私の皇室に対するイメージってのは、第五章「そして、昭和は終わった (昭和五十八年~平成二年)」と第六章「無関心にさらされて (平成三年~十年)」の章題がなかなか端的に表していると思う。特に後者が。昭和47年生まれなので、今上の恋愛→成婚は両親がまだ少年と呼ばれるような頃の話だし、島田雅彦(編著者)のように自分の成長と皇太子の成長を併置して感じることもできなかった。皇太子の成婚だってさして身近な話題という訳でもない。
こういった事情(基本的に無関心)は、ほとんどの人に共通するものだと思う。例えば、
昭和三十四年十月、「皇室アルバム」は華々しく放映を開始した。「開かれた皇室」を象徴するこの番組は、皇室の生活についてのディディールを公開する画期的な番組だった。(p. 97)
で始まる「『皇室アルバム』と僕」の結語は以下の通りだ。
実は今でも、「皇室アルバム」は週末の早朝に放映されている。(p. 98)
もちろん、折々に触れて皇室の話題はニュースでも流されるし、皇位継承権や人格否定発言などなどで週刊誌の話題をさらうことも珍しくはない。しかし、皇室という枠で括られてしまう人たちが実は人間で、各々の感情と将来への希望や不安を抱きながら生きているということをどれだけの人が身に沁みて考えたことがあるのか分からない。
少し話が逸れるが、城山三郎『
大義の末』(角川文庫、1975年)に東京高商(現 一橋大学)を慰問(?)に訪れる当時11歳の今上の姿が描かれている。それまで、天皇というと昭和天皇の変ちくりんなしゃべり方
(※1)や、お仕着せ風のお言葉を述べる
(※2)今上の姿しか思い浮かばなかったが、『大義の末』に描かれた少年皇太子は、敗戦という事実と皇統を継ぐ者であるという事実の狭間で懸命に振る舞う(皇族に求められるものを)けなげな一少年でしかなかった。
※1 その理由についても、本書で簡単ながら触れられている。
※2 もちろん、お仕着せの場合もあろうが、可能な限り自分の意見・言葉を述べようとしていることは、編著者が指摘している通り。
そして、その後に続く主人公(おそらく城山三郎自身)の感想が、少なくとも私の今上に対する考えを変えた。現在の象徴天皇制について、また、皇室の存続(廃絶含む)について最も真剣に考え苦悶してきたのは他ならぬ今上のはずで、その結果が開かれた皇室と平和憲法に則った各種のお言葉や行動として表れているように思う。この点を島田雅彦は以下のように述べている。
英王室に範を採った当時の宮内庁首脳部は、このような大衆化を全て許した。「『恋』の『平民』皇太子妃ブームは、いわば新憲法を前提としてのみブームとなり得たのである。それは新憲法ブームという方がふさわしくはなかろうか」という松下圭一は予言的に述べているが、のちにケネス・ルオフが『国民の天皇』で考察しているように、それは正しい見通しだった。
現在の明仁天皇を見ていると、ご成婚当時の天皇観をそのまま堅持し、揺るぎがないという印象がある。右翼の批判などどこ吹く風、自分は確かに天皇ではあるけれども、たとえ一人の市民だとしても、公の義務と責任をしっかり果たしさえすれば、敬意を持って遇される人間になる、という民主主義の思念に極めて忠実に行動しておられるように見受けられる。
神としての天皇の威厳や、国民的影響力を発揮するカリスマよりも、率直で、礼儀正しく、信念に基づいて行動する善人になること。一学者としても成果を残しているし、昭和天皇の代行として諸外国に謝罪を続けた独自の気配りと歴史観は終始一貫している。また、現代では形骸化してしまっている一夫一婦制、ここでは妻一筋に生きる姿勢を、これほど律儀に守っているご夫妻も珍しい。
