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淀屋の何某という者は、難波津で第一と言われる富貴を極め、万事、欠けることのなかったあまり、道楽に財産を浪費し、何に依らず一芸に秀でた者を招いたり、あるいは尋ねて行ったりして、楽しみとしていたので、ありとあらゆる名人や堪能の輩が、我先にと集まって、芸を争っていた。
ここに元禄二年二月、天王寺の御開帳があって、都からも田舎からも、富める者も貧しい者も心寄せにして、日夜、幾万の人が群集をなしていた。
その中に、何とかの等淑とかいう、狩野永納(1631-1697)に師事して都で名を挙げた者も、天王寺の御開帳を見るため難波津へやって来たついでに、かの、名人どもを集めて芸比べをさせるという淀屋へも訪ねてみたいと思い立ち、この地に来て、あちらこちらの伝手を頼って、かの家に取り入ることができた。
ある日、この等淑が墨跡を望まれ、竹林の七賢を六枚、屏風に書いた。
その様といい、その風景といい、まことに常々公言していたその言葉に劣らず、さながら阮咸・向秀(ともに七賢人)も生きて語るが如くで、誰もが肝をつぶし、感に堪えかねた。
ところが、淀屋の座に在り会う客の中で山本瑞桂という者は、これも絵画の名人としての評判を得ていたことから、この家に来るようになり、今日も座の中に列していたが、等淑の墨絵をつらつらと見て、
「まことにこの絵は、よく描けております。しかしながら今少し不足なことには、その心映えまでは描ききれておりませぬ。風景や人物の様子などはよく描けていると思いますが、絵の中の人が楽しんでいる体を描かれておらず、これがこの絵の珠に疵です。私が、旦那のために、この絵を直して差し上げましょう。直すといっても、この屏風を描き汚すわけではありません。ただ、このままで、格別な絵に直し申し上げましょう」
と言った。亭主をはじめ一座の衆は、
「これは稀有な言い分ですな。たとえ本当だとしても、聞き捨てなりません。あなたや我々の間では、何を言ったとしても遠慮のない間柄ですが、初めて来られた等淑さんの前では、気の毒でしょう」
と言ったが、瑞桂はなお聞き入れず、いよいよ言い募るので、等淑も今は堪えかね、
「それならば、貴殿のお手並みを拝見したいですな」
と望んだ。
両者の収まりがつかない様子に、亭主も何とか止めようと思い、
「二人とも。もはや我々には関わりのない話になってきているようだが、瑞桂さんもそうまで言うのなら、余程、腕に覚えがあって、さだめし人に真似のできない技術をお持ちなんでしょう。しかし、これほど事がこじれたら、そのままにしておくわけにもいきませんな。もし、仰ることが本当であれば、私は金百枚を出して、瑞桂さんに差し上げましょう。しかし、仰ることが偽りであったなら、金十両を我々に礼物としなされ」
と吹っかけた。これに等淑も図に乗って、
「なるほど御亭主の了見どおり、絵のことが、真におっしゃるとおり御直しされたなら、私も金子百両を差し上げましょう」
と言った。
それを聞いて瑞桂は、我が意を得たりとばかりに、やがて屏風に向かい、飛び上がったと見えたが、そのまま姿が消えてしまった。人々は立ち騒ぎ、そのあたりを隈なく尋ね求めたが、瑞桂がどこへ行ったか分からなかった。
皆が奇異の思いに包まれていると、屏風の絵の中から瑞桂の声がして、
「何と各々方、偽りではないことをお見せしましょう。只今、絵の模様を直しますぞ」
と言ったが、しばらくして屏風の絵の中より瑞桂が現れ出て、もとの座に帰り、一座の人に教えて、
「いまこそ、この絵に魂が備わりましたぞ。絵の中の人々は、これほど良い景色を見ながら楽しみ遊んでいるのに、人々の魂を見るに、この景を楽しんでいる様子には見えません。ですから、この七人のうち阮籍の顔を、笑う様に描き直しました。よく寄って見てください」
と言うので、人々が打ち寄ってよく見ると、なるほど等淑の筆が及ぶところではなく、阮籍の像一人は、口元が他の者に似ず、真実よりこの景色を楽しみ、まことに笑みをふくんだ様子は、言葉では言い表せなかった。
等淑も、今はあきれて詞(ことば)もなく、絵をそのまま保存して、なおその上に瑞桂の妙技を記し伝えたいと望んだが、瑞桂はいつの間にか逐電して、その行方は分からなかった。
