続・エヌ氏の私設法学部社会学科

無理、矛盾、不条理、不公平、牽強付会、我田引水、頽廃、犯罪、戦争。
世間とは斯くも住み難き処なりや?

女の執心夫をくらふ事

2018-09-09 | 諸国因果物語:青木鷺水
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 京都、新在家烏丸の辺に住む、何々伊織とかいう者は、元来、江戸の住人であったが、知人を頼って京都に登り、堂上方(公家)で働いて、僅かの扶持を貰って命を繋ぎ、出世の時を待っている身であった。

 かつて江戸に居た頃は、数寄屋橋通り寄合町にいて、さる人の娘と馴れ睦んで言い交し、行く末は夫婦ともなるべき、堅めの誓紙まで取り交わした仲であった。
 そんな頃、上方より伊織に相応しい仕事の口があって、応じることになったが、周囲の人が「仕事が首尾よく行くまでは、女に身をやつしている場合ではない」と忠告したのを聞いて、元禄初めの年、霜月中に一人で旅立ち京都へ引っ越した。

 その折、女も跡を慕って一緒に行きたいと泣いたが、まだ安定もしていない身でありながら、何のつもりで女まで連れて来たのかと、京の親類に思われるのを恥じて、女には、
「しばし待ってください。上方へ登り、兎も角も首尾さえついたら、少しの養いをも送って、その便りのうちには、貴女を呼び迎えます。だから、心長く待っていてくれたら、三年ほどの間には、必ず迎えの文を送りますから」
などと、くれぐれも言い堅めて、京に上った。そして今は、新在家に住宅を構え、堂上の勤めもきちんとこなしていた。
 しかし京にも慣れた伊織は、ある時は西山東山の花に遊び、小野広沢の月に浮かれ歩き、風流な京女の物腰は江戸吉原の色を売る女より美しく、その優しくも情けある言葉遣いに心浮かれて、故郷の仮寝に言い置いてきた女のこともいつしか忘れ、三年は夢と過ぎていった。

 それからも年は暮れ、また明け、元禄七年の正月を迎えた。
 伊織は、
「今となっては、武蔵野(江戸)で草のゆかりに言い交した女も、新たな夫を迎えて幸せに暮らしているだろう。哀れに女は儚いものだ。徒な一言に繋がれ、自分を見捨てないと書いた誓紙を頼りに、親に代えても京へ登ろうと言った、その日より七年の今日まで、一通の文も送っていないから、さぞ恨みにも恨んだろう。もしかしたら、今はもう死んでしまったかも知れない」
と思いながら、夕暮れの淋しさに、つくづくと思い出して気が滅入ったので、酒など温めさせ、近くの友を招いて夜が更けるまで呑み更かした。
 さて伊織の隣は、石井の何某という富貴な家であったが、その日、この家の後室が寝付けないままに、夜が更けるまで周りの人々と興じていて、夜半過ぎに、ようやく寝屋に入って寝ていた。
 するとしばらくして、座敷の上の障子をさらさらと開ける音に驚いて、ふと目を開いて見上げたら、鉄奬(かね=お歯黒)を黒々と付けた二十六七と見える女が、白い着物の上に青い小袖らしきものを着て、髪を振り乱して天井の縁を掴まえてしげしげと見回し、忍びやかな声で
「伊織殿はどこにおられます」
と問うた。
 この後室も、名のある家の娘であったので、少しも騒がず、起きて、
「何者ですか。伊織殿は、この東隣です」
と答えた。女は、
「やれ嬉しや。よく教えてくださいました。実は、恨む事があって参りました。お恥ずかしい」
と言って、消え失せた。
 夜が明けて、後室は何となく気になったので、隣へ人を遣わして様子を窺わせた。
 それによると、かの江戸に残し置いた女は未だに縁付きもせず、今日明日と便りを待つうち、京より下って来た商人で伊織の事をよく知った者が、「伊織殿は、今は上方で仕官し、美しい妾など抱え、江戸の事など思い出す様子にありません」と語ったので、この女は思いつめたように打ち伏したのだが、その夜、生霊となってやって来て、伊織を捕え、年頃の恨み一つ一つを、言っては喰いつき、恨んでは喰いつき、終に体中で無傷なところがなくなるまで食い破られ、果ては喉笛に喰らい付いて殺されてしまったと、下々の話に聞いた。

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