続・エヌ氏の私設法学部社会学科

無理、矛盾、不条理、不公平、牽強付会、我田引水、頽廃、犯罪、戦争。
世間とは斯くも住み難き処なりや?

巻6の1 木偶、人と語る 并 稲荷塚の事

2018-06-17 | 御伽百物語:青木鷺水
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 盛南壬生の辺に玉造善蔵という者がいた。生まれつき心ばえが優しく、書道や珠算の道に長じ、儒学の旨を学び伝えて徳を積み、様々なことを学んで、しかも、その道を極めるなど、万事について才能を発揮したので、近辺の者たちも善蔵を珍しい人だと、その徳を慕って親交を結び、また酒宴や遊興の席、囲碁将棋の会などにも必ず招かれて、朝暮楽しみの中に年月を経る身であった。
 善蔵と親しく語る友の中に、菜村寸鉄という者がいて、五十余りになるが、子がないことを悲しみ、洛中洛外の神社で詣らないところはなく、験者と聞こえる者の所へは悉く歩みを運び、願を立てて様々と祈ってきたが、いまだに夢ほどの徴もなく、思い歎いていた。
 そんな折、東山泉涌寺の奥に当たる場所に稲荷塚とかいう所があって、洛中の者は貴賤を問わず我先にと足を運び、いろいろの願をかけ、思い思いの望みを乞い、あるいは夜もすがら法施を参らせ、または七日参りの志を興すなど、それぞれが精一杯に詣ったら、皆々、願いが叶って喜びに溢れるとの評判であった。
 これを聞いて寸鉄も、いざ自分もそこに詣って、せめて露ばかりの示現にも逢えれば、その結果、子ができてもできなくても、せめてこの世の思い出にしようとの心が興るまま、善蔵を誘って道すがらの話相手にしつつ、打ち連れて詣でることにした。
 そして第七日にあたる夜は、殊更に潔斎(きよまいり)して、寸鉄は善蔵と共に詣でて、その夜は通夜していた。
 夜更けになって、月は傾き、松に吹く風も心細く、子を思う猿の叫ぶ声が梢から洩れ聞こえ、寸鉄には、見慣れたはずの故里の空が懐かしく思え、過ぎた月日は多く、頭は徒に雪を積んだように白くなり、やがて弥勝る思いは、願いが叶わぬままに老いてゆく自分の人生が胸にこみ上げ、もの悲しい涙が袖に落ちた。また善蔵も、袂の念珠を取り出して、静かにおし摺り、神前にしばらく法施を参らせていた。
 すると庵の前に忽然と、歳の程は八十ばかりであろうか、二尺ばかりの脇差を横たえ、括り頭巾に八徳の袖を少し絞りあげた装束の男が立っていた。
 善蔵はこの男を見咎め、「怪しい奴。咎めてやろうか」と思ったが、よく考えれば、自分たちと同じように何か望みのある人が、宵から籠って居て、仕上げの勤めをしようと出て来たのだろう、そう思って見ていると、この老人が善蔵に向かって、
「貴方が、これほど熱心に、そこに居る寸鉄に誘われ、自分自身のためではないのに、この寂しい山中まで詣でて来たことに感心して、向こうの休所から招くお方がいます。こちらへお出でください」
と言う。善蔵が何となく良いことでもありそうな気がして立ち上がったら、その老人は軽々と善蔵を背負って、この宮の後ろの方へ行くと、そこには大きなる屋形があった。
 これはどうしたことか、こんな所に、これほど大きな屋形があったとは気が付かなかった、どんな人が住んでいるのだろうと思うに、表門とおぼしき所は、強く固められて入れないようであったが、少し北の方に、低く小さなき穴の門があり、二人とも這い入れば、右に進む道があって、十間ばかり行った向こうが玄関であった。ここから入ろうとすると、颯爽と出立つ侍どもが七八人並んでいて、善蔵を見て、皆、敷台に降りて来た。そうして奥の間に立ち入れば、主とおぼしき人は、下には白い御衣に裏綾の装束、紅の袴を召した女性であって、木丁のほころびから晴れやかにこちらを見通していたが、少し見たら、緋扇でさし隠して伏しなされた。その外、並み居たる女郎たちも、皆、色々の袖口を重ねながら、帳の片平から覗き見えるのも、たいそう艶めかしく、懐かしい様子であった。
