ただ生きるのではなく、よく生きる

自然の法則をとらえ、善(よ)く生きるために役に立つ情報を探して考えてみる

疑心暗鬼を生ず──疑いの深さからあらぬ妄想にとらわれるたとえ

2017-03-14 18:50:56 | 知恵の情報
暗鬼とは、暗がりの中の鬼のことであり、心の中に疑いを持って見ると世の中に
在りもしない鬼の形を見たりするようなことになる。つまり先入主は往々にして判断の
正しさを失うものであるから気をつけなければいけない。

「列子、説符篇」のなかに─ある人がもっていた斧を失なっていくら探しても見つか
らない。事によったらだれかに盗まれたのかもしれないと思ってみるとどうも隣の
家の倅(せがれ)が怪しい。自分と会ったときの顔色や態度が変だった。斧を盗んだ
のはあいつに相違ない、人は見かけによらないものである油断も隙もならないと
ひとり憤慨していた。それから相当日時が経ってから自分の山の谷間からその
斧が見つかったので、おやおやと思いながら、よくよく考えて見ると、薪木を伐りに
行ったとき自分で置き忘れてきたものであることがわかった。

さてそこで、隣の倅の起居振る舞いを見ると、これまでと、少しも変わっていない。
なぜあんなに疑ったのかさえわからなくなって、それまでの猜疑心は一ぺんに
消えてしまった。これは、つまるところ「彼奴(あいつ)が盗んだのではないか」という
自分の先入主から「彼が盗んだのだ」とひとり合点してしまったので、全く関係
のない者が怪しんで見られるに至ったのであった。同じ人を見、同じ状態を見ても、
見る人の心の置きどころによって怪しくも見え、「疑心暗鬼を生ずる」人間の心の
弱点をいましめたものである。人または人の上に立つ人の特に銘記すべき
箴言であろう。

─『一日一言 人生日記』 古谷綱武編 光文書院 より

■人間は自分の都合の悪いことは相手のせいにしてしまうことがよくあるものだ。
自分より相手を主体に考えることでつらぬくことは大切なのだと思う。世の中には
悪いやつもいる、こちらが信じても、心の素直さがひん曲がってどうしようもない
ものもいる。でも、勇気を持って、自分をへりくだってとらえなくてはならない。
自然の法則は、共存共栄でできているのだから、それにあわせることが重要だ。
自分がどうなっても・・・

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