ただ生きるのではなく、よく生きる

自然の法則をとらえ、善(よ)く生きるために役に立つ情報を探して考えてみる

あなたの「おかえり」の声は、家族を明るく迎えていますか     日野原重明

2016-10-15 18:43:16 | 知恵の情報
朝一番の爽やかな「おはよう」のあいさつや、食事の前に「いただきます」と自然に
手を合わせる習慣は時代が変わっても大事にしたいと思いますが、最近はどうなの
でしょう。

私の父は牧師でしたから、食事を囲むと、まず家族でお祈りをしてから食事をいた
だくのがつねでした。食事の前にお祈りをする人はむしろ少ないということを私は
学校に行くようになって知り、急に気恥ずかしさを覚えるようになって、家の外では
食事の前に周囲にそれとわからぬようにテーブルの陰で手を合わせ、随分早口
のお祈りですませていた時期もありました。

それでも昔は、「いただきます」と少し頭を垂れてから食事を始める人を街の食堂
でも見かけましたが、いまは目にすることがあまりありません。照れくさく思うので
しょうか。食べられるのが当たり前の豊かな時代になって、そんなふるまいそのもの
が忘れ去られたのでしょうか。

「ありがとう」「ごめんなさい」「ただいま」「おかえり」「ごちそうさま」・・・・・・・。
声に出せば実に短い、ささやかなあいさつのことばにすぎませんが、声音や
調子にこれほどその人の心の内が映し出されることばもないように思います。

あなたの「おかえり」の声は、いまも明るく弾んで家族を迎えていますか。家族
と長い年月をともにするうちに、だんだん「おかえり」の声のトーンが低くくもって
帰宅した家族に思わず、
「いま帰って来てはまずかっただろうか」
と思わせてしまうようなことがなければよいと思います。あなたにお孫さんがある
なら、孫に呼びかける「おかえり」の、あの明るく1オクターブ高いトーンの声と比べ
てみるといいかもしれません。

─『続生き方上手』日野原重明著 ユーリーグ株式会社刊より

お釈迦様の八正道のなかの正語の説明を見てみると、
「正語(しょうご)正しくものを語る。正しく語るというのは、愛と慈悲のある言葉を
語る、愛と慈悲をこめた語調で語るというものです。正しく語れば、調和をつくり
出せます。」
とあります。ここで、私が気づいたのは、「愛と慈悲をこめた語調で語る」という
所でした。「語調で語る」というのは、あくまで自分が調整するということです。
なりいきのままでなく、自分が冷静になり、行動することが読み取れます。
さとりの状態にあるがままというのがありますが、それは、わがままとはちがい、
自然体でこの調整能力が身についているものだと思います。
子供の姿には、うれしさだけの純粋な気持ちであいさつをしてくるでしょう。
それを見ると大人になった自分は、日ごろの悩みを抱えて、あいさつができない、
でも「語調で語る」ということは、できるはず。ひとつの訓練であるかもしれない。
そういうことを繰り返しながら、自然体の自分を取り戻し、自然法則に従順な自分を
湧き出させるということはできるのではないかと思う。

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