続・エヌ氏の私設法学部社会学科

無理、矛盾、不条理、不公平、牽強付会、我田引水、頽廃、犯罪、戦争。
世間とは斯くも住み難き処なりや?

巻6の4 福引きの糸 并 冥合、不思議の縁ありし事

2018-07-15 | 御伽百物語:青木鷺水
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 恋にはさまざまの道がある。見初めて恋をするもあり、聞いて慕うもあり、だんだんと親しくなっていくこともあり、絵に描かれた人を求めたり、草紙を読んで恋話に憧れるもあり。いずれにしても、神に祈り仏に携え、身を捨ててもその人に逢いたいと思い詰めるものである。
 限りない欲望のために、限りある命を擲つ輩が多い世の中で、珍しい宿世の話もある。例として、逢い難い人に逢う話は、源氏物語、鉢かつぎ姫、うつほ物語といった古の文学にも見られる。だからこの話も書き記して置けば、そうした、固く結ばれた幸福者の話のひとつに数えられるかもしれない。

 富松何某という者に一人の娘がいた。父母の慈しみ深く、幼い頃から読み書きを教え、楽器なども心行くばかり学ばせ、物のわかる年頃にもなれば、今は早や、どこからか誘う水でもあれば、しかるべき人のところへ嫁がせたいと思っていた。この娘もまた、容顔は美しく、心は優しく、情けも深かったので、あちこちでの持て囃し種になり、お近づきになりたがったり、口説いてみたいと思わない者はいなかった。
 しかしこの娘は何を思うのか、他の者がいかに心を寄せても、露ばかりも儚い戯れをなそうとはせず、そうして暮らしている程に、十五歳ほどにもなった。傍から見れば、つれない娘だと思われていたが、心の中では物思いがあったのかもしれない。
 さて、移り行く年も早や暮れ行き、空が春に立ち替わる節分となり、誰もかれもが北に向かい南に歩み、禁中の御神楽や六角天使など、思い思いに、よい年をとるべく願をかけに出かけていた。この父母も娘を連れ、明くる年は目出度いことばかりがあるようにと、群れあう人々を押し分けて、程なく内侍所の広前に入った。
 そのような人混みの中であっても、逢い合う縁はあるもので、この富松の家にしょっちゅう行き通い、気心も知れた冥合という書生がいて、彼も年取りにとこの庭に参って、偶然にもこの娘と立ち並んで共に拝んでいた。
 かねてより娘の心では、冥合を誰よりも恋しい人と思っていたのだが、この折りに、娘は目聡く冥合を見つけ、彼の小袖を控え、何かは判らないが、袖から袖に入れる物があった。
 冥合もまた、娘のことを想わないでもなく、明け暮れ恋い慕ってはいたが、人目もあることで、この三年ばかり埋火が焦がれるように、そうとは言い出せずにいたところへ、この不思議の縁が嬉しく、殊に、迎える年の始めに幸いよしと思いつつ、ひとり笑みしながら帰って、袖に入れられた物を取り出して見れば、小さな紙を引き結んだ中に薄墨で、
「今日こそは、今まで言い出せなかった、私の思うところを申し上げましょう」(この部分を含めて、原文では、互いに和歌を贈り合っていますが、そのままでは難解なので、平易な文章に直します)
と書いてある。
 冥合も、かねてより娘を恋しく思っていたところ、それが両想いであったとは気づかずにいたので、思いがけない拾い物でもしたような、飛び立つばかりの嬉しさが身に余って、
「先ほどの神様に、貴女も同じことを祈っていたのですね。私に好意があると聞いて大変嬉しく思います」
などと書いて渡した。今までも、娘のことを想い続けて富松家へ通っていた冥合だが、次に訪問するときは、逢引きの約束をしようと心がときめいた。
