続・エヌ氏の私設法学部社会学科

無理、矛盾、不条理、不公平、牽強付会、我田引水、頽廃、犯罪、戦争。
世間とは斯くも住み難き処なりや?

猫人に祟をなせし事

2018-10-14 | 諸国因果物語:青木鷺水
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 備後福山に清水何右衛門という人がいた。元禄元年の頃、家の中で、物が次々と無くなってしまう事件が起きた。
 魚や鳥によらず何であっても、料理しようと思って洗わせ、または買って来て置いていたら、しばらくして忽然と消えてしまう事が続いた。
 何右衛門は、奉公人の中に心よからぬ者がいて、このような手癖の悪い真似をするのかと思い、皆に問うてみたが、誰が盗んだとも知れず、ある時は、見張りの者をに置いて物陰から窺わせたりもしたが、ちょっと目を離した隙に失せてしまい、何とも不思議な出来事であった。
 そんなある日、蛸を料理するために洗わせておいたのを、何右衛門自ら半弓を持って物陰より見ていたところ、やはり、いつの間にか蛸は失せてしまった。
 何右衛門は、さても心得ぬ事と思い、猶なお目を離さず、しばらくその辺の様子を窺っていると、縁の下より、先ほどの蛸の足をくわえた猫一匹がのたのたと出てきた。そして今度は俎板の上にあるウツボを見て、そろりと上がってウツボをくわえたところで、何右衛門は半弓を引き絞ってひょうと射かけたが、今少し手元がずれて、俎板から飛び上がった猫の後足に当たった。しかしそれもかすり傷だったようで、猫はそのまま逃げ去ってしまい、残念な事と思ったが、是非もなければそのままにしておいた。

 ところがその夜、何右衛門の寝間に怪しい女が忍び入って、何右衛門を押さえつけて散々に恨み言を言う。何奴がここまで寝間深く忍び入って自分を悩ますのか、目に物見せてくれんと、脇に立てておいた刀を引き寄せて起きようと思い、身を動かし心を働かせようとしたが、どうしたわけか、五体がすくんで言うことを聞かない。口惜しくてたまらないが、物の怪に誑かされて徒に伏したまま言う事を聞けば、
「おのれ、僅かな食のために、よくも我を殺そうとしたな。我はその辺の畜生と違い、この里で八百歳を経て、神通力を得て変化自在の身となったのだ。お前が貪欲の刃にかけて奪おうとした命の惜しさと、今またお前を苦しめて取ろうとしている命とを、思い比べてみよ。しかし、いっぺんにお前の命を奪ってはつまらない。今日から毎晩通ってきて、幾夜も幾夜も悩ませ苦しめ、なぶり殺しにしてやろう。思い知るがいい」
と言う。
 その声の下で何右衛門は、五体が痺れ胸が苦しくなって半死半生となり、何度も声を立てて人を起こし、この世の名残を惜しむと思ったが、また思い返し、悔しいかな、この下等な四足に魅入られ悩まされている情けない姿を人に見せ、世に言いはやされては、今後、何の面目があって人に顔向けができるだろうか、流石に自分も侍の端くれだと思い、気を確かに持ち、身を固めていた。
 そうこうするうちに、早や明け方の鳥の声もかすかに聞こえ、二十六夜の月が仄かに寝間の上の切窓から差し込んで、その光に、昨日見た猫が、ひょいと飛び上がって窓から外へ出て行った。すると、五体のすくみは和らぎ、手足も自由になった。
 それにしても、かの射損じた猫の仕業かと思えば、いよいよ無念さは募ったが、たかが猫ぐらいのことで悩んで弱気になり、人に助けを求めては、後々どんな誹りを受けるかわからない。この上は猫と自分の運を比べて、討たば討つべしと堅く心に誓い、かりそめにも人に言わず、妻子もいなければ知る人もないので、自分一人が様々に手を替え術を尽くすことにした。
 そう決めて夜毎に待てば、この怪異も必ず夜毎に来て何右衛門を悩ませ、初めの頃こそ、何とかしてやろうと心を尽していたが、半年ばかりにもなろうかと思う頃には、気力は衰え、力も弱って痩せ疲れ、物もしっかりとは食べず、日に日に顔色も衰えてきたので、周囲の者が心配して様々と機嫌を伺い尋ねたが、何右衛門は堅く口を閉ざしたままであった。
 このまま、ただ悩まされ続けるしかないのかと諦めかけていた時、ふと思いついて、こんな時こそ不動の慈救呪(じくじゅ:不動明王の呪文)の験があるに違いないと、日に二百辺ずつ怠らずに唱える事を二十日ばかり続けた。
 その夜も、例のごとく女の姿をした猫が来て、いつものように何右衛門を苦しめ、
「今宵が過ぎたら、お前の命を取ってやる。今まで散々に苦しめてきたが、よくも心強く我に敵対してきたものだ」
と言い罵り、いつにも増して責め苛んだ。
 何右衛門は、五体が砕け命も今日限りだと思うほどであったが、あまりに強く責められ、自分もそれに抵抗を続けていたので、ついに疲れ果て、意識が遠のいていった。
 しばらくして、思い出したように目が覚め、手を伸ばして動かしてみれば、自由に動くではないか。これは嬉しいと思い、そろりと起きて見回すと、かの女の姿に化けた猫も、宵から続いた何右衛門との揉みあいに草臥れてか、現なく寝入ったと見えて、猫の形を顕して伏している。
 すわ天の恵みと、傍らに脱ぎ置いた絹羽織を打ち被せて、飛びかかって組み伏せれば、猫も驚いて目を覚まし、また頭から次第に女に化けていこうとするが、強く押さえられて鳴きもだえているところを、一刀に懸けて刺し殺し、下々を呼んでこの死骸を焼き捨てさせた。

 それでもなお、心許なく気味悪かったので、真言寺の僧を頼んで、密符をかけ祈祷などをさせたら、再びこの怪異が起こることはなく、何右衛門の身も、半年ばかり養生して、元のとおり元気になった。

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