続・エヌ氏の私設法学部社会学科

無理、矛盾、不条理、不公平、牽強付会、我田引水、頽廃、犯罪、戦争。
世間とは斯くも住み難き処なりや?

巻1の18 青砥左衛門が事

2015-02-21 | 理屈物語:苗村丈伯
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 その昔、報光寺最請遠寺で二代の相州に仕えて、引付(鎌倉・室町時代の裁判所)の役人を務める、青砥左衛門という者がいた。
 ある時、夜になってから出仕した際、いつも火打袋に入れて持ち歩いていた銭から、十文を取り出したところ、取り出し損なって、滑川へ落としてしまった。青砥左衛門は非常に慌てて、人を走らせ、五十文で松明を十把買い求め、これを灯して、ついに十文の銭を探し出した。
 後日、この話を聞いた人が、
「十文の銭を探すために、五十文で松明を買ったのでは、結局、大損ではないか」
と笑えば、青砥左衛門は眉をひそめて、
「そんなふうに、私の事を愚か者のように言うのは、世の中の経済が分かっておらず、民を潤そうという気持ちのない人が言うことだ。もし、落とした十文の銭を探そうとしなかったら、銭は滑川の底に沈んだまま、永久に出てこなかった。一方、私が松明を買わせた五十文の銭は、商人の利益になった。そう考えると、私も商人も何ら損をしていない上に、かれこれ六十文の銭が一文も失われることはなかったのだから、これが天下の利益にならない筈がない」
と言った。


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2 コメント

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Unknown (松明の損)
2019-12-26 02:50:22
この話は天下の松明が無駄に消費された松明の損と家来の労力の損を見落としてる。
経済とは (エヌ氏)
2019-12-26 22:13:27
コメントをありがとうございます。
このコメントを、江戸時代の苗村丈伯に届けられないのが残念ですが。

たしかに、松明と労力を損しているという見方もありますね。
でも、松明には代金が支払われ、家来には給料が支払われているわけですから、損でも得でもありません。
また、(ちょっと大雑把に言うと)そもそも消費することによって経済は回ります。
だから、「損をしている」と見るか、「経済が回った」と見るかは、同じものを違う方向から見ているに過ぎないと思います。

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