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これも元禄四年の事である。
伊賀の上野、詳しい所は忘れたが、甚吉という百姓がいた。彼には母がいて、父の再婚相手だが、いつも心に沿わぬことばかりであった。
甚吉の祖父が死んだとき、男子は甚吉だけであったので、祖父は何かと甚吉に教育を施し、跡継ぎにしようとしていた。しかし継母は、自身の子が生まれてからは、甚吉を押し退け、我が子に跡を継がせ、少しばかりの田地も、これまた弟にと欲を出していたが、庄屋など他の人々がそれを押し止めたので、継母も是非なく、跡目を兄甚吉に与えることを承知した。
しかし猶、継母の欲は飽き足らず、甚吉が然るべき妻子を持って身を固めるまでは、この弟に譲り状を書いて財産を渡し置くようにと言いつけたので、甚吉も詮方なく、庄屋や肝煎などと相談した上で、仮の譲り状を書いて、村中にも、そう広めた。
甚吉にとっては、何分にも母と名の付いた人の言うことであるし、逆らってはいけないとの思いから、万に付けて孝行を尽くしたが、継母は日増しに、事あるごとに難癖ばかり言うので、甚吉もやるかたなく心憂くなって、九月の初めより京都に登り、室町の辺で下男奉公を始め、しばらくは継母の心を休め、自分も上方の風を見習うことにした。
勤め始めた甚吉は、元来素直な心の持ち主で、影日向のない律儀者だったので、主人も情を懸け、甚吉もこの旦那を大切にして、今日と暮れ明日と過ごし、十年ばかりも経つうちに、旦那の引き合わせで似合わしい妻を持ち、金銀や味噌、塩まで細やかに世話をしてもらい、住む家もでき、万事、首尾よくいっていた。
そこで甚吉は、自ら伊賀に下り、正式に証文を認めて田地を悉く弟に譲ってしまい、これでさしもの継母も心に懸ることがなくなっただろうと、悦んで帰って行った。
その弟も、近郷より妻を迎えて、ちょうど甚吉が田地を譲ったその夜に子も生まれ、しかも男子だったので、祖母もひとしお悦んで、下にも置かず抱きかかえて可愛がり、乳を呑ませる間だけ嫁に渡し、そのほかは祖母が手に取って寝起きするほどであった。
そして二七夜も過ぎるかと思う頃、この子が祖母の懐に手を延ばして乳房を口に含もうとするのを、祖母は嬉しさのあまり、「何と知恵のある子かしら。もう乳を探る事を覚えて」と、乳房を取って赤子の口に入れてやった。
始めのうちは、おとなしく乳を吸っていたが、次第に乳房が痛くなってきて、恐ろしくて引きはなそうとした時、子は左の乳房を喰い千切ってしまった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/b9/ae3287a47b0fbdd13805d1c62dd20c28.jpg)
祖母が「おお悲しい」と叫んだのを、夫婦は驚いて、急ぎ起きて見ると、赤子は俄かに起き直り、
「我は汝の父、甚介である。いかに自分の実の子であるといっても、惣領である甚吉を追い退け、家の跡継ぎだけでなく田地までも、悉く自分の物にしてしまった根性の憎さに、我は今、この家に生まれて、祖母には思い知らせて喰い殺したのだ」
と言う声は、そのままの甚介であった。
祖母はこの声に怯えながら、間もなく死んでしまった。
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これも元禄四年の事である。
伊賀の上野、詳しい所は忘れたが、甚吉という百姓がいた。彼には母がいて、父の再婚相手だが、いつも心に沿わぬことばかりであった。
甚吉の祖父が死んだとき、男子は甚吉だけであったので、祖父は何かと甚吉に教育を施し、跡継ぎにしようとしていた。しかし継母は、自身の子が生まれてからは、甚吉を押し退け、我が子に跡を継がせ、少しばかりの田地も、これまた弟にと欲を出していたが、庄屋など他の人々がそれを押し止めたので、継母も是非なく、跡目を兄甚吉に与えることを承知した。
しかし猶、継母の欲は飽き足らず、甚吉が然るべき妻子を持って身を固めるまでは、この弟に譲り状を書いて財産を渡し置くようにと言いつけたので、甚吉も詮方なく、庄屋や肝煎などと相談した上で、仮の譲り状を書いて、村中にも、そう広めた。
甚吉にとっては、何分にも母と名の付いた人の言うことであるし、逆らってはいけないとの思いから、万に付けて孝行を尽くしたが、継母は日増しに、事あるごとに難癖ばかり言うので、甚吉もやるかたなく心憂くなって、九月の初めより京都に登り、室町の辺で下男奉公を始め、しばらくは継母の心を休め、自分も上方の風を見習うことにした。
勤め始めた甚吉は、元来素直な心の持ち主で、影日向のない律儀者だったので、主人も情を懸け、甚吉もこの旦那を大切にして、今日と暮れ明日と過ごし、十年ばかりも経つうちに、旦那の引き合わせで似合わしい妻を持ち、金銀や味噌、塩まで細やかに世話をしてもらい、住む家もでき、万事、首尾よくいっていた。
そこで甚吉は、自ら伊賀に下り、正式に証文を認めて田地を悉く弟に譲ってしまい、これでさしもの継母も心に懸ることがなくなっただろうと、悦んで帰って行った。
その弟も、近郷より妻を迎えて、ちょうど甚吉が田地を譲ったその夜に子も生まれ、しかも男子だったので、祖母もひとしお悦んで、下にも置かず抱きかかえて可愛がり、乳を呑ませる間だけ嫁に渡し、そのほかは祖母が手に取って寝起きするほどであった。
そして二七夜も過ぎるかと思う頃、この子が祖母の懐に手を延ばして乳房を口に含もうとするのを、祖母は嬉しさのあまり、「何と知恵のある子かしら。もう乳を探る事を覚えて」と、乳房を取って赤子の口に入れてやった。
始めのうちは、おとなしく乳を吸っていたが、次第に乳房が痛くなってきて、恐ろしくて引きはなそうとした時、子は左の乳房を喰い千切ってしまった。
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祖母が「おお悲しい」と叫んだのを、夫婦は驚いて、急ぎ起きて見ると、赤子は俄かに起き直り、
「我は汝の父、甚介である。いかに自分の実の子であるといっても、惣領である甚吉を追い退け、家の跡継ぎだけでなく田地までも、悉く自分の物にしてしまった根性の憎さに、我は今、この家に生まれて、祖母には思い知らせて喰い殺したのだ」
と言う声は、そのままの甚介であった。
祖母はこの声に怯えながら、間もなく死んでしまった。