらいに何種類かの動物たちのスポットガイドも開催されたのだが、これも楽しかった。特にアライグマのスポットガイドでアライグマが実は洗わないということを初めて知った。いや、もしかしたら、以前にも聞いたことがあるのかもしれないが何せラスカルの印象が強くてアライグマ=洗うという図式が強固に頭の中にあるので、なかなか更新されなかったのかもしれない。

ところで、須坂市動物園にはアライグマが4頭飼育されていて、うち、3頭(1頭が父親で2頭がその子供で兄弟)が同じ檻の中にいる。スポットガイドの際に、エサを与えてみせてくれたのだが、エサの取り合いが凄かった。

エサの入った皿を下に置くとバッと3頭が飛びかかり、「ふごッ!!」という感じの鳴き声(?)をあげながらエサを奪い合う。1頭が皿を占拠し、残り2頭が隙を窺ってエサを取ろうとするのだが、占拠した1頭が応戦して容易にはエサにありつかせない。むむむむむ、なかなか激しい。

ところで、アライグマは洗わないと上で書いたが例外的にパンやビスケットのような乾いたものは水に浸してから食べる。その様子が洗っているように見えないこともないが、すくなくとも、ラスカルのようにアイスクリームを溶かしてしまうことはなさそう。

なお、野生のアライグマは魚を捕まえると水際で解体しながら食べるそうで、その様子が洗っているように見えるのでアライグマなのだそうだ。

ペンギン触ってきた

2005年08月14日 | 動物園・水族館
実習生のスポットガイドがあるとのことで須坂市動物園へ行ってきた。本日はナイトズーもあるので、それまで居座ろうかと思っていたのだが、5時で一旦閉めて6時半に入り直しとのことで一旦撤収した。

さて、それはともかく。ペンギンに触ってきた。エサやりをしたことはあるが、触るのは初めて。小諸動物園のペンギンは触ろうと思えば触れた(網からくちばしやフリッパーを突き出すから)が、我慢してきた。

触ってみた印象は、思っていたより柔らかい。羽毛で覆われているという知識はあるのだが、何となく、羽毛と言うよりは羽根の感触を想像してしまっていたのだが、やはり、羽毛だ。スベスベと言うよりはフカフカという感じかな。もちろん、スベスベなのだが、予想以上の柔らかさがフカフカという印象を強くしているのだと思う。

ただ、不覚にもフリッパーを触るのを忘れてしまった。多分、フリッパーの方は固い感じがするんだろうなぁ、と思うのだが、実際のところはどうなのだろう。

猫が来た

2005年08月13日 | ポーすけ(or猫)
7/31に書いた通り、猫がやって来た。

名前はポー。『銀曜日のおとぎばなし』から取りましたとか、エドガー・アラン・ポーにちなんでますとか言いたいところだが、実際はポ~っとしてるから、ポー。野良猫あがりの雑種で、推定3ヶ月のメス。

着いてから数時間はかなりナーバスな状態で心配したが、その後は次第に慣れてきて、猫じゃらしに大興奮。こちらが「許してくれぇ~」(※)と思っても、「もっと遊んでもっと遊んで」と催促してくる。
※1時間くらい。
猫じゃらしに大興奮

しばらくの間は1つの部屋で馴らしてから徐々に行動範囲を広げていく予定。ただ、本人は既に部屋を探検し尽くしたらしく、外へ出たいそぶりを見せいている。とは言え、ちょっと外に出ても元の部屋へ逃げ戻っちゃうんだけどね。

にこちゃんマークの画像にも画像の大きさを指定しましょう

2005年08月13日 | 雑記
こだまの(旧)世界」の下の方に、「ホームページ開設一周年記念アンケートっ」なるものがある。多分、97年くらいに実施したものだろうな。私も回答したような記憶があるので探してみたところ、下に引用したものがそうじゃないかと思う。

