「アリータ:バトル・エンジェル」特別映像:メイキング
慌ててアイデア💭を書いて出して、色々雑でごめんなさいね🙇🙏(おいおい整えるつもり🙌)
今日はこの後、ジェームス・キャメロンの新作を観に行ってきます(使命 滑り込みギリギリセーフ)
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🍣= ちらし寿司 =🍣
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🍣 🍣 🍣
🍣🍣🍣
🍣🍣🍣
🍣🍣🍣ちらない寿司
🍣ただ一人使命を負って戦いへと赴く覚悟を決めた寿司
今日は東京医大のおはなしで持ちきり…
レイチェル・カーソンさんの恩師の先生も、女性の科学者だということで、男性社会の中、努力が報われずたいへんなご苦労をされたとか…(こちらの評伝で知った事実…)
カーソン氏との強い結びつき、絆があり、先生がガンに倒れると、カーソン氏は病床にかけつけ、献身的に看病をしたのだとか…
そして、先生亡き後は、遺志を引き継ぐように、レイチェルは、科学への想いを一層強くした…
レイチェルは、その何年か後に、恩師と同じ病気(癌)で亡くなることになるのだけど、強く生き抜いた。使命感と絆の元に孤高な志を保って人類の為に有意義な警鐘を響かせた。(沈黙の春)
(昨日の夜書いた日記✍️ 纏まらなくて途中だったけど、今後考えていくために纏まらないままアップ)
沈黙の春 (新潮文庫) | |
Rachel Carson,青樹 簗一 | |
新潮社 |
『沈黙の春』を読む (かもがわブックレット) | |
レイチェルカーソン日本協会 | |
かもがわ出版 |
Just Dance Unlimited - Moves Like Jagger
以前も書いたエピソード… バリ島サヌールのレストランバーで、夜ごはん食べてたら、女性&男性デュオ(シンセ&ヴォーカル)がこの曲Moves Like Jagger🐾を演奏し始めて、頭の海馬の中に、感覚神経に刻まれたリズムとグルーヴ🔥の元に当然?ノリノリで踊ってたら、周りの空気もグルーヴし始めて(イヤ、それ自意識過剰で、同時発生だったやも。。。 or 何時でも良い風を吹かせたがってるので希望的観測で?? 俺盛り上げちまったかなへへっみたいな🙇☜勘違いヤローですみません。。 盛り上げることを使命みたいに感じちゃう 盛り上がってくるとしめしめと思うぜ。。。)、その後も(他の曲になっても)引き続きノリノリ🍙 そしてお誕生日のお祝い🎉してたご家族に、(音楽、&お酒が注入されてた勢いもあり、超祝福オーラを出してたら?🎈)入刀したケーキの一切れをいただけたのを思い出した。。。🙏
そんで、お店の方たちにも、盛り上げたお礼言われて嬉しかった記憶
なぜはじまってしまうかわからないけどタップを踏んでしまうのがグルーヴ…🐾🐅(銀河の法則 Groove🌌💞💫)
AMV Dance - Moves Like Jagger
8/3 土曜日の昨日は、ダンナさんと連れ立って、ただいま昭和記念公園で開催中のドイツビールの祭典オクトーバーフェスト2013に行ってまいりました~~~
PM6:30頃にダンナさんと立川で待ち合わせをしたので(ダンナさんは武蔵野プレイスで仕事のお勉強 私は家事を終わらせてから)、会場に着いた頃には良い感じの色合いの夕焼け空を観ることができました~~~
まず一杯目~~(昔とうってかわってガーリー趣味になった遅れてきたオトメwwのルルでーす 昨日は韓国で買った刺繍ワンピを着ました)