明仁天皇は、その地位が約束されずとも、世間の荒波を実力で渡ってゆくことができる人材に育ったに違いない。歴代の天皇に比べても、能力、人格で勝負しようとされている稀有な天皇だと考えるべきではないか。 (pp. 86-87)
個人的には、今上のこういったところに非常な好感を持つし、島田雅彦が冒頭に掲げる「親愛なる陛下、殿下へ」で始まる献辞も一見、いわゆる「右翼的な」ものに見えるけれども、実は、人間としての皇族に対して捧げられたものであることが分かる。これは三島由紀夫の「などてすめろぎは人間(ひと)になりたまひし」に代表されるような「ロマン主義の源としての天皇」(例えば、本書冒頭の白馬に跨る昭和天皇)とは対極にあるものだ。
実は、今上はいわゆる「右翼」に評判が良くない。もちろん、「右翼」といっても一枚岩ではないし、様々な主張を持つ人たちをレッテル張りしたものに過ぎないから、今上に対して不満を持つ人がいても何ら不思議ではない。しかし、仮にも「右翼」が天皇に対して批判的な態度を取るとは。。。
これは、今上こそが現行の憲法を最も体現しているという奇妙と見えなくもない事情によっている。実は今上や東宮のおことばこそが最大の護憲勢力と言ったら笑われるだろうか。しかし、これは紛れもない事実で、いわゆる「左翼」勢力が後退し、護憲という呼び声が虚空に消えていく中で、繰り返し繰り返し現行憲法の象徴天皇と不戦を表明しているのは今上だし、民とともにあろうとしている姿に嘘偽りはないと思う。このあたりの事情は、孝明天皇こそが最大の幕府支持者だったということに似ていなくもない。
司馬遼太郎が、日本の歴史は天皇抜きで考えると分かり易いと述べているのを佐高信が批判していたが、これは正しくて、神主の親玉でしかない時期が長かろうがなにしようが、天皇を抜きにして日本の歴史を考えるのは無理がある。もちろん、現在から過去を見渡す際に明治維新近辺で異常なまでに盛り上がった天皇に対するロマン主義を通して、それ以前の天皇を解釈する愚も避けなければならない。その意味では、司馬遼太郎の主張も正しい。おそらく、小説の明解さのために天皇抜きという視点を使うのが司馬遼太郎の本意ではなかったかと思う。
いきなり、日本の歴史なんて長大なことを言い出しても仕方ないので、取り敢えず私たちと同じ時代を生きている皇族がどういった人たちであるかを知るところからはじめるには本書はうってつけだと思う。例えば、
私は日本の建国が決して一人の英雄の手によって一時にできあがったものでなく、我々の祖先が、あるときは争い、あるときは和し、またあるときは苦しみ、あるときは楽しみつつ、旧石器時代から縄文、弥生、古墳時代と何万年という時代を重ねつつ成し遂げてきた複雑な社会的発展の結果生まれたものであることを確信し、この際歴史的真実を歪曲してまで、一部の日本人のかたがたの昔をしのぶ感情論から、学問研究の百年の計を一瞬にして誤るおそれのある建国記念日の設置案に対して深い反省を求めてやまない。(p. 90)
という三笠宮崇仁の信念や
もうダメだよ。皇族をやめたい。至急会議を開いてほしい。(p. 142)
という三笠宮寛仁の悲痛な叫びは知っている人は知っているけれど、知らない人は全く知らないと思う。こういったことは全てうやむやにされ封印されていくから。
国家の「機関」ではなく、「人間」である天皇とその眷属を知る。その結果として、
今後も憲法の定めるところに従い、市民の平和な未来のためにお務めを果たされる陛下、殿下にとって、日本が、そして世界が希望の源であらんことを願っています。また、陛下、殿下が私どもに与えられている自由と権利をともに享受される日が来ることを心よりお祈り申し上げます。(p. 1)
という天皇観を私は非常に好ましく思う。
※もう少し書くかも※