まず、質問事項はこんな感じ。

1 あなたはこだまのホームページをいつごろから読んでいますか。(例:10年前から)
2. どのぐらいの頻度で読んでいますか。(例:10年に一度)
3. あなたは「こだまの(新)世界」を読んでいますか。それとも「こだまの (新)世界」だけを読んでいますか。(例:「映画のお話」も読んでいる)
4. あなたはこだまのホームページの中で勉強になるページが存在すると思いますか?もし思うのならばそのページを教えて下さい。
5. あなたが今までに読んだ中で、(こだまのホームページの中で)一番可笑しかった文章を挙げてください。思い出せなければ結構です。
6. 今後こだまのホームページに期待することをなんなりとお書き下さい。
7. 祝辞を述べたい方はどうぞ。
8. その他、あなたの身の上話、あなたの病気自慢、あなたの孫自慢など、お好きなことをお書き下さい。あなたのホームページのアドレスなども教えて下されば見に行きます。(この部分は掲載されませんので安心して好きなことをお書き下さい)

それに対する回答が以下の通り。

(from when)
できてから2ヶ月以内だったと思う。

(how often)
ほぼ毎日。

(do you read the newworld only, or...)
基本的に「こだまの(新)世界」だけ。時たま他のところも見る。月に2・3度くらいかな。

(is there any page that is instructive)
分からん。

(what was the funniest story)
リンリー教授ものは結構好き。

(what do you expect from me)
にこちゃんマークの画像にも画像の大きさを指定しましょう。

(congratulations)
率直におめでとうございます。
でも、何がめでたいのか分からんが。



自分が何を書いたかなんて遙か彼方だが、「にこちゃんマークの画像にも画像の大きさを指定しましょう」という些事に対する細かさと「でも、何がめでたいのか分からんが」というひねくれ具合が当時の私の特徴をよく表しているような気がするので、これがそうじゃないかと思う。

当時はインターネットが市民権を得ていく途上でコミュニティもまだ小さく、発生する問題もコップの中の嵐の域を出ていなかったなぁ、なんてことを思い出す。

わいせつなものはわいせつでない

2005年08月12日 | 読書
ラリー・フリント/田畑智通=訳『ラリー・フリント』(徳間文庫、1997年)の中に、わいせつに関する面白い記述がある。

もし雑誌や映画で描かれていることが淫らだとすれば、平均人は嫌悪するのであってそそられることはない。同時に、もしその描写を見て淫らな行為(過激なサド・マゾ行為や獣姦など)に駆られるのなら、その人は平均的ではない (p. 164)

これは、1977年にシンシナティで争われた『ハスラー』のわいせつ性に関する裁判において検察側の証人として出廷したウォーデル・ポメロイ(『キンゼイ・リポート』の共同執筆者)の証言の一部。

法で取り締まらなければならないような過激なものに一般的な人は欲情しないのでわいせつではなく、一般的な人が欲情するようなものは法で取り締まらなければならないほど過激ではないのでわいせつではない、というややレトリカルな話。

『ハスラー』のわいせつ性を立証しなければならない検察側の証人がこんなことを言い出しちゃうんだから、検察は参っちゃうよね。さらに、ポメロイ医師は「強姦魔や幼児虐待者のような異常者は、ポルノグラフィーとは無縁の社会で生きていると思われます」とも言っている。

まぁ、それはさておき、なぜこの本を読む気になったかと言うと、私が『ハスラー』の定期購読者(※)だったことも多少関係しているが、より具体的には野村秋介『さらば群青』(二十一世紀書院、1993年)で、言論には言論で、言論でないものには相応の手段でという主旨のことが何回か書かれていたから。
※2年間だけだが。何回か横浜税関で放棄させられた。引っ掛かると下のような通知が届く。
  外国郵便物輸入禁制品該当通知書


言論でないものとは、一例としていわゆる「不敬イラスト」事件なんかを挙げることができて、野村秋介は、あれは言論ではない、と切って捨てている。この事件には鈴木邦男も関わっていて、言論の絶対的な自由を主張している同氏も以前の著作(『がんばれ!!新左翼』三部作など)を読む限り、言論ではないという立場を取っている。

野村氏も言論を尊重し、暴力を厳に戒める立場を取っているが、肉体言語としての暴力を否定しないなどなかなか複雑な思想の持ち主でもあるし、天皇は裁判権を持たないなどの理由もあって、言論ではない、という結論に至っているのだとは思うが、何が言論であり何が言論ではないのかという点が今一つ不明確な気がしてスッキリしなかった。