 その奥より、一人の高貴な女性が出て来て、善蔵に向かって、
「このたび、寸鉄が願をかけ、歩みを運びなさった心ざしは、類なく憐れと思いますに、それにも増して、善蔵が何の願う事もないにもかかわらず、寸鉄の心ざしを遂げさせようと思い、一緒に私の前へ来て、夜もすがら、他念なく行いを済ませた心ばえが、私にとっては非常に嬉しかったので、寸鉄の願いを叶え、善蔵にも、貴人となるべき子種を授けさせてさしあげましょう」
と、仰った。
 善蔵は、さてはこの塚の神は、荼枳尼天(だきにてん)が現されたものであったかと、有難くて涙もそぞろに零れるばかりであったので、何度も盃を傾けて酔いを催した。そこへ最前の老人が立ち出て、
「今宵の客人に、珍しいものをご覧に入れましょう」
と言って、後ろの障子を押し開ければ、美を尽くして様々と作りなした庭に、山あり川あり入海の景色あり、民家が軒を並べ、市のは店(たな)を飾り、繁華な町の様子もあれば、棟門が美々しく連なり、馬も忙しげに立ち集い、優雅な建物なども見え、目の及ぶところ、心に浮かぶ風景は、絵に描こうとしても、こうは描けまいと眺めていた。
 程なく鐘の音が黄昏の空に訪れ、巣へ帰る鳥の音もせわしく、やや暮れ過ぎる宵の月が東の峯に澄み登れば、木枯らしの風に木々の葉は残りなく吹き尽くしていたが、やがて、宵が更けるにつれて、あちこちの里で砧(きぬた)を打つ音も静まり、野寺の鐘も響きを収め、辻の火の光も寝入って細くなりわたって来た。
 するとそこへ、何かは判らないが、旗や指物、袖印を一様にして、鎧を着けた武者が五十騎ばかり、いずれもその丈一尺四五寸ばかりもあろうかと思える兵どもが、築山の後ろよりこちらへ向かって押し寄せてきた。あれは何だと見ていると、泉水の橋のたもとで、遅れ馳せの兵を待ち合わせ、五十騎を二手に分け、かの屋形を目がけて忍びやかに押し寄せ、大手門に着くと、一斉にえいやと声を出し、責め鼓を打ち、槍、長刀、打ち刀、思い思いの得物を押っ取り、我先にとなだれ込んできた。
 屋形の内では皆が動転して、すわ、夜討が入ったと、上を下へと慌て騒ぎ、弓を取る者は矢を忘れ、太刀を取れば鞘ぐるみで討ち合い、火を持てと言っても誰も聞き分けず、松明のひとつをも差し出す者はいない。そんな具合だから、敵も味方も分からないままに、ただ同士討ちするばかりであったが、寄せ手のほうは、予て心を一つにし、筒の火で行く手を照らし、合言葉を使いながら、奥の方へ乱れ入った。

 しばらくすると襲ってきた方は、悦びの声を上げ、てんでに分捕った首数を数多く差し貫き、勇み進んで表に出て、行列を崩さず、もとの道に帰ると見えたが、早や、星の光も、茜さす日に白けつつあった。庭も残らず霧が立って隠してしまい、名残り惜しさに見返ってみても、かの老人もたちまち失せ、稲荷塚の後ろと思っていたところから、いつの間にか元の場所へ帰っていた。
 気が付いてみると善蔵は、寿町誓願寺の地蔵堂に、多くの人形を枕に横たわったままで、その夜の夢は醒めたということである。


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