続・エヌ氏の私設法学部社会学科

無理、矛盾、不条理、不公平、牽強付会、我田引水、頽廃、犯罪、戦争。
世間とは斯くも住み難き処なりや?

法三章、殺すな。傷つけるな。盗むな。それさえできれば必要十分なはず

2011-02-13 | 法学講座
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 紀元前3世紀末の中国、といえばピンとくる方も多いでしょうが、秦の始皇帝亡き後、西楚の項羽と漢の劉邦が覇権を争った、「楚漢の興亡」とか「楚漢戦争」と呼ばれる戦いがありました。

 最終的に、項羽は垓下の城に追い詰められ、漢の劉邦軍に包囲されてしまいますが、ここで漢の劉邦は一計を案じ、夜になると、包囲している劉邦軍の兵士たちに、わざと楚の歌を歌わせました。
 四方から楚の歌が聞こえてきたのを、項羽は、自軍の兵士たちが皆、項羽を見限って劉邦軍へ投降し、寝返って歌っているのだと思い、もはやこれまでと、実質的な敗戦を悟りました。(項羽の死は、もうひと戦あとですが)

 ご存知のとおり、これが「四面楚歌」の語源です。
 なお、このとき、項羽の愛人であった絶世の美女・虞美人は自害し、その血を吸った地面から生えてきたのが「虞美人草」です。

 若く絶世のカワイコちゃんだった(この言い方も古めかしいなあ)アグネス・チャンが、「丘の上、ひなげしの花で・・・」と歌っていましたが、虞美人草の別名がひなげしだと知れば、なるほど虞美人とはアグネスのような麗人だったのかなあ、と思います。
(・・・少年の当時、私は、アグネス・チャンの大ファンだったもので・・・)


 さて、東洋史と与太話はこれぐらいにして。

 秦の都、咸陽を制圧した劉邦は、「法三章」という、たった3つの項目から成る法律を施行しましたが、その3つとは単純明快、
「殺すな。傷つけるな。盗むな」
という、ただそれだけの内容でした。

 ただそれだけですが、これがきちんと遵守されれば、世の中に争いごとなど起こり得ません。
 私は、これこそ、古今東西、最高の法典だと思います。

 もっとも、その劉邦自身、項羽軍に対しては「殺し、傷つけ、盗んで」いるのですから、皮肉屋の私としては、多少、疑問符をつけたくなるところですが。
 ま、それはそれとして・・・

 「殺すな」は「傷つけるな」の延長線上と言ってもいいので、以下では同義に扱います。

 「殺すな。傷つけるな」という点については、身体的な危害は言うに及ばず、精神的な危害、すなわち悲しみや苦しみを与えてはならないとも言え、まして、それが昂じて死に至らしめてはならない、という具合に解釈できます。

 現代の法に照らせば、「殺すな。傷つけるな」は、身体的には殺人・傷害・暴行・過失致死傷・強姦、精神的には侮辱・名誉毀損、その他さまざまに分類されます。
 しかし、そんなややこしい分類などせずとも、人が人として、心身ともに健康な生活を送る権利を侵害する行為を禁ずる、ということであれば、その禁を破った「罪」に対して、どの程度の「罰」が適当かということは、裁判の中で、故意か過失か、殺人か傷害か、殺意があったかなかったか、計画的か偶発的か、といった点を考慮すればいいだけです。

 また「盗むな」という点は、単純な窃盗行為だけでなく、暴力を用いたり、偽計や奸計を用いて、他人に有形無形の損害を与えてはならない、と解釈できます。

 これも現代の法に照らせば、窃盗、詐欺、横領、強盗、さらには株価不正操作やインサイダー取引などに分類されます。
 しかしこれもまた、数多の分類など不要で、人が人として経済的な幸福を追求する権利を侵害する行為を禁ずる、ということであれば、上記同様、「罰」は裁判で、嘘や騙し、暴力の有無、その他諸事情を考慮して判断すればいいことです。

 まとめると、刑法の規定に代表されるような、処罰の対象となるべき犯罪に限らず、民法や商法など、人間関係や経済活動の中での背信的な行為も、それで人が傷ついたり、損害を被ったり、悲しんだり苦しんだりするのであれば、そのような行為をしてはならない、というのが、「法三章」の基本理念である、と私は解釈しています。

 さらに、法三章をもっと突き詰めて考えれば、身体的であろうと精神的であろうと、また経済的であろうと、
「有形無形を問わず、他人に損害を与えてはならない」
という、ただ一点に集約されます。

 大人の諸兄諸姉、ここまで論じ詰めれば、何かを思い出しませんか?

 そうです。
 子供の頃、誰しもが、親や先生から教わりました。
「人の嫌がることをしてはいけません」
と。

 法は・・・「決まり」と言い換えても結構ですが、人と人との関係を律するもので、その基本は、述べてきたように至って単純明快、誰でも知っているし、誰でも分かっていることです。

 それなのに日本では、法律だけで約1800、それに準ずる令が約5500、他に自治体の条例などもあり、各法令等の条文を数え上げると、一体何十万何百万の「決まり」があるか知れません。

 つまり、「誰でも知っていて、誰でも分かっている」はずのことが、これだけ多くの「決まり」を以ってしても、まだまだ「誰もできていない」と言えます。

 こうした教えを我々は、子供の頃は純朴に守っていたはずです。
 それなのに、一体、いつから、何が、我々大人をして、守らなくても平然としていられるような愚者にしてしまったのでしょうか。

