続・エヌ氏の私設法学部社会学科

無理、矛盾、不条理、不公平、牽強付会、我田引水、頽廃、犯罪、戦争。
世間とは斯くも住み難き処なりや?

巻4の3 恨み晴れて縁を結ぶ 附 高山の喜内田地を売る事

2018-05-13 | 御伽百物語:青木鷺水
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 近江の国、守山辺に喜内とかいう農民がいた。生まれつき正直者で、かりそめにも人に対して悪いことはせず、逆に、自分のことを顧みなくても、人のため良い事であれば世話をするような心映えの者であった。しかし前生の因果によって、兎角、稼いでも稼いでも貧乏暮しから抜け出せず、日を追うごとに生活もままならなくなってきた。そこで、少しばかり持っている田地を人に貸して耕作してもらい、収入の助けにしようと思い立ち、あちこちと人を頼んで耕作してくれる人を探していた。
 すると、その近くに住んでいる藤太夫という農民がいて、非常に欲深く、わずかな利益も貪り、一銭の事でも惜しみ、人の手前も外聞も恥じることなく、汚いまでにケチな者であったが、この、喜内が田地を貸そうとしている話を聞いて、早速、欲を越し、何とか安く価を値切り、我が物にしてやろうと悪知恵を働かせ、長年庄屋に召し使われている十太郎という男に話を持ちかけた。藤太夫は、
「今、喜内が田地を貸そうとしているらしいが、それについて頼みたい事がある。それと言うのも、喜内には年貢の未納があって、しかも、それが積もり積もって七八百匁もあるものだから、喜内は貧乏が日毎に増していって、とうとう田地を人に貸し、何とか収入にしようとしているらしい。うまい具合に、喜内の田地はうちの田と並んでいて、実は前々から、あそこを手に入れたいと思っていたのだが、人の田を借りて耕やすだけでは詰まらない。元々が貧乏性な喜内のことだから、たとえ人に貸したり質に入れたりしても、どうせそれで富貴になるわけではあるまいし、ここはお前が口を利いて、喜内が田地を売る気になるよう説得してくれ。そして、もし売ろうという話になったら、庄屋さんは慈悲深い人だから、田地を売ろうという喜内のことを考えて、年貢の未納のことは言い出さないと思うが、売買の値段が決まった上で、庄屋さんが席を外したら、年貢の未納の話を持ち出して、未納分を更に値引きさせてくれ。そうしてくれれば、定めどおりの仲介料に加えて、未納分として値引きさせた額の十分の一をお礼しよう」
と酒を勧め、うまいことを言って頼めば、この男も欲に迷い、安く請け合って帰った。
(注:江戸時代は、田畑の貸借や質入れ、売買などをする際には庄屋を介し、証文に庄屋の認印が必要であった)
 さて、喜内が善人なのはよく知られているので、近辺の農民たちは彼の貧乏を気の毒に思い、皆して、できるだけ裕福な所へ田地を預けさせ、喜内に恙ない生活をさせたいと思い、さまざまと駆け巡り、いい話をたくさん持ってきて、何やかやと世話をしてくれた。しかし、庄屋のところにいる十太郎が、いろいろと難癖をつけては承知せず、今は喜内も詮方なく、この田地を売ってでも当面の収入にしようと思い始め、他の人にもそう言い出していた。
 すると十太郎はしめたとばかりに、かの藤太夫に売買の話を持ちかけ、しかも喜内の足許を見て、安く値切ってきた。喜内も、心の中では大いに不満であったが、貧乏に苦しめられているのはどうしようもなく、僅か二十両の値で売る約束をした。
 ところが、ここに至って藤太夫は、かねて企んでいたとおり年貢の未納を言い出して、金を渡そうとしていたところから八百匁を差し引いてを支払った。喜内は、しまったと思ったが、未納分の年貢について決めておかなかったのは自分の手落ちだと思い、なす術もなく、藤太夫の言うとおりにするより他なかった。
 藤太夫は、用の済んだ喜内を帰らせようと、自分が持ってきた酒を喜内に一二献進めて、愛想なく、すぐに盃を納めた。奥にはなお、酒や膳が整えられていて賑わいあっていたが、喜内に取り合う者は誰もなく、賑わいも喜内には素気なく騒々しいばかりで、やがて、その座を立って帰って行った。
 それにしても、この藤太夫の仕打ちといい、売価を値切られた上に年貢の未納分まで差し引かれた無念さは、ひとしおの恨みとなり、喜内は根が真っ直ぐな人間だけに、憤懣やるかたなく、そんなことなら、今宵の内にでも藤太夫の家に火をかけて藤太夫の財産を焼き払い、せめてもの慰めにしようと思いつき、このことを妻に語った。
 妻は懇ろに諌めて、
「あなたの心にいた善には、どのような悪が入れ替わって、そのような筋の通らない考えができてしまったのでしょう。私がたまたま法談(仏教の説諭)をちらりと聞いたところでも、仇は報ずるに恩をもってすべし、と言います。菩薩や空也上人の境地までなくとも、せめて、そのような悪業はなさいますな。貧乏なのは天命です。貧乏から起こった怨みではありますが、天命を弁え、前生の因果を思えば、恨むべき人もなく、悲しむべき身もないものです。どうかどうか、そのような悪しき心を起こして、さらに後生の罪を作らないでくださいまし」
と、泣きつ笑いつ説得した。しかし喜内は、聞いているふりをして、納得はしていなかった。
 その夜更け、人が寝静まった頃、喜内は密かに、焚き付けになる物や摺火打ち、塩硝(火薬の原料)などを懐にして、藤太夫の家へ急いだ。ところがちょうど藤太夫の家では女房が産気付いて、取り上げ婆などが走り入ったりと物々しい様子なのを見て、喜内は、
「そもそも、私が仇と思っているのは誰かというと、藤太夫ひとりではないか。今、藤太夫ひとりに恨みを報わせるため、藤太夫の家に火をかければ、この産婦はもちろん、そのほか近辺の人まで同じ禍に巻き込んでしまって、そうなれば恐ろしい天罰が待っているに違いない。恨みを晴らす相手は一人で十分なのに、勢い余って後生の罪を背負い込んでしまうのは、私の本意ではない」
と思い返して、持ってきた放火の道具を、溝の中へ捨てて帰った。