一杯目を飲み始めたところで、ドイツの伝統衣装に身を包んだミュンヘンのバンドDie KIRCHDORFER(ディー・キルヒドルファー)の演奏がはじまって、音楽大好きの私とダンナさん、すぐにステージ前に駆けつけて、ガンガンに踊ってまいりました~~~(2人でGOGOダンスみたいに踊ったり、ツインエアギターやったり、腕組んでクルクル廻ったり....)お決まりの振り付けがあってみんなで大合唱しながら踊ったり、曲が終わるたびにドイツ語で「eins オアンス zwei ツヴォア drei ドライ g‘suffa ! ズッファ!! Prost プロースト!!」(1.2.3 のみほせ!!! かんぱ~~い!!!!)ってやったりして、楽しくてとにかくほんと気持ちよかった!!!! バンドの人たちもみんなみんな愉しそうに演奏してたけど、ギターの方が特にノリノリでたいへんなことに。。。 すも~~くおんざうぉ~~た~~♪♪のギターソロで頂点極まったみたいで、その後ギターを観客の中にダイヴさせてキュインキュインやってました(ミュージシャンがノリノリになってくれるの見ると、観客冥利につきますだ~~~ 盛り上げるの使命みたいに感じてここぞとばかりに盛り上がっちゃう←いつも それが音楽の魔法) 爽やかな風の中踊りまくって、良い気分転換リフレッシュができました~~~
こちら2杯目~~
先週、大雨で中止になったらしい 立川の花火大会も公園から観えて得した気分になっちゃいました~~
花火とダンナさん☆
その後、沖縄料理を食べておうちに戻ってまいりました
青空文庫から・・・ ルビの部分はあとで(次の日)直します
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。
住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるは音楽と彫刻である。こまかに云えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧く。着想を紙に落さぬとも鏘の音は胸裏に起る。丹青は画架に向って塗抹せんでも五彩の絢爛は自ずから心眼に映る。ただおのが住む世を、かく観じ得て、霊台方寸のカメラに澆季溷濁の俗界を清くうららかに収め得れば足る。この故に無声の詩人には一句なく、無色の画家には尺なきも、かく人世を観じ得るの点において、かく煩悩を解脱するの点において、かく清浄界に出入し得るの点において、またこの不同不二の乾坤を建立し得るの点において、我利私慾の覊絆を掃蕩するの点において、――千金の子よりも、万乗の君よりも、あらゆる俗界の寵児よりも幸福である。
世に住むこと二十年にして、住むに甲斐ある世と知った。二十五年にして明暗は表裏のごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。三十の今日はこう思うている。――喜びの深きとき憂いよいよ深く、楽みの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。片づけようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが殖れば寝る間も心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足を支えている。背中には重い天下がおぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽き足らぬ。存分食えばあとが不愉快だ。……
余の考えがここまで漂流して来た時に、余の右足は突然坐りのわるい角石の端を踏み損くなった。平衡を保つために、すわやと前に飛び出した左足が、仕損じの埋め合わせをすると共に、余の腰は具合よく方三尺ほどな岩の上に卸おりた。肩にかけた絵の具箱が腋の下から躍り出しただけで、幸いと何なんの事もなかった。
立ち上がる時に向うを見ると、路から左の方にバケツを伏せたような峰が聳えている。杉か檜か分からないが根元から頂きまでことごとく蒼黒い中に、山桜が薄赤くだんだらに棚引いて、続ぎ目めが確と見えぬくらい靄が濃い。少し手前に禿山が一つ、群をぬきんでて眉に逼る。禿げた側面は巨人の斧で削り去ったか、鋭どき平面をやけに谷の底に埋うずめている。天辺に一本見えるのは赤松だろう。枝の間の空さえ判然している。行く手は二丁ほどで切れているが、高い所から赤い毛布が動いて来るのを見ると、登ればあすこへ出るのだろう。路はすこぶる難義だ。
