いつも寝不足 (blog版)

動物園・水族館へ行った記録が中心(?)。
他の話題はいつも寝不足 (信州FM版)で。

畑の現状

2006年04月30日 | 家事・修繕・園芸
ようやく安定して暖かい日が続くようになってきた。4月1日に蒔いた小松菜の現状が冒頭の写真。

畑の全体像としては、左下の写真の左列が小松菜で右列がほうれん草。ほうれん草は4月2日に蒔いた。真ん中の写真で出ている芽は春菊。虫がつきにくいので防虫ネットはなし。4月15日くらいに蒔いた。そして、右下の写真が白菜。春さかりという品種で、苗を買ってきて4月7日頃に植えたもの。今まさに結球が始まろうとしている。
畑の現状 春菊


上の写真を撮りながら雑草を抜いていたりしたら、ガサゴソ音がするので振り向くと猫が一匹。撮影した時には気がつかなかったが、べぇ~ってやってるね。この後、土を掘り返してチッチをして去って行った。

菜の花

2006年04月30日 | 外出
千曲川の河川敷に菜の花畑(多分、観光用)があって、まさに見頃を迎えているので行ってきた。

冒頭の写真のようなミツバチが大量にいて、最初はビビッタのだが、ミツバチの方は人間なんぞ相手にしている暇もないという感じで、花から花へと飛び回っていた。

そんなに広くはないのだが、それでも、これだけ大量に咲いていると目がチカチカして来る。リンゴの花も咲き出しているし、季節はまさに春本番。
菜の花畑 山と菜の花

龍岡五稜郭

2006年04月28日 | 外出
知っている人は知っている、もう一つの五稜郭、龍岡五稜郭へ行ってきた。

かく言う私も最近まで知らなかったのだが、みなもと太郎の同人誌でその存在を知った。五稜郭と言えば、99.99%以上の人が函館五稜郭を思い浮かべるはずで、実際、知名度や規模、歴史上の意義など何を比べても全く太刀打ちできない。

とは言え、そんなものは後からやって来たものが勝手に下した評価に過ぎないので、龍岡五稜郭を造った人たちは大真面目に造ったはず。実際、現在残っている石垣や土塁を見ても非常にしっかりとした造りになっていることが分かる。

しかし、いかんせん小さいんだよなぁ。

小さい、小さいという話は聞いていたのだが、実際目にしてみると本当に小さい。刀槍相手ならいざ知らず、鉄炮なんて言わず弓矢相手でも困っちゃうんじゃないかというくらい小さい。星形なので場所によって端から端までの距離が変わるのだが、それでも最大187mくらい。タイガー・ウッズならキャリーでオーバーしちゃうくらいの大きさしかない。

こりゃ、明らかに練習・研究用に造ったんだろうと思う。これが実戦で役に立つなんて考える人は、そもそも五稜郭なんか造らない(はず)。

臼田駅から徒歩で向かうと、まず砲台のあった西稜堡が見えてくる。ここには堀がなく、石垣のすぐ脇を通って北稜堡や大手門(冒頭の写真近辺)へと至る。
砲台下

西稜堡と北稜堡の境にあるのが黒門で、下の写真は黒門前に架けられた橋。手前側には堀がなくて、橋の向こうから堀が始まっているのが分かる。
黒門の橋

実は龍岡五稜郭、慶応3年4月(1867年)に竣工したことになっているのだが、実際はかなりの部分が未完になっているし、途中からやっつけになってしまったらしい。例えば、南東稜堡の堀の石垣。城郭側は切り込みハギできっちり組まれているのに、反対側は野面積みになっている。
穴門付近

野面積みだからダメというわけでもないのだが、他の部分が切り込みハギで非常に精緻に積まれているのに比べると、この野面積みの部分はいかにも間に合わせ仕事の感がある。そして、南西稜堡と南東稜堡の境にある穴門のところで堀は終わっている。

つまり、龍岡五稜郭の堀は5つある稜堡のうち北稜堡、東稜堡、南東稜堡にはあるが、西稜堡と南西稜堡にはない。カバー率60%。下の模型は手前右側が東稜堡、左側が南東稜堡になっているのだが、堀も途中で終わっている。
模型

なぜ、こんなことになったのかと言えば、藩主の松平乗謨のりかた(後の伯爵 大給おぎゅうゆずる)が倒壊直前の幕府で老中格陸軍総裁を勤めたりして、政治的にも経済的にも余裕がなくなってしまったのだろうと思われる。

