続・エヌ氏の私設法学部社会学科

無理、矛盾、不条理、不公平、牽強付会、我田引水、頽廃、犯罪、戦争。
世間とは斯くも住み難き処なりや?

巻6の2 桃井の翁 半弓を射る沙門の事

2018-06-24 | 御伽百物語:青木鷺水
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 禅師隆源という僧がいて、曹洞の所化(教化された人)であった。久しく豫州宇和島の等覚寺にいて、江湖(学問僧)を勤めていたが、このたび、美院の慈照寺(銀閣寺)へ行こうと思い立ち、錫を取り、草鞋を踏んで、とりあえず上方へと心ざすついでに、故郷の若州の方へも寄って、両親の無事をも尋ねようと思い、三条の宿より北を指して進んでいたが、急ぐ道でもなく、心に任せた気ままな旅であった。

 隆源は出家する前、若州においては並ぶ者のない武士であり、武勇を好み、半弓の手練れでもあったので、いつも殺生を好み、鳥獣は言うに及ばず、罪のない者であっても一時の怒りに任せて殺害し、残忍な悪行ばかりしていたので、両親も持て余し、後生を恐れて出家させた人であった。だから今でも、このように旅の身となってもなお、宿習(前世からの習慣)が深く、常に半弓を離さず、旅には必ず身に添えて出かけ、心の剛胆さに任せて、裏の道であろうと難所であろうと物選びする事なく、思い立ったならばその通りになし遂げるであった。

 今度、都に登るついでに国許へも赴くのであれば、道すがら、まだ見たことのないところに寄って行くのも一つの楽しみだと思って、下加茂から左に折れて鞍馬山へ詣で、あちこちを拝み巡って惣門に出れば、日は早や七つに下がっていたが、まだ泊まる気もなく、なお北を指して歩いて行くと、桃井坂の山口に至った。ここからは山道のみで、休むべき宿などもなく、二里程の間は険しい山坂だと聞いていたので、しばらくその辺の家に立ち寄って、煮茶などをもらって休んでいた。
 その家の主らしき者は法師で、大杉を伐り倒しては、杉皮を剥いでいた。この法師が隆源をつくづく見て、
「なんと御坊は、もう夕暮れだというのに、なお北に行くつもりですか。これより先は山坂ばかりが続いて、咽をうるおす谷水さえも遠く離れている所に入って行きますから、狐や狼が多く、また、里々の悪党どもが仲間と共に、通行する柴売りや木売りなどが暮れて帰ろうとすると、斬り倒し、突き留め、僅かな銭や少しの糧をも、情けなく剥ぎ取ってしまいます。今宵はここへ泊まって、明日、奥へ通るのがいいでしょう」
と語ったが、隆源は、生来、不敵者であったから、
「私には武芸の心得があります。そのような悪党は、たやすく退けてしまいますよ」
と言って、暮れかかる空も厭わず、その家を発ち別れた。

 早や半里ばかりもや過ぎたかと思う頃、折しも二十四日の夜の星の光さえ雲に隠れて、道もよく見えず、景色の遠近もよく判別できないほどの山中を、とぼとぼと踏み分けつつ進んでいると、後ろからひそかに抜き足してついて来る者がいた。
 隆源は、すわ痴れ者よと思い、立ち止まって、
「お前は誰だ。なぜこんなことをする」
と、声を荒げて咎めたが、その者は応えもせず、同じように立ち止まった。その姿を雲間に透かして見ると、大柄な男が太刀を抜いて立っている。これは憎いやつと、例の半弓を番い矢継ぎ早に射掛けると、一筋も外れぬ手応えがあったのだが、その男には効きもせず、なお突っ立ったままであった。
 こうなっては隆源も仕方なく、一目散に駆け抜けようとしたが、日暮れより催していた雨が急に強くなり、風さえも激しくなってきて、笠は役に立たず、目も開けられないほどであった。ふと見ると、向こうに四五本の大きな杉が生えて枝が茂っているのを、やれ嬉しやと思って、急いで木の許に立ち隠れて雨宿りした所に、激しい雷が、隆源の後を追ってくるかのように、近くの杉の梢へ落ちて来て、その閃光はあたかも絵に描いた輪宝(転輪聖王の宝)のようであった。
 この光の度ごとに、はたはたと落ちかかるものがあって、恐ろしさのあまり理趣分(お経の一種)を途絶えなく唱えつつも、何だろうとさし覗いて見ると、それは大きな杉の皮であった。みるみる間に杉皮は膝に至るほど降り積もったが、なお降り止まず、このまま杉皮に埋もれてしまっては、後々の恥曝しになってしまうと思い、強勢の気を翻し、天を拝み仰いで、滅罪の呪を誦し、陀羅尼経でも心経でも思いつくままに唱え、金剛経を唱えようとした時、ようやく稲光は薄らぎ、風雨も静まり、次第に空も高くなっていけば、星の光も見え始めた。
 やれ嬉し有難やと、ふり仰いで見ると、さしも茂りあった大木の杉は、枝も葉も今の雨風に吹き折れてしまって禿(かぶろ)になり、竿を立てたようになっていた。隆源は、いつもの勢いをすっかり失ってしまい、心が折れて、もう進み行く気持ちも失せてしまい、そろそろと元の道に帰り、最前、立ち寄った翁の家までようよう帰り着き、中の様子を窺い見ると、翁はまだ、杉皮を剥いでいた。
 隆源は戸を敲いて門に入り、先ほどの威勢はどこへやら、手を突くが早いか、
「貴方が教え戒め下さったことを聞かなかったばかりに、このような災難に逢い、辛くも命ばかりは助かって、ようようと帰ってきました。今は私も納得いたしました。もう、身もくたびれ果ててしまいましたので、教えに背いた罪はお許しいただき、ここで一夜を明かさせて下さい」
と、詫びた。
 翁は少し笑みながら、
「よしよし。ここで休み給え。そなたは、なまじ僧には必要ない武芸の腕があるばかりに、仏道に入って三衣を着る身となっても、武芸に頼って、そのような無茶をするのだ。今日よりは、ゆめゆめ力を頼むでないぞ。護法善神も、静かに行を勤める者にこそ、ご加護を与えたもうぞ」
と言って、傍らより大きな杉皮を一枚取り出して見せると、先ほど隆源が曲者に射掛けた矢が悉く突き刺さっていた。

 隆源はいよいよ感涙を流し、さては自分は、有難い経を読み、仏の道に進んでいながら、受けたはずの教えを徒にしてしまい、心はなお悪にまみれて殺生の業を好むのを、仏が戒め懲らしめようと、今ここに翁を遣わされて、先の出来事を目の当りにさせ、自分を善き所に導き給うたに違いない、と思えば、有難さもひとしお、翁への感謝に堪えず、その日は終夜翁と語り明かし、明ければ故郷の方へと暇を乞うて出発した。
 その後、国からの帰りに、かの翁にどうしてももう一度会いたくて、わざわざこの道を通って翁の家を尋ねたが、どこにあったものか、それに似た家もなく、まして翁を知る人もなければ、諦めて帰るより他なかった。


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