土をならすだけならさほど手間も入いるまいが、土の中には大きな石がある。土は平らにしても石は平らにならぬ。石は切り砕いても、岩は始末がつかぬ。掘崩した土の上に悠然と峙って、吾らのために道を譲る景色はない。向うで聞かぬ上は乗り越すか、廻らなければならん。巌のない所でさえ歩きよくはない。左右が高くって、中心が窪んで、まるで一間幅を三角に穿くって、その頂点が真中を貫いていると評してもよい。路を行くと云わんより川底を渉わたると云う方が適当だ。固より急ぐ旅でないから、ぶらぶらと七曲りへかかる。
たちまち足の下で雲雀の声がし出した。谷を見下ろしたが、どこで鳴いてるか影も形も見えぬ。ただ声だけが明らかに聞える。せっせと忙しく、絶間なく鳴いている。方幾里の空気が一面に蚤に刺されていたたまれないような気がする。あの鳥の鳴く音には瞬時の余裕もない。のどかな春の日を鳴き尽くし、鳴きあかし、また鳴き暮らさなければ気が済まんと見える。その上どこまでも登って行く、いつまでも登って行く。雲雀はきっと雲の中で死ぬに相違ない。登り詰めた揚句は、流れて雲に入いって、漂うているうちに形は消えてなくなって、ただ声だけが空の裡に残るのかも知れない。
巌角を鋭どく廻って、按摩なら真逆様に落つるところを、際どく右へ切れて、横に見下ろすと、菜の花が一面に見える。雲雀はあすこへ落ちるのかと思った。いいや、あの黄金の原から飛び上がってくるのかと思った。次には落ちる雲雀と、上る雲雀が十文字にすれ違うのかと思った。最後に、落ちる時も、上る時も、また十文字に擦れ違うときにも元気よく鳴きつづけるだろうと思った。
春は眠くなる。猫は鼠を捕る事を忘れ、人間は借金のある事を忘れる。時には自分の魂の居所さえ忘れて正体なくなる。ただ菜の花を遠く望んだときに眼が醒める。雲雀の声を聞いたときに魂のありかが判然する。雲雀の鳴くのは口で鳴くのではない、魂全体が鳴くのだ。魂の活動が声にあらわれたもののうちで、あれほど元気のあるものはない。ああ愉快だ。こう思って、こう愉快になるのが詩である。
たちまちシェレーの雲雀の詩を思い出して、口のうちで覚えたところだけ暗誦して見たが、覚えているところは二三句しかなかった。その二三句のなかにこんなのがある。
And pine for what is not:
Our sincerest laughter
With some pain is fraught;
Our sweetest songs are those that tell of saddest thought.
「前をみては、後えを見ては、物欲しと、あこがるるかなわれ。腹からの、笑といえど、苦しみの、そこにあるべし。うつくしき、極みの歌に、悲しさの、極みの想い、籠るとぞ知れ」
なるほどいくら詩人が幸福でも、あの雲雀のように思い切って、一心不乱に、前後を忘却して、わが喜びを歌う訳には行くまい。西洋の詩は無論の事、支那の詩にも、よく万斛の愁などと云う字がある。詩人だから万斛で素人なら一合で済むかも知れぬ。して見ると詩人は常の人よりも苦労性で、凡骨の倍以上に神経が鋭敏なのかも知れん。超俗の喜びもあろうが、無量の悲しみも多かろう。そんならば詩人になるのも考え物だ。
しばらくは路が平らで、右は雑木山、左は菜の花の見つづけである。足の下に時々蒲公英を踏みつける。鋸のような葉が遠慮なく四方へのして真中に黄色な珠を擁護している。菜の花に気をとられて、踏みつけたあとで、気の毒な事をしたと、振り向いて見ると、黄色な珠は依然として鋸のなかに鎮座している。呑気なものだ。また考えをつづける。
詩人に憂いはつきものかも知れないが、あの雲雀を聞く心持になれば微塵の苦もない。菜の花を見ても、ただうれしくて胸が躍るばかりだ。蒲公英もその通り、桜も――桜はいつか見えなくなった。こう山の中へ来て自然の景物に接すれば、見るものも聞くものも面白い。面白いだけで別段の苦しみも起らぬ。起るとすれば足が草臥れて、旨いものが食べられぬくらいの事だろう。