なお、現在龍岡五稜郭の大部分は佐久市立田口小学校の敷地になっている。つまり、五稜郭の武者走り(写真で桜が植わっているところ)の上を小学生が走り回っているのだな。

龍岡五稜郭から、1kmほどの所にある新海三社神社(新海神社)の三重塔と東本社。いずれも室町期に造られたもので重要文化財に指定されている。
三重塔 東本社

松代象山地下壕(松代大本営)

2006年04月27日 | 外出
松代象山地下壕へ入ってきた。

入り口には大量のヘルメットが収納された物置がある。被らなくても入れる(※)が、気分を出すためには被った方がよろしいかと。
※本当は被らなくてはいけないはずだが、入り口のおばちゃんが「心配なら被って」と言っていた。
ヘルメット

入り口から入ってすぐは頭をぶつけそうなくらい狭いが、数十mで右に折れている。そこで見えるのが下の写真。理由は知らないが、このあたりはあまり真っ直ぐには掘られていない。拡張していく際に真っ直ぐにする予定だったのだろうか。また、一番奥に見える光は外界の光。非公開部分だが、山の中腹に出られるものと思われる。
地下壕(3)

上の写真部分を抜けると広く真っ直ぐに掘られている部分に達し、そのまま進むと今度は左に曲がる場所へ至る。ここは正確に言うと十字路で、2方向が非公開になっているので結果的に左への曲がり角になっている。
地下壕(2)

公開部分の一番奥の十字路にあるのが、測点跡。十字路の真ん中の天井部分に杭が打ち込まれている。その先には釘が残っていて、地下壕建設当時、測量計をぶら下げるのに使っていたらしい。
測点跡

地下壕内にはあちらこちらに削岩機で空けた穴が残っていて、抜けなくなった削岩機ロッドも何本か残っているそうだ。下の写真はそのうちの1本。天井部に刺さっているので、最初どこにあるのか分からなかった。
削岩機ロッド

トロッコと言っても、動力があるわけではなく、軌道のある4輪手押し車だったそうだ。
トロッコ枕木跡

非公開部分に書かれた文字や絵の写真。左の写真に書かれているのは「大邱」らしい。私は「大坂府 太郎」かと思ったのだが。確かに、左の列は「大邱」っぽいな。
文字など

ちと分かり難いが、この木片は壁面に打ち込まれている。この木片に碍子を取りつけ電線を張っていたらしい。
木片

川中島古戦場(八幡原古戦場)

2006年04月27日 | 外出
来年の大河ドラマは「風林火山」なので、来年は観光客が大挙して来るかもしれない川中島古戦場(八幡原古戦場)へ行ってきた。朝方から雨がぱらついていたのでどうなることかと思ったが、昼頃にはすっかり晴れ上がって、絶好の日和となった。

冒頭の写真は、川中島古戦場にある長野市博物館前の池に写る桜と空。山並みも写っている。この写真もそこそこ撮れていると思うのだが、実物はもっと凄かった。魚眼で撮るべきだったか?

川中島の合戦で最も有名なエピソードは、謙信が一騎駆けで信玄に打ち掛かり、それを信玄が軍配で防いだというものだろう。銅像もある。なお、私の祖先は上杉方だったそうなので、謙信メインのアングル。
一騎打ち像

左下から逆槐さかさえんじゅ(奧に見えるのが八幡社)、執念の石、首塚。いずれも川中島の合戦ゆかりのもの。面倒なので説明は省略。
逆槐 執念の石 首塚

川中島の合戦と直接の関係ないのだが、松代ということでえらく大きな佐久間象山の銅像がある。「象山」は「ぞうざん」なのか「しょうざん」なのかという話があるが、長野では「ぞうざん」だね。「信濃の国」でも「ぞうざん」になっているし。
佐久間象山像

ゆけむり (旧ロマンスカー)

2006年04月27日 | 郷土ネタ
以前、愛称募集のことを書いた旧ロマンスカー(長電での愛称は「ゆけむり」)が、須坂駅構内の車両基地に来ていた。レールファン長電によれば、10日ほど前に屋代駅経由(※)で到着していたみたい。
※旧信越本線(現しなの鉄道)屋代駅と同じ構内になるので、そこを経由してきたのかなとも思うが、詳しくないので大嘘のおそれもある。


冒頭の写真は奇しくも新旧の特急が並ぶ形になっている。ただし、右側の車両は昨年中に特急としての役目を終えているため、特急についてるエンブレムは取り外されている。
特急のエンブレム

