劇団ぷにぷにパイレーツ座長日記

劇団ぷにぷにパイレーツ座長・石崎一気が、演劇、パントマイム、音楽等、舞台芸術の情報を、毎日発信!

『セチュアンの善人』エピローグの有無について

2012-04-13 08:27:58 | 演劇
2週間ほど前、”東京演劇集団風”の上演した『セチュアンの善人』について、感想を書きました。
その中で、「なぜ、原作にあるエピローグをカットして上演したのだろう?」という疑問を投げかけました。
すると、”風”の方から、ご丁寧に、それに対する回答を頂戴しました。
芸術監督の浅野佳成さんに確認の上、そのコメントを送って頂いたものです。
今日は、その主旨を、簡単にご紹介させて頂きたいと思います。

「エピローグに書いたブレヒトの批評は、今の時代には甘い」と感じるからやらなかった。
いま、我々は、もっと途方もない時代に生きている。
私たちには、「仕組みの中に取り込まれてしまっている」という現実がある。
思想史家・藤田省三さんは『全体主義の時代経験』の中で、こう記している。
「“処方された幸福”を“自ら開発した幸福”と取り違えて、ベンベンと満足の日を送る精神の死骸が残らざるを得ないであろう」
いつか、今そのものを批評し、さらには、我々自身が批評されていく世界をつくらなければならない……。
そんな思いから、今回はエピローグを語れない。
客席とともに思考したいとの思いで、芝居を提示する…。

以上のようなお答えでした。
僕自身は、劇作家的な目線から「エピローグがあった方が、皮肉で面白いなあ…」と思っていました。
しかし、”風”の皆さんは、今の日本の問題を踏まえて、より厳しい姿勢でこの作品を上演されていたんですね。
その固い決意に、僕は、心打たれてしまいました。

このように、劇評に対し、真摯に回答して頂ける劇団は非常に珍しいと思います。
ここまで真面目に作品に対峙し、また演劇を通して社会を見つめ直そうとする取り組み自体が、レア・ケースです。
今の日本では、目の前の”受け”だけを狙う演劇や、お金儲けの手段として用いられる演劇ばかり、跋扈しています。
エンタテインメント性重視の商業主義化に抗い、観客の批評性を喚起する叙事的演劇を提唱したブレヒトの作品を上演すること自体が、すでに挑戦的なものなのです。
そういった骨のある演劇を希求する“風”の公演に、今後、ますます注目していきたいと思っています。
今年の夏、”風”の公演予定には、かなり面白いラインナップが並んでいますよ。
(8月3日~5日に、ブレヒトの『マハゴニー市の興亡』も上演されます)

また、まだまだレベルは低いものの、ブレヒト先生に一歩でも近付けるように、僕も鋭意努力していくつもりです。
今年の年末には、再び、どす黒い社会風刺作品を提示する予定ですよ!