しかし苦しみのないのはなぜだろう。ただこの景色を一幅の画として観、一巻の詩として読むからである。画であり詩である以上は地面を貰って、開拓する気にもならねば、鉄道をかけて一儲けする了見も起らぬ。ただこの景色が――腹の足しにもならぬ、月給の補いにもならぬこの景色が景色としてのみ、余が心を楽ませつつあるから苦労も心配も伴わぬのだろう。自然の力はここにおいて尊とい。吾人の性情を瞬刻に陶冶して醇乎として醇なる詩境に入らしむるのは自然である。
恋はうつくしかろ、孝もうつくしかろ、忠君愛国も結構だろう。しかし自身がその局に当れば利害の旋風に捲き込まれて、うつくしき事にも、結構な事にも、目は眩んでしまう。したがってどこに詩があるか自身には解しかねる。
これがわかるためには、わかるだけの余裕のある第三者の地位に立たねばならぬ。三者の地位に立てばこそ芝居は観て面白い。小説も見て面白い。芝居を見て面白い人も、小説を読んで面白い人も、自己の利害は棚へ上げている。見たり読んだりする間だけは詩人である。
それすら、普通の芝居や小説では人情を免かれぬ。苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする。見るものもいつかその中に同化して苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする。取柄は利慾が交らぬと云う点に存するかも知れぬが、交らぬだけにその他の情緒は常よりは余計に活動するだろう。それが嫌だ。
苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりは人の世につきものだ。余も三十年の間それを仕通して、飽々した。飽き飽きした上に芝居や小説で同じ刺激を繰り返しては大変だ。余が欲する詩はそんな世間的の人情を鼓舞するようなものではない。俗念を放棄して、しばらくでも塵界を離れた心持ちになれる詩である。いくら傑作でも人情を離れた芝居はない、理非を絶した小説は少かろう。どこまでも世間を出る事が出来ぬのが彼らの特色である。ことに西洋の詩になると、人事が根本になるからいわゆる詩歌の純粋なるものもこの境を解脱する事を知らぬ。どこまでも同情だとか、愛だとか、正義だとか、自由だとか、浮世の勧工場にあるものだけで用を弁じている。いくら詩的になっても地面の上を馳けてあるいて、銭の勘定を忘れるひまがない。シェレーが雲雀を聞いて嘆息したのも無理はない。
うれしい事に東洋の詩歌はそこを解脱したのがある。採菊東籬下、悠然見南山。ただそれぎりの裏に暑苦しい世の中をまるで忘れた光景が出てくる。垣の向うに隣りの娘が覗いてる訳でもなければ、南山に親友が奉職している次第でもない。超然と出世間的に利害損得の汗を流し去った心持ちになれる。独坐幽篁裏、弾琴復長嘯、深林人不知、明月来相照。ただ二十字のうちに優に別乾坤を建立している。この乾坤の功徳は「不如帰」や「金色夜叉」の功徳ではない。汽船、汽車、権利、義務、道徳、礼義で疲れ果てた後に、すべてを忘却してぐっすり寝込むような功徳である。
二十世紀に睡眠が必要ならば、二十世紀にこの出世間的の詩味は大切である。惜しい事に今の詩を作る人も、詩を読む人もみんな、西洋人にかぶれているから、わざわざ呑気な扁舟を泛うかべてこの桃源に溯るものはないようだ。余は固より詩人を職業にしておらんから、王維や淵明の境界を今の世に布教して広げようと云う心掛も何もない。ただ自分にはこう云う感興が演芸会よりも舞踏会よりも薬になるように思われる。ファウストよりも、ハムレットよりもありがたく考えられる。こうやって、ただ一人ひとり絵の具箱と三脚几を担かついで春の山路をのそのそあるくのも全くこれがためである。淵明、王維の詩境を直接に自然から吸収して、すこしの間までも非人情の天地に逍遥したいからの願い。一つの酔興だ。
もちろん人間の一分子だから、いくら好きでも、非人情はそう長く続く訳には行かぬ。淵明だって年が年中南山を見詰めていたのでもあるまいし、王維も好んで竹藪の中に蚊帳を釣らずに寝た男でもなかろう。やはり余った菊は花屋へ売りこかして、生えた筍は八百屋へ払い下げたものと思う。こう云う余もその通り。いくら雲雀と菜の花が気に入ったって、山のなかへ野宿するほど非人情が募ってはおらん。こんな所でも人間に逢う。じんじん端折の頬冠や、赤い腰巻の姉さんや、時には人間より顔の長い馬にまで逢う。百万本の檜に取り囲まれて、海面を抜く何百尺かの空気を呑んだり吐いたりしても、人の臭いはなかなか取れない。それどころか、山を越えて落ちつく先の、今宵の宿は那古井の温泉場だ。
