ちょうど一週間前になってしまいましたが、
野口芳宏 氏のお話を聞く機会がありましたので、
講演内容の要点を。
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ゆとり教育が公式に世の中に出て来てから30年経った。
何故ゆとりの教育が叫ばれたのか?
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受験戦争は入学のための準備になり、心身の向上につながらなくなってしまった。
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子供たちを追い立ててしまい、ゆとりの必要性が叫ばれるようになった。
さらに落ちこぼれの出現
(7、5、3教育) 小学生7割、中学生5割、高校生3割しかついていけない状態になった。
落ちこぼれをなくすことはできない。
自分の能力を超えたものに挑戦し、がんばること(受験など)は大切である。
学力の落ちこぼれよりも道徳の落ちこぼれのほうが問題である。
偏差値の出現により成績重視になり、非行や不登校に目が向けられない状態になった。
世論を反映して
S51年『ゆとりある充実した学校生活の実現を目指す』というゆとりの教育の走りとなる。
S52年 ゆとりの時間
具体的な指示が無く、何をやって良いのか現場は困惑する。
授業時間短縮や何もしないことが“ゆとり”と勘違いする。
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業者テストの排除、脱偏差値教育
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教師が多忙を極める。
その結果 非行が激増する。(S51年 11万人 S56年 19万人)
S55年 非行第3のピーク→部活動に力をいれそれを乗り越えようとする。
“ゆとり”の有る無しとは“変更が効くかどうか”
H元年 バブル景気に企業は週5日制を導入。
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H5年学校月一回土曜休み
H7年学校月2回土曜休み
その後 完全週5日制 → 教師は6日でやっていた仕事を5日でやることになり多忙に
H10年 指導要領改定 ゆとり教育の最終仕上げ
・ 週休2日
・ 授業内容3割減
・ 授業時間2割減
・ 個性の尊重
ゆとりの教育によって起こった現象は
学力低下意
非行の増加
不登校の増加
ゆとりの教育が間違ってしまったのは『人間観』の見誤り
◎理想的人間観(子供は無限の可能性を持っている。 平等である。)
性善説
西洋的思想
◎現実的人間観 (優劣などの差が有る)
性悪説
東洋思想
小人閑居して不全をなす。
(つまらない人間は暇をもてあます【ゆとりを与える】と悪事を働く)
小人とは大衆のこと
“中にある素質を外に引き出す”というのが教育 educationの本質である。
e duc a tion
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外に 引き出す
人間は自律がなかなか出来ない。
よって他律(プレッシャーをかけられる状態に身を置く)によって自律心を確立する。
他律による自律 (他律的自律)
自分を良く導いてくれる仲間の中に身を置く。
現状は他律を排した自律。→自滅
H元年の指導要領
・ 新しい学力観→子供の関心、意欲
古い学力観は知識力(知的学力、教え込む、詰め込む)、コンピューターの出現で×だという思想が出てきた。
新しい学力観は(情意的学力、支援、援助)、
教師は子供の学びの支援者、援助者である。→教える教師が減ってきた。
支援と援助が必要なのは病人と年寄り、子供は鍛えることが必要。
学力の中核は知識である。
知識が乏しく、関心と意欲だけがある医師に手術をしてほしいかぁ??
知識が豊富で、注意深い医師に手術をしてほしいのでは??
まずは知識有きである。
好きか嫌いかは自分が決める。
良いか悪いかは社会が決める。
正しいか正しくないかは歴史が決める。
現在の日本の教育は open end 教師による結論付けをしてはいけない。
相対性
多様性
0pen end、相対性、多様性は知識、経験を身につけた大人にはOK。
子供には結論、絶対、単一、真偽、基礎を教え込まなければいけない。
確立された道徳教育を受けた子供たちが自信をもって生きていける。
花の見栄えを良くしようと思ったら、花に肥料をやるのではなく、根に肥料を与えなければいけない。
知識のあるところに知的欲求が生まれる。
家庭教育力は家庭協力力
野口氏著書
・ 子供の作法 PHP出版
・ 子供の挑戦、大人の出番
・ 子供の発信・・・
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以上
いい勉強になりました。
では・・・