 さて新年が長閑に明けた朝は、昨日にも似ず、道行く人々も浮かれあい、冥合も、娘と言い交わした言葉ばかりを胸に、富松家へ行ったが、ここには人々がたくさん集まって、何やら大きな笑い声が聞こえてくる。これは何を笑っているのかと奥の方をさし覗くと、衝立の奥から何本もの帯のようなものが、集まった人々の前に投げ出されており、皆にこれを一筋ずつ引かせると、その帯の端に必ず何かが括り付けられていて、それを皆々の賞品にしていた。運がいい人は、銭や雑誌、頭巾、碁盤など引き取ったが、そうでもない人は紙雛、双六の筒、火吹竹などを引き取って、恥ずかしそうに笑っている。
 冥合も可笑しさのあまり、自分も引いてみようと、一筋の帯を手に取って引いたが、帯は動かない。力を入れて引いても、帯を引き絞るばかりで、賞品は出てこない。身をよじって引いても、少しは寄ったような気もするが、やはり引ききれない。
 側にいる人が、
「これは柱に結い付けてある帯だよ。前の人も、このいたずらに引っかかって、手ばかり取っていたよ」
と転びまどって笑う。冥合も苦笑するより他なく、ではその柱を見てみようと、衝立の隙間からさし覗けば、かの娘が、帯の端をとらえて反対の方向へ引いているではないか。冥合の嬉しさは限りなかったが、人目もあることで、冥合は娘に目で合図をして、その座を繕うために「たしかに、これは柱でした」などと、とぼけてみせた。
 冥合は座が終わるのを待ちきれず、娘もまた居ても立ってもおられず、宿世の縁とかいうものに催され、いそいそと戸口で落ち合って、共に出会いを喜びあった。冥合も、この珍しい逢瀬が叶ったのは、いかなる神の引き合わせか、有難いことに思い、
「たくさんあった帯の中から選んだ一筋の端が、柱に括り付けてあると思ったら、貴女が持っていたのですね。帯よりも永くお付き合いしたいものです」
と言いかけたら、娘も恥らいながら、
「私はただ、まだ見ぬ未来を、闇の中で待っていただけです。それが貴方の進む道と同じなら嬉しいのですが」
などと儚げに言って、さらに恥ずかしそうにした。
 一夜に千世の契りも絶えず、睦言の数も尽きず、二人はもう、片時も離れ難い仲になったが、夜が更ければ関守など人目に怪しまれるので、そろそろ帰らねばならない。冥合はさまざまに娘を宥めたが、娘はいかにも悲しそうに、
「片思いだと思っていた頃も、会えないのは辛かったですが、両想いになってしまうと、なおさら辛いものです」
と言う。冥合もこれに応えて、
「末々までも、私たちの契りは、朽ちることなどありませんよ」
などと、返す返す慰めて出た。
 その後も冥合は娘の許へ通っていたが、その年も半ば過ぎた秋の頃、富松が月見の宴を催して楽しもうと、家に友を招いた時、冥合もその中に混じって参加した。その夜は、殊に月の光がいつもより冴えわたって、空一面曇りなく、見たことはないが、話には聞く唐の洞底湖の夕暮れが、胸の中に浮かんでくるようだ、などと各々が言い合う中で、冥合ひとり、娘の面影に囚われるばかりで、
「今宵は、愛おしさに面影ばかりが浮かんできます。月を見ているだけで、貴女に会えないなんて」
と、苦しい思いを呟いた。

 夜も更け、酒も酌み重ねて皆が酔い伏した頃、主の富松が盃を持って「もう少し、いいじゃありませんか」などと、重ねて冥合へ酒を勧めるので、冥合はこの機会にと、引き寄せた硯の蓋に、
「池の水に、今宵の月が濁りなく映っているように、私も、心の内を濁りなく申し上げましょう」
と書いた。すると、その傍らに、
「庭の女郎花が、色濃くなってきました。今は、この美しく咲いた花を、貴方の許に参らせたく思います」
とある。
 冥合は、胸が轟くような思いがして、嬉しさの余り、また盃を傾けつつ、富松と婿舅の結びを言い交して、
「千歳まで、この秋の月が、同じ影を留めて、姿を変えないことを願います」
と、喜びの心で誓いを立て、冥合と娘は妹背となった。


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