ただ、物は見様でどうでもなる。レオナルド・ダ・ヴィンチが弟子に告げた言に、あの鐘の音を聞け、鐘は一つだが、音はどうとも聞かれるとある。一人の男、一人の女も見様次第みようしだいでいかようとも見立てがつく。どうせ非人情をしに出掛けた旅だから、そのつもりで人間を見たら、浮世小路の何軒目に狭苦しく暮した時とは違うだろう。よし全く人情を離れる事が出来んでも、せめて御能拝見の時くらいは淡い心持ちにはなれそうなものだ。能にも人情はある。七騎落でも、墨田川でも泣かぬとは保証が出来ん。しかしあれは情三分芸七分で見せるわざだ。我らが能から享けるありがた味は下界の人情をよくそのままに写す手際から出てくるのではない。そのままの上へ芸術という着物を何枚も着せて、世の中にあるまじき悠長な振舞いをするからである。
しばらくこの旅中に起る出来事と、旅中に出逢う人間を能の仕組みと能役者の所作に見立てたらどうだろう。まるで人情を棄すてる訳には行くまいが、根が詩的に出来た旅だから、非人情のやりついでに、なるべく節倹してそこまでは漕ぎつけたいものだ。南山や幽篁とは性の違ったものに相違ないし、また雲雀や菜の花といっしょにする事も出来まいが、なるべくこれに近づけて、近づけ得る限りは同じ観察点から人間を視てみたい。芭蕉と云う男は枕元へ馬が尿するのをさえ雅な事と見立てて発句にした。余もこれから逢う人物を――百姓も、町人も、村役場の書記も、爺さんも婆さんも――ことごとく大自然の点景として描き出されたものと仮定して取こなして見よう。もっとも画中の人物と違って、彼らはおのがじし勝手な真似まねをするだろう。しかし普通の小説家のようにその勝手な真似の根本を探ぐって、心理作用に立ち入ったり、人事葛藤の詮議立てをしては俗になる。動いても構わない。画中の人間が動くと見れば差し支えない。画中の人物はどう動いても平面以外に出られるものではない。平面以外に飛び出して、立方的に働くと思えばこそ、こっちと衝突したり、利害の交渉が起ったりして面倒になる。面倒になればなるほど美的に見ている訳に行かなくなる。これから逢う人間には超然と遠き上から見物する気で、人情の電気がむやみに双方で起らないようにする。そうすれば相手がいくら働いても、こちらの懐には容易に飛び込めない訳だから、つまりは画の前へ立って、画中の人物が画面の中をあちらこちらと騒ぎ廻るのを見るのと同じ訳になる。間三尺も隔てていれば落ちついて見られる。あぶな気げなしに見られる。言を換えて云えば、利害に気を奪われないから、全力を挙げて彼らの動作を芸術の方面から観察する事が出来る。余念もなく美か美でないかと鑒識する事が出来る。
ここまで決心をした時、空があやしくなって来た。煮え切れない雲が、頭の上へ靠垂もたれ懸かかっていたと思ったが、いつのまにか、崩れ出だして、四方はただ雲の海かと怪しまれる中から、しとしとと春の雨が降り出した。菜の花は疾とくに通り過して、今は山と山の間を行くのだが、雨の糸が濃こまやかでほとんど霧を欺あざむくくらいだから、隔へだたりはどれほどかわからぬ。時々風が来て、高い雲を吹き払うとき、薄黒い山の背が右手に見える事がある。何でも谷一つ隔てて向うが脈の走っている所らしい。左はすぐ山の裾と見える。深く罩める雨の奥から松らしいものが、ちょくちょく顔を出す。出すかと思うと、隠れる。雨が動くのか、木が動くのか、夢が動くのか、何となく不思議な心持ちだ。
路は存外広くなって、かつ平らだから、あるくに骨は折れんが、雨具の用意がないので急ぐ。帽子から雨垂れがぽたりぽたりと落つる頃、五六間先きから、鈴の音がして、黒い中から、馬子がふうとあらわれた。
「ここらに休む所はないかね」
「もう十五丁行くと茶屋がありますよ。だいぶ濡れたね」
まだ十五丁かと、振り向いているうちに、馬子の姿は影画のように雨につつまれて、またふうと消えた。
