自由に五七五

季語を意識して画像を1枚載せて楽しんで行くつもりです。
川柳もどきになるのはスタートが万流だったから。

御田植えや芭蕉の旅はどこあたり

2024年06月05日 | 写真俳句
艸たろ館(くさたろかん)
生活に使った実際の道具
明治の文芸人の作品
道山昭爾作品
 
今月3日に仕事終わって奥の細道で芭蕉も泊まった須賀川へ

行ってきました。

昨年からその足跡をたどるつもりの一環です。

風流のはじめ館の場所の隣町に叔母が住んでます。

退職してから俳句も始めたので叔母の家にご挨拶。

家内も一緒です。積もる話の後風流館へ行きました。

今は芭蕉の旅の企画展してました。

そしてもう1カ所叔母の提案で「艸たろ館」案内されました。

気になる場所ですが須賀川俳諧の牽引者でもあった

江戸期からの道山 壮山の邸宅です。

商人でその後の俳人に大きな影響を与えた人です。

草太郎、昭爾と続き俳句界を牽引してきたと言っても良いと思います。

自宅は今風ですが蔵が二軒残っていて、文芸作品などいろいろ。

蔵書も沢山。俳句本などかなりの分量が蔵に眠っていました。

残る家族がそれを掘り出し時期に合わせ飾ってあります。

見学は電話してからとの事で風流館でも案内してます。

 奥の細道で芭蕉が残したのは

「風流のはじめや奥の田うゑ唄」です。

他にもありますが今日はそれを訪ねようかと思っておりました。

実際に逗留したのは6月8日からのようです。






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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (kitaura)
2024-06-05 08:49:54
足跡を辿る・・・流石です。道山氏の名前
は聞いたことあります須賀川市は俳人が多い
です。
民友新聞の文芸欄の選者は須賀川市の方です
俳句の歴史は松尾芭蕉氏が訪れる前から盛ん
だったんでのでしょう。叔母様がいることも
力強いです。
くさたろ館・・・漢字読めませんでした
この先色々なことが発見されること楽しみですね
又、色々教えて下さい。
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Unknown (たんと)
2024-06-05 14:54:21
いい旅ができますね。
からだを動かしながら頭の体操にもなります♪
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御田植え (安のり)
2024-06-05 15:58:54
kitauraさん
 奥の細道で須賀川に泊まったのは今頃ですね。
6月8日から七日間ほど。
その時あちこち巡ってますがそこを訪ねるのが
目的でした。乙字ヶ滝は今回初めて拝見しました。
その脇は何度も通った道沿いにありました。
 それから多代女の墓のある十念寺など。
翠ヶ丘公園にも金子兜太の句碑があるはずが
解らず五老山で見てきました。
松明かしする場所です。
公園内にレストラン、喫茶展、お風呂まで入れる
店など出来ておりました。木曜日60歳以上は
1000円でうどん付きで半日は楽しめるそうです。
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田植え (安のり)
2024-06-05 16:02:54
たんとさん
 乙字ヶ滝と十念寺は初めてですが
公園などは叔母がいることもあって俳句する前から
何度も訪ねている場所です。
今回は喫茶展、麺の店、それとお風呂付きで食事も
出来る店など公園内にいろいろお店がありました。
これは初めてでした。
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Unknown (秩父武甲0231)
2024-06-05 19:15:16
こんばんは

俳句の原点を再確認出来、有意義な旅になりましたね。
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Unknown (鮎太)
2024-06-06 05:26:44
奥の細道をたどる、いいですねえ。
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田植え (安のり)
2024-06-06 05:41:05
秩父武甲さん
 芭蕉の足跡これで県内はほぼ見ました。
アマチュア無線時代は何も知らず歩いていた
白河の関など、俳句するようになりその後
二度ほど訪ねました。
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田植え (安のり)
2024-06-06 05:44:23
鮎太さん
 昨年亡くなった黒田杏子さんは
桜追いかけ沖縄から北海道まで歩いたそうです。
「奥の細道」せめて県内くらいはと思ってました。
白河、須賀川、福島、飯坂とみること出来ました。
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