 真に、まことに残念ながら、これが人間です。

 偉そうに言わせてもらいますが、私は、(自戒も込めて)人間が情けないです。

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2 コメント

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Unknown (はまだ)
2013-07-25 20:06:47
私はそうは思いませんね。
麻薬、覚せい剤使用とかレイプとか公然わいせつ罪とか詐欺罪とかいっぱい法三章で裁けない罪状がたくさんある。
裸になって外を歩いても必ずしも人は傷つかない。
麻薬、覚せい剤も他人を傷つけるものではない。
レイプもセックス慣れしている女性の場合、必ずしも傷つくとは限らない。
スピード違反はその時点では誰も傷つけない。ただし、そんな運転をしてたらいずれは事故を起こす危険性があるというだけです。

殺人も「正当防衛は無罪」とちゃんと規定しておかないと、「正当防衛でも殺人は殺人だから有罪」と考える裁判官もいるかもしれない。

詐欺罪も微妙で、本人が心から満足しているなら寺や協会に数億円の寄付をするのは良く聞く話しですし、
悪霊に取り付かれているとかいって壷を一千万円で買わせるのもありです。
宗教や心霊を信じない裁判官なら宗教施設への詐欺行為は全て犯罪ととるかもしれません。

法三章の欠点は「他人を傷つけない犯罪を裁けない」のと「裁判官の個人的な思想や考えが入る」点ですね。
ですので難しい多岐に渡る規定が必要なのです。
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必ずしも・・・ (エヌ氏)
2013-07-25 23:41:23
はまださん、いらっしゃいませ。
いろんな事例を、ああでもない、こうでもないと考えるのは、楽しいですね。

さて、早速ですが・・・

駄文中、「身体的であろうと精神的であろうと、また経済的であろうと、有形無形を問わず、他人に損害を与えてはならない」とある点に注目してください。
つまり、身体的な損害は言うに及ばず、精神的な損害、経済的な損害、そうしたものも、「盗むな・傷つけるな」の範囲に入ります。

麻薬や覚せい剤は、使用した人の身体や精神を蝕む、つまり、身体的に損害を与えるものです。さらに、暴力団の資金源になることで、間接的に、市民生活へ損害を及ぼします。よって、使用や売買等を処罰の対象とすることは「傷つけるな」の範囲に入ります。

レイプが精神的な損害を与えることは、言うまでもありませんし、万一、レイプが原因で妊娠してしまったら、身体的な損害にもなります。
>レイプもセックス慣れしている女性の場合、必ずしも傷つくとは限らない。
→現在でもそうです。強姦は親告罪ですから、女性が精神的に傷つき、告発した場合は罪に問われます。逆に、傷つかなかったから訴えもしなかったとしたら、罪にはなりません。

また公然わいせつは、それを目にした人に、不快感という精神的損害をもたらしますし、詐欺・窃盗・横領の類が、経済的な損害に該当することも、論を待ちません。

それから、スピード違反は、確かにその行為をした時点では、誰も傷つけませんが、過去の経験から、スピード違反が原因で死傷した人は無数におりますから、防犯の観点から、「傷つける可能性が非常に高い~ほとんど必然といっていいぐらい~の行為を禁ずる」のも、「傷つけるな」の範囲に入ります。

また、犯罪で裁判になった場合、量刑を決定するのには、必ず、「情状」というものが考慮に入れられます。
現在の刑法でも、たとえば殺人罪は、懲役3年から死刑まで、非常に幅広い選択肢があり、それは、殺人を犯したものに対しても、「情状」、つまり、同情すべき要素が多々ある場合は、わずか3年という刑になりますし、同情の余地がない場合には、死刑が言い渡されることもあります。
つまり、人を殺せば殺人として裁かれるのは当然ではありますが、その「情状」が、まさに正当防衛に該当する場合は、量刑は「ゼロ」とすればいいわけです。(無罪とするか、不起訴処分とするかは、枝葉末節でしょう)

さて、宗教関係は少し微妙な問題も含みますが、基本的に、誰も傷ついていない、ないし、傷つくおそれがない場合は、現在もそうですが、何も罪に問われません。
しかし、度が過ぎてしまえば、本人が「傷つけられていることに気付いていない」だけの話であって、傷ついていることが客観的に明らかな場合は、第三者が犯罪を告発することに何ら不思議はありません。

>宗教や心霊を信じない裁判官なら宗教施設への詐欺行為は全て犯罪ととるかもしれません
→現在の裁判では、いわゆる心霊関係は無視されます。裁判官個人の宗教観はともかく、裁判に宗教や心霊が影響することはありません。
また、裁判官の個人的な考えが入り込むのは、ある程度やむを得ませんが、陪審や裁判員といった制度により、裁判官個人の考えのみで裁判が進められることは、できるだけ避けられるものです。(現在でも、100%避けうるものではありません)

多岐にわたる規定は、必要かもしれません。しかし、微に入り細に穿った規定は、必ずしも必要ありません。
先に挙げた例では、窃盗・詐欺・横領といった犯罪は、盗むか騙すかネコババするかの違いがあっても、他人に「経済的な損害」を与えたという点で、ひとくくりにできます。
そうした考えを突き詰めれば、結局、「身体的であろうと精神的であろうと、また経済的であろうと、有形無形を問わず、他人に損害を与えてはならない」という点に集約される、というのが駄文の主旨です。
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