糠のように見えた粒は次第に太く長くなって、今は一筋ごとに風に捲かれる様までが目に入いる。羽織はとくに濡れ尽して肌着に浸み込んだ水が、身体の温度で生暖かく感ぜられる。気持がわるいから、帽を傾けて、すたすた歩行あるく。
茫々たる薄墨色の世界を、幾条の銀箭が斜めに走るなかを、ひたぶるに濡れて行くわれを、われならぬ人の姿と思えば、詩にもなる、句にも咏まれる。有体なる己れを忘れ尽つくして純客観に眼をつくる時、始めてわれは画中の人物として、自然の景物と美しき調和を保つ。ただ降る雨の心苦しくて、踏む足の疲れたるを気に掛ける瞬間に、われはすでに詩中の人にもあらず、画裡の人にもあらず。依然として市井の一豎子に過ぎぬ。雲煙飛動の趣も眼に入いらぬ。落花啼鳥の情けも心に浮ばぬ。蕭々として独り春山を行く吾の、いかに美しきかはなおさらに解せぬ。初めは帽を傾けて歩行た。後にはただ足の甲のみを見詰めてあるいた。終りには肩をすぼめて、恐る恐る歩行た。雨は満目の樹梢を揺かして四方より孤客に逼る。非人情がちと強過ぎたようだ。
土曜日の夜、レイトショーで『キック・アス』観に行きました 傑作でした 最高でした
〈ネタバレというか、けっこう熱くなって書いてるので。。(で、うざいので)まっさらな状態で観に行きたい方はご注意ください〉
観た後、興奮して、ダンナさんと(が)プログラム買って、コミック本まで買って(ダンナさんも「最高!」といい、2人して大興奮 自らプログラム買おうとしたけど、ダンナさんが買ってくれました。。)、映画館を出て、車乗ってからも、
しばらく興奮覚めやらず、(カタルシスにより?)心の震えが止まらなかったな~~(あまりにもきょどってたのでコンビニ立ち寄るの控えた・笑 ダンナさんは落ち着こうと?缶コーヒー買ってた)
久しぶりに映画の“熱さ”を感じた気がする
少し、若かりし頃のサム・ライミのダークマンとも重なる
配給元が見つからず(表現の妥協が許せなかった為...)、自ら出資し、自主映画として創った映画愛、魅せる工夫、人生の大博打
ところどころ歴代のヒーローものへのオマージュも散りばめられてます
スパイダーマン、バットマン、スーパーマンetc.
ダンナさんと2人でヒットガールフィギュア欲しいよね なんて言ってました
見終わって劇場をワラワラ後にする時、“まるでブルース・リーの映画を見終わった中学生のように” ヒットガール・ミンディになりきった気分で出てきたのは、「それはキミが女の子だからじゃない??」と言われた
投影しまくり。。。(華麗なるバタフライナイフ使い 縦横無尽のアクション 機関銃、バズーカなんてものともしないぜ)
たったの10歳(11歳??コミック版は10歳)で只管真っすぐに孤独を飲み込み使命を背負い愛する対象の敵討ちに立ち上がる少女の気丈さ健気さに涙 (そして学びたい。。。)
久しぶりに(自分の中の)燃える映画好きな映画ランキングみたいのも作りたくなった(^^;)(ダンナさんは生涯3本指の中に確実に入るって言ってたよ)
そして我的青春映画俳優ニコケイ(ニコラス・ケイジ)(ヒットガール・ミンディの父親、ビッグダディ役 コスプレ姿見た目ほとんどバットマン。。そして結構強い)についてもなんだか熱く語りたくなりました ワイルド・アット・ハート~~~ 俺色んな意味で感慨無量だよおとーさん 遠い目 しかし、ニコケイが結構コアなオタキングだったことにビックリ。。。 のちのちになって解ることってあるね(まんだらけも常連みたい。。。 ジョーイ・ラモーンとは親友だってさ)
監督のマシュー・ヴォーンは1971年生まれ イギリス出身
“私たちの世代”から こんな熱い作品を撮る人が現れたことを すごく誇りに思う(情熱と希望と夢をありがとう)
またも上手く言えないんだけど。。。(なんか陳腐な言葉を並べてしまってごめん。。)(このエントリのタイトルとかももう書いてる人居そうだし。。)
音楽はプロディジーとかプライマルとかニューヨークドールズetc.が使われております あとジョーン・ジェットね
コミックはコミックで独自の世界
大友克洋meets丸尾末広??な感じ??