淀屋の何某という者は、難波津で第一と言われる富貴を極め、万事、欠けることのなかったあまり、道楽に財産を浪費し、何に依らず一芸に秀でた者を招いたり、あるいは尋ねて行ったりして、楽しみとしていたので、ありとあらゆる名人や堪能の輩が、我先にと集まって、芸を争っていた。
ここに元禄二年二月、天王寺の御開帳があって、都からも田舎からも、富める者も貧しい者も心寄せにして、日夜、幾万の人が群集をなしていた。
その中に、何とかの等淑とかいう、狩野永納(1631-1697)に師事して都で名を挙げた者も、天王寺の御開帳を見るため難波津へやって来たついでに、かの、名人どもを集めて芸比べをさせるという淀屋へも訪ねてみたいと思い立ち、この地に来て、あちらこちらの伝手を頼って、かの家に取り入ることができた。
ある日、この等淑が墨跡を望まれ、竹林の七賢を六枚、屏風に書いた。
その様といい、その風景といい、まことに常々公言していたその言葉に劣らず、さながら阮咸・向秀(ともに七賢人)も生きて語るが如くで、誰もが肝をつぶし、感に堪えかねた。
ところが、淀屋の座に在り会う客の中で山本瑞桂という者は、これも絵画の名人としての評判を得ていたことから、この家に来るようになり、今日も座の中に列していたが、等淑の墨絵をつらつらと見て、
「まことにこの絵は、よく描けております。しかしながら今少し不足なことには、その心映えまでは描ききれておりませぬ。風景や人物の様子などはよく描けていると思いますが、絵の中の人が楽しんでいる体を描かれておらず、これがこの絵の珠に疵です。私が、旦那のために、この絵を直して差し上げましょう。直すといっても、この屏風を描き汚すわけではありません。ただ、このままで、格別な絵に直し申し上げましょう」
と言った。亭主をはじめ一座の衆は、
「これは稀有な言い分ですな。たとえ本当だとしても、聞き捨てなりません。あなたや我々の間では、何を言ったとしても遠慮のない間柄ですが、初めて来られた等淑さんの前では、気の毒でしょう」
と言ったが、瑞桂はなお聞き入れず、いよいよ言い募るので、等淑も今は堪えかね、
「それならば、貴殿のお手並みを拝見したいですな」
と望んだ。
両者の収まりがつかない様子に、亭主も何とか止めようと思い、
「二人とも。もはや我々には関わりのない話になってきているようだが、瑞桂さんもそうまで言うのなら、余程、腕に覚えがあって、さだめし人に真似のできない技術をお持ちなんでしょう。しかし、これほど事がこじれたら、そのままにしておくわけにもいきませんな。もし、仰ることが本当であれば、私は金百枚を出して、瑞桂さんに差し上げましょう。しかし、仰ることが偽りであったなら、金十両を我々に礼物としなされ」
と吹っかけた。これに等淑も図に乗って、
「なるほど御亭主の了見どおり、絵のことが、真におっしゃるとおり御直しされたなら、私も金子百両を差し上げましょう」
と言った。
それを聞いて瑞桂は、我が意を得たりとばかりに、やがて屏風に向かい、飛び上がったと見えたが、そのまま姿が消えてしまった。人々は立ち騒ぎ、そのあたりを隈なく尋ね求めたが、瑞桂がどこへ行ったか分からなかった。
皆が奇異の思いに包まれていると、屏風の絵の中から瑞桂の声がして、
「何と各々方、偽りではないことをお見せしましょう。只今、絵の模様を直しますぞ」
と言ったが、しばらくして屏風の絵の中より瑞桂が現れ出て、もとの座に帰り、一座の人に教えて、
「いまこそ、この絵に魂が備わりましたぞ。絵の中の人々は、これほど良い景色を見ながら楽しみ遊んでいるのに、人々の魂を見るに、この景を楽しんでいる様子には見えません。ですから、この七人のうち阮籍の顔を、笑う様に描き直しました。よく寄って見てください」
と言うので、人々が打ち寄ってよく見ると、なるほど等淑の筆が及ぶところではなく、阮籍の像一人は、口元が他の者に似ず、真実よりこの景色を楽しみ、まことに笑みをふくんだ様子は、言葉では言い表せなかった。
等淑も、今はあきれて詞(ことば)もなく、絵をそのまま保存して、なおその上に瑞桂の妙技を記し伝えたいと望んだが、瑞桂はいつの間にか逐電して、その行方は分からなかった。