続・エヌ氏の私設法学部社会学科

無理、矛盾、不条理、不公平、牽強付会、我田引水、頽廃、犯罪、戦争。
世間とは斯くも住み難き処なりや?

蛇(くちなわ)の子を殺して報をうけし事

2018-08-27 | 諸国因果物語:青木鷺水
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 京新町三条の辺に真苧(まお=繊維を取る植物)や煮扱(にこぎ=麻の加工)などを商う富貴な人がいて、手代や小童なども多く使っている家であった。

 元禄十年の夏の頃、江州高嶋から朽木嶋売りや蚊帳売りなどが、この家に集って、荷物など夥しく積み置いていたところ、どういうわけか、小蛇が多数湧いて、荷物の下からにょうろにょろと出て来た。手代がそれを拾い取って、打ち殺そうとするのを、この旦那は慈悲深い人であったので、見付け次第に拾わせ、入れ物に入れて蓋を閉め、寺参りのついでに、黒谷万無寺などの山で、蓋を開いて蛇を草村へ放し、殺させることはなかった。そんな具合だったから、手代たちも、蛇を見つけても殺さずに、追い逃がすようになった。

 そうした折節、祇園会が近くなり、道具などを片付け、煤なども掃おうと、出入りの者などを呼び寄せ、此処彼処を掃除させて、埃など掃かせていた。
 さて、この旦那の乳母は、上の横町にある木履屋の妻で、夫はさる方に雇われて加州金沢へ行っていた。乳母は、長年この家に出入りしている仲でもあり、宵から来て、何かと片付けの手伝いをしていたが、かの荷物が中庭に積み上げているのを見て、これも片付けようと動かしてみると、四寸ばかりの小蛇が何十匹となく、この下に蟠っていた。
 男どもは肝を潰し、恐れて寄り付かず、どうしようかと途方に暮れて見ていたが、この乳母は、今年五十歳になって、後生のことも考える年であるのに、この蛇を見て、
「皆の衆。男が揃いも揃って、それほど怖いか。わしが除けてやろう」
と、大釜に沸き立った煮え湯を、大柄杓に汲んで小蛇の上へさっと掛ければ、蛇たちはのたうち回った挙句に、大方は死んでしまったので、死骸は搔き寄せて捨ててしまった。
 乳母は、その日一日は何事もなく働き、家へ帰って行った。
 明くる朝は、祭り前の拵えがあるので、いつも朝早くから乳母なども集まって諸事の世話を焼く予定であった。ところが今日に限って、四つ過ぎても乳母は来ない。
「もしかして、何かあったのではないか。見て来ておくれ」
と、内儀から言い付かった下女が、横町に行ったところ、門の戸なども夕べのままで、留主かと思ったが、戸は閉めているものの錠もおろさず、不審に思って、戸を敲いたり呼んだりしたが、返事がない。
 下女は走って帰り、男どもが乳母の家に駆けつけて、戸を打ち破って入ってみると、乳母は夜着のままで蚊帳の中に寝ていたが、引き動かしてみると、首の周りから胸板までの大きな蛇が、幾重ともなく纏わり付いて、鎌首をもたげて乳母の喉笛に喰い付いており、蛇も人も共に死んでいた。

 子を殺された親蛇が、かくまで恨んだのも無理はないと、皆は語り合った。酷い殺生はすまじきことである。

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