映画版の方が、コスチュームもポップでレトロ感もありオシャレだし(俺もヒットガールのHGベルト欲しいYO~~ というか昔似てるの持ってたよ~~~ ヒステリックグラマー=HG ベルト ベルトには魂が宿るぜ)、物語(脚本)に夢と希望とユーモアとスピード感とポップさがあり、それによるカタルシスを感じられるので好きかもです~~~ (血みどろ感は原作通りだけど。。 原作、というか、同時進行で創られてたらしい)
主人公の成長劇と孤独の解消に様々な人が希望と歓喜を受け取れるエンターテイメント作品になってたと思います 違うかな。。??(現実はそう一筋縄では異化ないんだろうけどさ)
また色々加筆or書き直すかも~~
アウシュビッツ収容所でも、状況に悲観せず、冷静にとらえ、自然を美しいと思う心、他人への思いやり、将来への明るい展望(収容所を出たらパン屋を開くんだ。とか、アメリカに渡って、ここでの経験を本に書くんだ、とか)を持ち続けることが出来た人が生き残る確率が高かったそうです。
その事実は、ウィキペディアのアウシュビッツ強制収容所の項にも書いてありました。
デール・カーネギー氏のこの本にもアウシュビッツから生還した人物のエピソードが書いてあります。
道は開ける 新装版デール カーネギー,Dale Carnegie,香山 晶創元社このアイテムの詳細を見る |
偉そうな上から目線で“啓蒙”しようとするのではなく、実際に人々に起こった経験(キリスト、リンカーン、チャーリー・チャップリン、ジョージ・ガーシュイン、などの偉人・有名人を始め、戦争で子供を亡くした無名の婦人、同胞に教育を受けさせ、選挙権を・・という使命に燃えるアフリカ系青年〈→冷静さと熱意でまさに今自分を殺そうとしている多数の相手の説得に成功し、リンチ死から逃れた〉 etc.)のエピソードを紹介し、人生に起こる様々な問題を乗り越える手段を“提案”しています。
三年ほど前にダンナさんが買って、私も読んで、すごく参考になった本です
なんだか大げさな話に持っていくのが私の常ですが。。。
ナーちゃんがふがふが言ってるので今からお世話してきます~~~(また書き直すor加筆するかも~~)
どんな状況でも、そのことをなるべく楽しみ感謝すること=精神を消耗させない方法
人を動かす 新装版デール カーネギー,Dale Carnegie,山口 博創元社このアイテムの詳細を見る |
〈追記〉↑アフリカ系青年のエピソードが書いてあったのは、同じくD・カーネギー氏の著作のこちらの方だったかもしれません..あとで確認してみます
こちらも実際にあったエピソードを紹介しながら、他者にどうアプローチをすれば相手が快く協力してくれるか・・・などの提案が書いてあります。
4/15 P.S.今考えたら、自分の状況とアウシュビッツの極限状況を繋げてしまったこと、あまりにも不謹慎だったと思います。。
でも数日前までは、自分の状況が不幸だとしか思えず、起き上がれず、あらゆる事象を思い出しながら、自分を救い上げるしかなかったのです...。(昨日の夜まで、自分の傍らで私にくっついて幸せそうにスヤスヤ寝ていた大切な子が、生命の糸が途切れる寸前と直感するほどに、酷い姿になってました...。 その時は、もうダメだ...と力なく、無力に泣くことしか出来ませんでした...。 本当に、医療の進歩と、ナノの強い生命力と周りの手助けに本当に感謝しています...。助かって良かった.....。)
分けて書くべきだったかもしれませんが、常に考えていたことと、自分の身に突発的に起こったことを繋げてしまいました。
本当に人類の歴史は、残酷な一面を持っていると思います
喧嘩で、インターネットの回路をダンナさんに切られちゃったのと、実家に帰ってからも、母のパソコンが故障中でNETはしばらく見ることが出来ませんでした・・泣
(いくつかコメントをさせていただく予定があったのですが・・。)
実家では、置いてあった自分のCD、カーディガンズ(アルバム「LIFE」の中の“カーニヴァル”をラウンドして聴く。)原田知世(「I could be free」の中の曲“ロマンス”をラウンドして聴く。)、ハイポジ「GLUON」、「君の声は僕の音楽」、スザンヌ・ヴェガ「SOLITUDE STANDING」、マリリン・モンローの“とあるディスカウントストア”で買ったベストアルバムなどを聴いていた。後は、次兄の置いていったCD、エルトン・ジョンのベスト盤(“ユアソング”をラウンドして聴く。)、あと、CD-Rに焼いてあったデヴィッド・ボウイベストも・・・。
それと、もう1枚。今も激しく頭をラウンドしている曲。
20歳の時に、前知識の無い状態で、打ちのめされた...撃ちぬかれた一曲。
BEAT UKでこの曲がかかっていて、ひと聴き惚れ。
パティ・スミス以来の衝撃。
もしかしてパティ以上に・・・。
そこに私の進むべき姿が観えたという錯覚を覚えたくらい。
PJ Harvey-“SHEELA NA GIG”
↑ギターを掲げ、真っ赤な口紅で文明が進化した後の女性性を歌い上げる。それは背徳であるか?神の使命によるものか?(ちょっとばかり憑依型になってるルル...)