 それから喜内は、かの僅かな金を元手に、酢や醤油、酒などの醸造を家業とし、夜を日に継いで稼ぎ、正直に働いたので、日を追って富が増していき、田畑や牛馬にも事欠かず、家門は広くなり、多くの使用人を抱え、昔の貧乏が嘘のように暮らしは楽になった。
 それに引きかえ藤太夫は、近年、水害や旱魃が代わるがわる襲って不作が続き、あるいは家の中で病者が絶えることなく、または、僅かの利欲に目がくらんで金銀を投資しては損を出してしまうなど、今は生業をしようにも元手がなく、今日の暮らしさえ困難になってきた。しかし、宝は身の差し合わせ、とか言う言葉もあるとおり、田地を売り払えば、今の急を何とか凌げると思い立ち、近辺の人にも相談し、あるいは頼みなどして駆け巡ってみたけれど、皆は、藤太夫がケチで汚い者だと知っていたので、誰もまともに取り合ってくれず、気ばかり焦る日々を送っていた。
 そんな折しも、藤太夫が田地を売りたがっている話は、喜内の耳にも入ってきた。喜内はこれを聞いて願ってもない幸いと喜び、以前、藤太夫が自分にした仕打ちを、今度は自分が藤太夫にしてやろうと思案を巡らせ、例の庄屋の所にいる十太郎に、藤太夫の年貢の未納を尋ねると、八百匁ほどあると言う。それならば、かつて自分が売った田地を買い戻させ欲しい旨、藤太夫に掛け合ってくれるよう頼めば、十太郎もまた眼前の謝礼に迷って、安く請け合った。
 さて、田地の売買をする時も、藤太夫にはまだ、少々不満なところもあったが、ようやく買おうという人が現れたのは幸いだと思って、代金を金二十両に定め、証文を作成しようとして一同が集まった時、喜内が買主だという事を知って驚嘆した。そして、いよいよ証文を渡そうとする時になって、例の、年貢の未納の話を持ち出され、とうとう八百匁を差し引かれて金を受け取った。また喜内は酒を持って来ており、藤太夫ばかりに一二盃ほど呑ませて、さっさと帰してしまった。

 藤太夫はつくづくと、自分が作った仇の報いだとは思い知ったが、それにしても喜内のことが身に染みて恨めしく、憎くて、どうしても今夜は喜内の家を焼き、せめて財産を失わせて、自分の胸を晴らしてやろうと一筋に思い込み、藤太夫も焚き付けや火打ちなどを入れた包みを携えて、喜内の家へ行き、時を伺って門の様子を聞いていた。ところがその時、喜内の家でも女房が産気付いていて、人々が慌ただしく行き通っているのを見て、藤太夫にも慈悲の心が起こり、怨みを抑え、火の具を溝に投げ入れて帰って行った。
 夜が明けて、たまたま表に出た喜内がこれを見つけて大いに驚き、火の道具を取り上げて、いろいろと騒いでいるうち、昨日、藤太夫が書いた受取り証文の反故を見つけた。喜内は、
「因果というものは不思議なものだ。俺が、あの田を藤太夫に買われた時の恨みを晴らすため、火をつけようとした事は、誰も知らないままだった筈だ。そうであれば今、藤太夫が田を俺に買われて憤るのも無理はない。もし俺があの夜、藤太夫の家を焼いてしまっていたら、俺の家もまた、藤太夫に焼かれてしまっていただろう。我ながら、よくぞあの時、悪念を翻したものだ。この陰徳が今になって陽報の喜びとなったに違いない」
と思い巡らした。
 そして、喜内は銀十枚を包んで藤太夫の家に行き、昔、自分が田を売った時から、今日、自分が見たものまでをつぶさに語り、
「今は互いに恨みを晴らし、この因果を恐れて、これからは人にも善を勧めようではないか。今日からは私を他人だと思わないで欲しい。私も二心ない証に、あのころ生まれた君の子は男の子で、手を折って数えるに確か今年は十才になるだろうが、私の子は昨夜生まれて、しかも女の子で、年の程もちょうど似合うから、これをいいなづけて、一族の好を結ぼうと思う」
と語ったところ、藤太夫も喜内の志を感じ、前非を悔いて、互いに盃を酌み交わして一門の契りを結んだ。
 その後、二つの家は互いに富貴の身となって、今でも栄華が尽きずにいるという。


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