和州独案内あるいは野菜大全

第一回奈良観光ソムリエであり、野菜のソムリエ(笑)でもある者の備忘録のようなもの。文章力をつける為の練習帳に

春日大社 一の鳥居

2008年05月31日 | 和州独案内
 春日大社 奈良市春日野町

 主祭神  第一殿 武甕槌命
       第二殿 経津主命
       第三殿 天児屋根命
       第四殿 比売神

 摂社 若宮神社 水谷神社 榎本神社ほか
 末社 手力雄神社 酒殿神社ほか総計61社を数える

 社伝によれば神護景雲元年(768)に、常陸の鹿島社より武甕槌命が白鹿に乗って、この地に舞い降りたとする。「延喜式神名帳」名神大社で二十二社の一。
 
 中臣氏から分枝した藤原氏が自らの氏神を、当時の東国経営の先兵としてあった鹿島の神に選んだのでしょう。タケミカズチの名の通り、武神であり剣そのものでもある非常に猛々しいこの神様は、後に貴族化する藤原氏からは違和感すら覚えるが、雷神即ち水神の性格はこの春日の地にふさわしいと言えるのでは。社伝に云う神護景雲年間は、北家の藤原永手(不比等の孫)により四柱の遷座が整えられたのがこの頃であって、早くは和銅年間に藤原不比等によって春日の地に祀られています。
 
 春日大社を訪れるには、三条通りをひたすら東にまっすぐ行き、興福寺の南大門跡、猿沢の池を左右に見ながら進むと「一の鳥居」に辿り着きます。平安期以来の社域をほぼ現在に受け継いでいるので、全国的に見ても屈指の社域と言えます。ゆったりと幅広い参道はまっすぐ東の山麓を目指しますが、荷茶屋・神苑を過ぎると大きく右にカーブし、徐々に参道が細くなり、鬱蒼と茂る木々が密度を高めて視界に迫ってきます。
 やがて「二の鳥居」が現れると下馬、下乗の為の溜まりで空間が広がりますが、鳥居を潜ると緩い勾配が始まり、参道もますます細くなっていきます。石灯篭が林立する石段を登りつめ、北に90度折れると、目の前には朱塗りがまぶしい「南門」が現れます。
 
 これが春日大社の大宮に至る参道の解説ですがイメージできましたか?神社の参道は本殿に至るただの通路ではなく、神と対面するのに際して心を落ち着ける時間でもあります。更に参道は神社の聖域性を演出する為の重要な装置であると云います。昔の人たちがどれ位その事を意識していたかは分かりませんが・・・。
 春日大社はその聖域性の演出、仮に称するならば「参道効果」とでも言うものを感じられる典型ともいえるのです。
 広い参道が徐々に狭まる、「参道の収斂」
 真っ直ぐの参道が方向を変える、「折れ曲がり」
 高低差を変える、本殿を参道からは隠して見えなくする、と言った様々な方法で
心理的な高揚感を演出します。春日に限らず由緒のある神社を思い起こすと「折れ曲がり」くらいは当てはまるのではないでしょうか?あえて直進性を排し、シンメトリーを崩すあたりが、後の和様への繋がりをを感じさせなくもありません。 
 神道は仏教の伝来に刺激されて宗教としての体裁を整えた所があります。教理、教学もそうですが仏教建築の影響も受けたはずです。それでも肝心なところは先進的な大陸風を排除するあたりは、平城宮の大極殿と内裏施設の関係に似ています。

 一の鳥居を潜って全然先に進めていません。更に、ここに画像を貼れるようになるのでしょうか。あと参道効果(仮称)を感じるためには、朝早く人の少ない頃に訪れるのが良いと思います。