PJ Harvey - SHEELA NA GIG live
↑ライヴ版“SHEELA NA GIG”。胸がはだけてても漂うストイズム。
DryPJ HarveyToo Pure/Indigoこのアイテムの詳細を見る |
なかでも私が今回ラウンドして聴いていた“SHEELA-NA-GIG”という曲は特に凄すぎる・・!!
(やっば...書いてて著しく興奮してきてしまった。。)
社会派音楽ブログMuse on Music.を運営されているmuseさんが昨年の5月に、〈女声ボーカル・オリンピック〉というエントリを書かれていたけど、その時に私はコメント欄でPJ harveyのことを(勝手に細かくカテゴリー分けして。。)パンク/Newwaveというジャンルでの私的銅メダル女性ヴォーカリストとして挙げてしまったのですが・・・。ヤヴァイ、改めて聴いてみると、やっぱり、1番好きかも・・。
よく比較される70年代ニューヨークパンクの女王、パティ・スミスとPJ HARVEY(ポーリー・ジーン・ハーヴェイ)の違いはパティが、たびたび周囲の音楽仲間の男性との恋を創作の糧としていたのと比べて、ポリーは音楽活動を続けて行く上で、周囲の男性と恋に落ちることはいっさい無く、まるで、頑に自分を閉ざし、何かを守っている風にも見えたという。
この前図書館で彼女について「周囲はそんな悪い人ばかりじゃないはずだよ。ポリー」と語った女性評論家の評を目にして、真空状態で創作活動を続けた女性アーティストのストイズム、そして、痛々しさに、私はその場所で感慨深い面持ちで彼女に思いを馳せた。
その彼女がコラボレーション相手のオーストラリアの変態男ニック・ケイヴと付き合っているという情報を聞いた時は、周囲や(私を含めた)リスナー達はさぞ驚いたものだっただろう(ですよね?)
だいぶ前に書いた、2人の露出狂が・・という私の文を思い出しますが・・(^_^;)
(・・もうポリーとニック、とっくに別れたのかな・・?情報求む。)
そして、2000年発表のアルバム「Stories from the City, Stories from the Sea」では、ポリーはトム・ヨークともコラボレーションを果たしています。(彼と恋愛関係になったかどうかは??だけど・・。)
“SHEELA-NA-GIG”の歌詞は、切ない本能の慟哭とも言えそうな(私が持っているCDは輸入盤なので、歌詞カードは無いのですが、かなりきわどい歌詞であるというのは雰囲気で伝わります。“「私の~~を見て」”。)痛々しい内容。ポリーはキリキリとした緊張感をはらみながらそれらの言葉を唸りながら絞り出す。
一人の女性の、性欲とは別の次元の生存欲、女性という性に生まれたことの疑問に対する身じろぎ、あがきのようなものを感じる。
そしてそういった彼女の創作スタイル、姿勢は私にとって(20歳頃から)少なからず共感できるものだった。
(・・この記事、もしかしてドン引きだったらごめんなさい。。)