続・エヌ氏の私設法学部社会学科

無理、矛盾、不条理、不公平、牽強付会、我田引水、頽廃、犯罪、戦争。
世間とは斯くも住み難き処なりや?

腰ぬけし妻離別にあひし事

2018-10-23 | 諸国因果物語:青木鷺水
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 大坂長町にいた京屋七兵衛という男は、極めて不人情な者であった。元来は、京の丸太町辺りに住んでいて、七兵衛夫婦には、七つと四つになる娘がいた。
 女房は長いこと腰を患い、さまざまに療治したが露ばかりの験もなく、この一両年は腰も立たなくなって、朝夕の食事は言うに及ばず、大小用さえ御虎子(おまる)で取る身であった。また、女房の親は父一人だけ、それも剃髪の後、承仕の僧となって、越中の井波という所の水泉寺という一向宗の御堂へ下っていた。だから今は、一門といっても埃ほどもない身の上であった。
 夫の七兵衛は、近頃稀なほど情け知らずな者とは知られていたが、女房は、腰が立たなくなってしまったのも自分の因果と思い、夫には万事について気を遣い、夫の心に背かぬよう、言葉に気を付け、機嫌をとって暮らし明かしていた。
 それにもかかわらず、七兵衛の道楽で暮らし向きは苦しかったため、住まいの家主も今は詮方なく、家を替えてはどうかと勧め、引っ越しの足しに少しの銀も与えた。
 七兵衛も是非なく、次の家を探しに出かけていたが、ようやく岩神通り西に借家を決めたので、近いうちに引っ越すことを家主へ断り、妻にも言い聞かせ、何かと心用意して、着替えなども洗濯し、準備を進めていた。
 やがて引っ越しの朝になり、七衛門は手ずから飯を盛って女房に食べさせ、自分も機嫌よく酒など呑んで、
「腰が立たない身では、先に行っても埒が明くまい。着物を着替え、ここで待っていてくれ。俺が先に行って、勝手などもよく片付け、その上で駕籠を使いに寄越すから。昼になって腹が減ったら、ここに飯もあるぞ。それから、誰かに物を頼んだときは、礼などもしなければならん。おぬしの腰に付けておけ」
などと言って、銭二百文を置いた。
 さて、大方の道具は車に積んでしまって、多くの雇い手がせっせと運んで行き、跡に残る物は古い葛籠一つ、半櫃一つ、女房が座るときの背もたれぐらいになり、女房と二人の娘は荒筵の上に座っていた。そこへ、長屋の亭主やご近所など日頃から馴染んだ人々が、入れ代わり立ち代わり挨拶に来た。
 女房は、
「うちの人は、ご存知の通り、日頃は白い歯も見せず、仮初にも婿と言われるようなことはして来なかったのですが、思い直して心を入れ替え、今朝もこうこう言ってくれたのですよ。私は、年頃の恨めしさも忘れ、この一言で胸が一杯になってしまいました」
と喜び、迎えの駕籠を待っていた。
 ところが、日も早や八つを過ぎ七つに傾いても、今朝の雇人はもとより亭主も帰って来ず、あまり心もとなくなったので、娘たちを隣へ預け、隣の家の亭主に頼んで、岩神の何とかと聞いた住所を頼りに、見に行ってもらった。
 程なくこの亭主が引き返してきて、
「今朝、この家から車に積んで出た道具は、一つ残らず堀川の道具屋に持ち込まれ、市を立てて悉く売り払ってしまい、売り上げの銀は、道具屋とご亭主とが分け合って、ご亭主はどこかへ行ってしまったようです。ところが、岩神へ行ってみると、もとより借家などありませんでした」
 と言う。
 これを聞いた女房は仰天し、急いで葛籠を開けて吟味すると、女房の着替えが二つ三つ、娘の古着が少々残っているばかりで、ほかに、一通の離縁状が入れられていた。
 騙されたと悟った女房は、狂ったように泣き喚き罵った。町内の人々も訳を聞いて哀れがったが、この女房は腰が立たないから、どこにも行ってしまうわけではなく、滅多なことはないだろうと考え、その夜はそのまま空家に置いてやることにした。
 ところが、それが油断で、女房は夜の間に二人の娘を絞め殺し、自分も首を括って死んでしまった。
 一方、七兵衛は、大坂に下って長町に家を借り、小さな商いを始め、あちこちと稼いでいた。
 そうこうしているうちに、身分ある人の未亡人が、さる仔細があって逼塞の身となり、東高津のほとりに屋敷を構え、半ば世を捨てたように暮らしているのを、七兵衛は何かの折に見初め、露忘れる隙もなく、いろいろと仲立ちを頼んで言い寄っていたが、ついに未亡人がなびいて、「今宵、必ず」との返事をもらうことができた。
 七兵衛は喜び勇んで出かけようと思ったが、きちんとした着物を持っていなかったので、親しい知人に借り整え、小者を一人雇い、何とか格好をつけて東高津へと急いだ。
 未亡人の住まいは、聞きしに勝る立派な屋敷で、下女や腰元が忙しく行き交い、そこで七兵衛は、一方ならぬ饗応にあった。
 そして、夜も早や八つに近づくかと思う頃、棚を磨き錦を飾った床の上に偕老の衾を並べたかと思うと、少しして、次の間に待たせていた小者が、七兵衛の手を取り自分の顔に押し当ててさめざめと泣くので、不思議に思って、手を伸ばして懐を探ってみたら、節丈が二丈ばかりもあろうかという大きな蛇が出てきて、七兵衛の足から胸板までくるくると巻きつき、鎌首をもたげて喉に喰いついた。

 小者が肝を潰して、恐ろしさのあまり慌てて逃げ出してしまうと、七兵衛の周りには、足の踏み場もないほど小蛇がうじゃうじゃと湧いて出てきた。頃は良しと、そこに侍っていた腰元が、狸か狐が化けたものだったのか、七つぐらいの女の子の声で、
「嬉しや。本望を遂げたわ」
と言えば、他にも二三人の声がして、
「私も。本望よ」
と言う。
 七兵衛は転げまどい、命からがら逃げ帰ろうともがいた。
 後で様子を見に行った人は、山の奥には人を取る蟒蛇(うわばみ)がいると伝えられているが、それが七兵衛の屍に巻きついて食らいついたまま、蟒蛇も死んでいたと語った。
 誠に恐ろしい怨念の話である。元禄六年の事だという。

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