さらに、最近の九条改正を隠れ蓑として言論統制も憲法化しようとする動きが活発になっているのを見て嫌ぁな感じが日に日に募っているし、鈴木邦男の最近の著作やWebサイトでも言論の自由に関する限り、いわゆるイエロージャーナリズム的なものに関しては必ずしも射程に入っていない感じで不十分な感が拭えない(※)
※鈴木氏の言論に関する覚悟のほどは、全ての著作に自宅住所や電話番号を載せ、いつでも反論を受け付けるようにしているなど疑念を挟む余地はないが。

イエロージャーナリズムの問題を持ち出すと、やや唐突な感を抱く人がいるかもしれないが、アメリカの憲法修正第一条、信教や言論の自由を保障している条項だが、これを最も強固に擁護したのが他ならぬラリー・フリントなので、言論の自由を考える際、決してイエロージャーナリズムやわいせつ問題を避けて通ることはできない。

と言うわけで、ようやく『ラリー・フリント』に戻ってきたわけだが、この本を原作に映画化もされている。映画版は見たことがないが、カスタマー・レビューを見る限りなかなかの仕上がりになっているようなので、機会があったら見てみたい。
ラリー・フリント

ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

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※この項もう少し書く(予定)※

最近、気質が変わってきたようで

2005年08月12日 | マンガ・アニメ
abp.animeなんて書いても、何のことやら分かる人の方が少ないと思うが、その狭い世界からかいま見る限り、海外のファン気質に変化が見られるような気がする。

以前は、キューティーハニーの変身シーンでも大ブーイングだったのが、最近ではもっと露骨なものでもOKと言うか、積極的に歓迎する雰囲気すらある。

もちろん、いまだにabp.animeを見ている人なんて、変わり者だと思うし、見ている人たちも以前と同じではないと思うが、こういったところにも「萌え」の浸透と拡散の影響があるのだろうか。

これは同じものでしょう

2005年08月11日 | 健康
カタログハウスピカイチ辞典に、ジーシーという会社のプリニアという電動歯ブラシが掲載されている。

妹はこれがいたく気になるらしく、何度も何度も見ている。そして、私の使っている電動歯ブラシ(ドルツの旧型)について質問してきた時に、件の電動歯ブラシが掲載されているページを見たのだが、まぁ、これがドルツそっくり。

実物大の写真も掲載されていたので、私の使っているものを重ね合わせてみると大きさと言いデザインと言い、ブラシヘッドと言い寸分違わない。

これは一体どういうこっちゃと調べてみたら、やはり同じもので、このページに書いてあることを信じる限り、ジーシーが開発し、松下が製造しているらしい。その証拠かどうかは知らないが、松下からもプリニアと色違いとしか思えない製品が9月に発売になる。

ところで、ピカイチ辞典にはプリニアは歯科医院以外では、カタログハウスの通販でしか手に入らないと書いてあったが、上掲のはぶらしやでも売っているし、プリニアと同形と思われる松下の製品も近々売り出される。はてさて。

クールビズでPC故障多発

2005年08月11日 | PC・電気機器
昨日のNHKのニュースによるとクールビズで室温を例年より高めに設定したところ、PC故障多発だそうで。

実家はクーラーがないので、私のPCは普通のオフィス以上に苛酷な環境で動いている。母屋の方は30度を超えることは珍しいのだが、私がいるのは道路に面した離れなので、室温36度くらいまでは簡単に上がる。

そこで使っているのがアイネックスの製品。下の画像のようなものどもだが、いずれもファンの回転数が生ぬるいので、より高回転のものに交換して使用している。つまり、枠だけが欲しかったのだな。枠を自作したこともあるのだが、鉄板打ち抜きのものに比べるとどうしても強度がね。



FF-503WH: 5インチベイ3段に12cmファンを取りつける。

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FF-502WH: 5インチベイ2段に8cmファンを取りつける。

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HDC-501BK: 5インチベイ2段に8cmファンとHDD3台取りつけ可能に。

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FST-80: M/Bやメモリを冷却するのに重宝する。12cmタイプもある。

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上掲のうち、メインマシンではFF-503WHを3つ(※)とFST-80の12cm版(FST-120)を使用している。
※5インチベイが10個もあるフルタワーなので。