かくれて咲く花

~凛として~

どんな空でも

2008-05-01 19:26:33 | Weblog
待てば海路の日和あり。Everything comes to those who waits.

大学時代、めっちゃめちゃ怖い教授が、ボソッと教えてくれた。19世紀のヨーロッパ外交のクラスで、ビスマルクの戦略について習っていた。英語のテキストを英訳する予習が大変で、おっかなびっくり訳を発表すると、ものすごく不機嫌そうな表情で「君たちは本当に英語を勉強してきたのかね」とイヤミが飛んでくる。泣きそうになりながらも、めげずに最後まで通ったので、いまだに大学時代の友達が「よくがんばってたよね」と称賛してくれる。その教授のあまりにも高飛車でイヤミな態度だったため、当初100人くらいが集まったそのクラスは最終的に4人しか登録しなかった(わたしは教授の態度より学びたいものを優先してしまった)。よっていつも授業は教授の研究室でゼミ状態で行われていた。

あるうららかな日の午後。授業のあいだに、自分が書いている本の編集者からの電話に横柄な態度で応対し、叱りつけてガチャンと電話を切ったので、われわれはその不機嫌オーラに気押され、うつむいているしかなかった。するとしばらくして、紅茶を飲みながら教授は急にやさしくなり、「君たちは物事がうまくいかないときにはどうすれば一番いいと思うかね」とたずねてきた。が、うっかりしたことを言ってイヤミを言われるのを恐れて、みんな黙っていた。すると「待つことだよ。『待てば海路の日和あり』ということわざもあるだろう。待っていれば状況は変わるのだ。ビスマルクだって、行動を起こす時は時期が来るのを待ったのだ。待つことができることが名将だ」とかなんとか、細かい言い回しは正確ではないが、そんなようなことをおっしゃったことを覚えている。「だから君たちも、この先人生でうまくいかないことがあったら、じっと待つことだよ。そしたら状況が変わってくる」と。

そのときは、「今日はなんでこんなにやさしいんだ」ということに動揺して、「妙にやさしかったですね」などとクラスメイトとひそひそと話しながら帰ったのだが、社会人になってから思い返すと、味わい深いことばだなあと思う。ふだんはのんびりしているくせに変なところでイラチなわたしは、結論を急ぎたくて待てないことが多かった。相手の状況や気持ちも考えずに、「あの件はどうなりましたか?」と答えを急かして怒られたり、状況が変わるまで待つ、というのはかなり拷問に近かった。というわけで、こんなにいいアドバイスをいただいておきながら、待てなくて失敗することは本当に多かった。それから徐々に学んで、相手の状況をうかがったり、多少待てるようになった昨今、またこのことばを実感するようなことがいくつかあった。すすめたいと思っていたことがもやもやとした状況になり、どうすればいいんだろう?と思っていたところ、とにかくすすめるべきならすすめるというGOサインがくるだろうし、物事が動くのにはタイミングがあるからしばらく待とうと思ってじっとしていた。そしたら、ある日ふと状況が動いた。ああ、こんなふうに物事って動くんだなと思うと同時に、待つことができるようになった自分がうれしかった。昔のわたしなら、なんとかして状況を動かそうとして、空回りしただろうから。

この変化は、物事は自分の力だけで進むものではないとわかったことが大きいのかもしれない。自分の都合だけでも動かないし、いろんな条件が揃って物事はすすむものだ。たとえば小さい頃楽しみだった運動会や遠足だって、お天気がよくないと延期されたように、自分たちがいくら「こうしたい」と思っていても、そういう時期じゃないときにはうまくいかない。だけど「停滞している」ように思えるのはそう長い時間じゃなくて、必ずまた状況は動き始める。それがわかってくると、待てるようになった。待てなかったのは、それは「何でも自分の力でどうにかなる」という傲慢があったから。天の配剤は完璧なのに、それを信じられなかったということだろう。

いまは焦りでイライラしそうになるたび、つぶやいている。「すべてはうまくいっている」「すべてはよきに計らわれている」――ホントに、すべてはperfect and divine orderだから、「天にゆだねる」ことを覚えて、人生は以前よりずっと楽に、そして起こることすべてに感謝できるようになったように思います。♪いつしか晴れるよ どんな空でも♪→コブクロの歌が、いまのテーマソング!


最新の画像もっと見る

post a comment