呪術廻戦👁🗨は順調に6話まで来ました(一度、3話あたりから飛んで8話を先に観た、Eveくん🍎がTwitterで言ってたこと💬を👀リアルタイムで共有したくて。。。💎🤲)
ジャズの時代、というか、クラシック(と呼ばれる頃)の時代からそうだった。。。(プルーストの記憶 セザンヌの眼にもそのことが書かれていた。 ストラヴィンスキーのハルサイが世に出た時の“世間”の反応など)
このことは(誰も見てない)Twitterに書いた記憶があるんだけど、(そのアカウント削除しちゃったんで)
またいずれブログの方に書き直す
フルアルバム発見してしまった。。。
これも“しょっぱなから掴まれ系”だよ。。。
でも18歳頃は“ガチャガチャした感じ”という印象だったみたいだけど...(音楽を聴く耳ってやはり育つらしいですよ 適応する、というのか... 神経がパターンを憶えて慣れるというのか... だから退屈を避ける為に新しい音楽が次々に求められる宿命... 万物は流転... 芸術の世界も然り...。 プルーストの記憶〜のストラヴィンスキーの章を読んで、自身の実感を再確認...?←耳は育つってことに関して)
ディズニー版不思議の国のアリスの挿入曲“セイウチと大工の唄”にも、カルー!カレー!(Calloo! Callay!)という掛け声が出てきます...(さあさあ って訳されてた... 待ち遠しく、気がはやるような、そんなイメージ?? それとも、祝福 福音?? ハレルヤ!みたいな…)
只今読書中の「プルーストの記憶、セザンヌの眼」、
危険を省みぬ者だけが、限界を見出せるのかもしれない。
ーT.S.エリオット
という言葉から始まる、第6章イーゴリ・ストラヴィンスキー ー音楽の源泉 まで読み進みました...
「春の祭典」が初めて世に出た時の描写を、昨日の夜布団の中で手に汗握りながら読んでいました。。。(気がはやる。。。 内臓が波打つ。。。 聴衆をあおるニジンスキーのステップ...)
・・・だが、T・S・エリオットが書いたように、春はまた最も残酷な季節でもある。ライラックが頭を出すや否や、「自然がみずからの形を更新する瞬間に、すべてのものが経験する壮絶な感覚」のように、ストラヴィンスキーの管弦楽曲のすさまじい不協和音が始まる。(ー「プルーストの記憶、セザンヌの眼」第6章イーゴリ・ストラヴィンスキー ー音楽の源泉より)
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ドヴォルザーク 交響曲第9番新世界終楽章 Dvorak Symphony No.9 Final
これです....
ドヴォルザークの「新世界」の一番盛り上がりを魅せる章・・・
ストラヴィンスキーの「春の祭典」と同じく、“楽曲の興奮箇所”が人間の野性的要素にダイレクトに繋がってくるのではないかと・・・
HAL=スタンリー・キューブリック監督の映画「2001年宇宙の旅」に出てくる壊れた(自我を持ってしまう)コンピューター。
3月うさぎ=ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」に気違い帽子屋(マッドハッター)と共に、錯乱の象徴として出てくる。
気違い帽子屋と3月うさぎと眠りネズミ(ドーマウス)の開くティーパーティーに参加したアリスはこの錯乱した3人に困らされることになります。うさぎの繁殖の季節は3月だそうで、この時期のうさぎは、気がおかしくなっているように見えるらしい。なので、英国には「3月うさぎのようにいかれている」という慣用句があるらしい。で、言葉遊び好きのルイス・キャロルは、“3月うさぎのようにいかれている”という言葉から、逆転の発想で、イカレた3月うさぎのキャラクターを作ってしまったわけ・・・。〈もう一つのキャラクター、モックタートル(うそ海亀)も、この応用ですね。〉
3月は、なんか血が沸き立つ雰囲気がしますね。
って、ルルだけかも・・・(^_^;)