本格的に使用されるのは今年の12月が予定されているので、現在のところ行き先は「試運転」になっている。
行き先は「試運転」

小池千枝コレクション 世界の民俗人形博物館

2006年04月25日 | 外出
臥竜公園へ桜を見に行ったついでに小池千枝コレクション 世界の民俗人形博物館へも行ってみる。

現在は「懐かしの大正ロマン人形」展を開催していて、冒頭の夢二風町娘や下の童女をはじめ、大正の風俗を感じさせる様々な人形が展示されている。これらは基本的に陶器製の人形に着色したもので、その細工の細かさや着色の繊細さが素晴らしい。
童女

「懐かしの大正ロマン人形」は企画展だが、それ以外にも様々な人形が展示されている。そもそもが小池千枝文化服装学院名誉学院長のコレクションなので、下のアルザス地方の民族衣装をまとった人形のように、世界各地の風俗・特色を色濃く反映したものが多い。また、そのままズバリに衣装も展示されている。
アルザス地方の民族衣装

その一方で、人形としても面白いものも多い。もちろん、これらの人形も作られた国や時代の風俗を反映しているので単純に分けることはできないのだが。

左下のビスク・ドールは作製された当時(1870年代)の衣装のまま。真ん中下のビスク・ドールは衣装箱を持ち、帽子やスポーツウェア、エプロンなどが収納されているそうだ。また、右下のドールハウスの人形が着ている服は、フランス伝統の名門校の制服とのこと。
ビスクドール 衣装箱つきビスクドール ドールハウス

下の2体のプドワール人形は1920年代のフランス製。
プドワール人形(1) プドワール人形(2)

上掲のような時代を感じさせる人形が展示されている一方で、比較的新しいものとしては中原淳一のフランス人形(振り袖を着ている)や、エルテの「黒のシンフォニー」の人形なども飾られている。(この2点は著作権的に問題が出そうなので写真は割愛)。

中原淳一のフランス人形は、何と言うか、人形に表れている中原淳一の感覚が凄い。「黒のシンフォニー」は『ファイブスター物語』のファティマの源流だね。

そして、一番奥の展示室には現役の作家 戸田澄江展「今日も、明日も、一生懸命。」が開催されている。この部分は撮影禁止なので具体的に写真で示せないのが残念だが、「なるほど、こういう立体でないと表現できないものがあるのだな」と妙に納得させられる。つまり、前から横から後ろから上から下から見る意味のある作品ってこと。

これらの作品は一部を除き販売されているの(2-3万円程度)で、気に入った人は買ってみるのも良いかもしれない。多分、その価値はあるはず。

犬吠埼マリンパーク

2006年04月23日 | 動物園・水族館
犬吠埼灯台の次は、犬吠埼マリンパーク

下の写真や、独自ドメインを持っていないことから推測できるように犬吠埼マリンパークはそんなに大きな水族館ではない。建物は小さくないが、飼育されている種類や個体数も少なめ。
イルカ(2)

こう書くと、何やら行く価値のない水族館のように思えるかもしれないが、さにあらず。イルカプールが小さい(※)のは、裏を返せば間近でイルカを見ることができるということであり、イルカが思い切りジャンプするとほとんどの席まで水しぶきが飛ぶということでもあるのだ。
※4頭のイルカ(うち1頭は子供)にとって十分な広さなのかは分からないが。

まぁ、水しぶきは電子製品なんか持っていると痛いことこの上ないが、一番高い席からでもプールはそんなに離れていないので水しぶきがどうしても嫌な人は、そういったところから見ればよろしい。

ちなみに、冒頭の写真はプールの裏側から撮ったもの。席はないが、イルカのジャンプする姿を撮るには結構良いポイントかと思う。スピーカーの音量や向きの関係で、飼育係の話が聞こえなかったり、正面ステージ近辺で行われていることはほとんど見えないという欠点はある。その代わり、下のような光景が間近で見られる。
ステージ裏から



【以下工事中】


アザラシとヤシ カクレクマノミ

インドシナウォータードラゴン

オニダルマオコゼの食餌

銚子電気鉄道

犬吠埼灯台

2006年04月23日 | 外出
犬吠埼マリンパークへ行くついでに犬吠埼灯台へ行ってきた。両者は数百メートルと離れておらず、本当に目と鼻の先。

冒頭の写真は笹川財団(公称: 日本財団)の援助で作られた灯台資料展示館に展示されている灯台のレンズ。建設当時のものを復元したものらしい。建設当時のものは先の大戦で破損してしまったそうで、それがどの程度利用されているのか、それとも全く新しいものなのかは、説明書きでははっきりしなかった。

