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神経質症は精神病ではありません──「人間性に対する謝った認識」から生ずるもの

2016-10-08 16:25:39 | 医療
テレビや新聞雑誌の事件報道で、「原因はノイローゼ」という言い方をしていることが
よくあります。そのため、神経質症と精神病を混同している人が多いようです。
神経質症は精神病ではありません。また、身体の病気でもありません。では、
神経質症とはどういうものでしょうか。

神経質症とは、「人間性に対する謝った認識に基づく精神的なからくりによって
生ずる」ものです。健康な人なら誰にでもある、またなくてはならない心理的
あるいは生理的現象を、異常や病気と思い込んでしまうこと─これが「人間性
に対する誤った認識」です。これはとんでもないことになった、何としても治さな
ければとあがけばあがくほど、神経質症状が強まり、深みにはまっていきます。

神経質症に苦しむ人には、ある種の性格傾向が認められますが、それがいわゆる
神経質性格です。では、神経質性格の人はみんな神経質症に悩むのかというと、
そんなことはありません。次のような条件が重なったとき、はじめて神経質症に
なるのです。

まず第一に、外的要因として、やっかいな環境や状況におかれた場合です。たとえば、
就職、結婚、出産、退職などといった人生の節目、昇進や転勤、病気や親しい人の死
といった環境や身辺の大きな変化が、そうした外的要因になります。

次に内的要因としては、①神経質性格と幼弱性が結びついてマイナス方向に傾
いたとき、②ものごとや環境にうまく対処できないのではないかと適応不安を感じた
とき、③「かくあるべし」といった観念に縛られて人間性に対する謝った認識を持った
とき、などが挙げられます。

このような外的要因と内的要因が重なり合ったときに当然生まれてくる感情や
生理的な変化を、「他の人にはない異常なもの、あってはならないもの」と認識する
誤りが、神経質の始まりです。そうした感情や生理現象を取り除こうとしても、
それは、当然あるべきものをなくそうという不可能な努力でしかありません。
それなのに、取り除こうとますます注意をそこに集中するから、あがけばあがくほど
症状の泥沼に陥っていきます。このような精神的なからくりのせいで、何十年もの
長い歳月を苦しんで過ごす人もいます。

この神経質症の苦悩から開放されるためには、まず何よりも神経質症の本態
(メカニズム)をよく理解し、認識の誤りを正して努力の方向を修正し、症状は
あっても日々の生活に必要なことを実践していくことです。

神経質症に苦しむのは嫌なことに違いありません。、しかし、それは人間というもの、
自分というものを正しく知って、自分や周囲の人たちを活かしていく道を開く貴重な
機会でもあるのです。

─『現代に生きる森田正馬のことば Ⅱ新しい自分で生きる』生活の発見会編 白洋社

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