この写真では大きさがよく分からないが、高さ2.6m、直径1.9mもあるそうだ。重さは分からないが、間違いなく非常に重いだろう。昔は、これを人力で(正確には回転させるための重りの巻き上げを人力で)回転させていたのだから、非常な重労働だったことが想像される。

灯台のレンズなのだから、光を遠くまで届けてくれなくては話にならない。レンズの中には電球が置かれていて、それをレンズ越しに見ると大きく、また、明るく見える。どういう造りなのか詳細は分からないが、良くできてるもんだ。
レンズ(1) レンズ(2)

犬吠埼灯台は、本当に崖っぷちみたいなところに建っていて、尚かつ登ることができるので、外から見る姿も良いし、登って目にできる見晴らしも良い。あ~る君もどうせなら犬吠埼灯台に行けば良かったのに。
灯台(1)

正面から見ると3ヶ所扉があるが、真ん中が上への階段入り口で左右の扉は資料室(上掲のレンズが置いてある資料館とは異なる)への入り口。真ん中の入り口上部にはプレートが掲げられていて、「明治 七年 甲戌 十一 月十 五日 初點」と読める。階段は螺旋状に99段。九十九里浜にちなんだ段数だとか。
灯台(2) プレート 階段

登り切ると太平洋を一望できる。水平線が弧を描いているので地球の丸さを実感できるそうだ。私は眼鏡をかけているので視野が狭く今一つ分からなかったが。なお、下の写真の水平線が丸いのはセミ魚眼レンズで撮影しているため。
丸い水平線

上の水平線の写真の下の方に写っているのが霧信号所。要するに、霧笛を鳴らす所。左下の写真は日本初の霧鐘(明治10年使用開始)。重さは1.7tもあり、蒸気式の霧笛が採用される前の青森県の尻屋崎灯台で使われ、その後も昭和12年まで北海道の葛登支岬かっとしみさき灯台で使われていたそうだ。
霧鐘 霧信号所

あんずまつり

2006年04月19日 | 外出
千曲市のあんずまつりへ行ってきた。

あんず自体は家の近所にも結構あるのだが、千曲市の凄いところは、その数。正確に何本あるのか知らないが、「一目十万本」と言われる通り、見渡す限り、あんず、あんず、あんず。

あんずは桜のような狂おしい咲き方はしないが、さすがにこれだけたくさんあると凄い。

あんずまつりで目にする木のほとんどは高くても3mくらいだが、あんずは放っておくと2階建ての家より大きくなる。実際、下の写真の保存樹(樹齢250年)は10mくらいあるんじゃないだろうか。

保存樹(樹齢250年) 飛び抜けて高い保存樹

あんずの矮化をどうやるのか知らないが、左下の写真のものは枝の張り具合に比べて高さが非常に低い(2mないと思う)。こういうものがある一方で明らかに大きくなった木を切ったのが右下。
矮化? 接ぎ木?

特に芸もなくあんずの花とつぼみの写真を3枚。
あんずの花(1) あんずの花(2) あんずのつぼみ

あんずまつりの会場は、森将軍塚古墳(昨年行った)から4kmほどの所にある。このあたりはあちらこちらに古墳のある地域なのだが、個人宅の庭先にもある。恐るべし。白塚古墳という名前で、千曲市の史跡にも指定されている。古墳時代後期(7世紀台)のものと考えられているそうだ。
白塚古墳(1) 白塚古墳(2) 白塚古墳(3)

「古墳のある生活」ってのも、洒落ているんだか何だか分からないが、話のネタにはなりそうだ。それにしても古墳に花を植えても良いのかいな。個人所有のものだから構わないんだろうとは思うが。

18点足りず ― 全経簿記能力検定(上級)

2006年04月18日 | 受験
2月に行われた全経簿記能力検定(上級)の結果が返ってきた。

結果は不合格。タイトル通り、18点足りなかった。ちなみに、合格ラインは400点満点で280点(70%)。ただし、4科目(商業簿記、会計学、工業簿記、原価計算)中1科目でも40点以下があったら不合格。

私の感触では、工業簿記、原価計算が80%以上の出来で、商業簿記がダメかもと思っていたら、予想は大はずれで商業簿記と会計学は約70%だったのに、工業簿記と原価計算が約60%。結果、合格ラインには18点足りなかった。

う~ん、工業簿記と原価計算は、特に難しいと思わなかったのだが、何か致命的な勘違いをしていたみたいだ。