古事記の暗号 神話が語る科学の夜明け, 藤村由加, 新潮文庫 ふ-22-3(6425), 2002年
・トラカレ(トランスナショナルカレッジ・オブ・レックス)生のグループによる『暗号』シリーズ第三弾。"易" の思想をベースにして『古事記』を読み解く。『いなばのしろうさぎ』から始まり、『やまたのおろち』、大国主神の冒険から国譲りの場面まで。
・「その言葉のこじつけはいくらなんでも強引では!?」とツッコミたくなるような場所が無いでもないですが、古事記の世界が楽しく生き生きと紹介されています。その著作を『トンデモ本』と見なすむきもあるようですが、内容の真偽はともかく、原文ではとても読む気になれない古事記のエキスを平明な言葉で語ってくれて、興味を持たせてくれるという点では良い入門書だと思います。
・易の用語が頻出し、ついていけずに少々げんなりする個所あり。
・『人麻呂の暗号』は既読。"ヒッポ" や "トラカレ" などは『フーリエの冒険』でその存在を知る(冒険シリーズ三部作も既読)。
・「『古事記』は、『万葉集』『日本書紀』とともに日本で文字として残っている最古の文献である。神代に始まり、日本の国生みが書かれ、神から天皇に至る物語が綴られ、さらに連綿と続く天皇の時代へと入っていく。日本の正史とされているものである。」p.11
・「ここで驚いたのは古事記の前にもいくつかの記録があったという記述である。それぞれの家に伝わっている系譜、伝承などが沢山あったということだ。考えてみればそれ以前に何もなかったということの方がはるかに不自然だ。 私たちも記紀万葉に出合う前は古事記からすべてが始まったかのように錯覚してしまっていたが、当然それ以前に集積していた文献が山ほどあったのだ。」p.12
・「それにしても天皇が登場してからはまだしも、神代の話がほんとうの話だと思っている人は誰もいないだろう。日本の国土が生まれ、神々が生まれ、国作りをしたという日本国創世の物語である。建国の義を正しく記そうとした話の中に、なぜ子ども向けのような説話が書かれているのだろうか。私たちはたちまちその不思議にとりつかれていったのだった。」p.15
・「易を構築している哲理はシンプルなものである。初めに、分割することのできない混沌とした状態があると考え、それを太極と呼び、そこからすべてのものが生まれていくと考えたのだ。(中略)太極から生じるのは、陰と陽の二気で、すべてのものをこの陰と陽の二気に還元できるものと考える。(中略)太極から生まれた二気は、さらに陰と陽に分かれ四象となり、その四象がまた陰と陽に分かれ、八卦(はっけ)となる。」p.25
・「それが古事記の中枢思想だと宣言しているようなものだ。古事記の中には易の思想が脈々と流れているということになる。私たちは、大きな航海に出るための羅針盤を手に入れたように感じていた。」p.42
・「天武らが実現しようとした伊勢神宮の遷宮に象徴される恒久の象形は、日本の正史としての古事記の編纂の意図と、くっきりと重なっているような気がしたのである。」p.47
・「「いなばのしろうさぎ」などの説話をはじめとする古事記の編纂は、当代きっての秀才や天才が打ち込むに足る知的大事業だったはずである。正史を編むという目的にそぐわない文を一行たりとも載せるはずはない。」p.66
・「ところが古事記の神々の世界では、名と実体とが寸分違わず結びついている。表面的に付けられた名前ではなく、名前そのものが物語を組み立てる要素として、あらかじめ役割を担っているからだ。だから神々の名前には、必ずその神が何の神かということの由来が明記されている。」p.69
・「易の宇宙観は天と地とが両極を為している。卦(か)の形を見れば一目瞭然だ。卦を形作る陽を表わす●印と陰を表わす●印を爻(こう)という。爻がすべて陽の「乾為天」(●)とすべて陰の「坤為地」(●)、純陽と純陰の卦が始まりにくる。」p.71
・「もしこの説話の大意を、枝葉を取り除いた一文で表わすならば、 「大国主神は、傷ついた兎を元通りに治してあげた」 ということになるだろう。」p.78
・「「子」を出て「子」に帰る時の折り返し地点、それは十二支の円上でいえば、対極に位置する「午(うま)」の位置をおいては外にない。(中略)普段何気なく使っている午前、正午、午後といったことばにも、その痕跡が残されている。」p.94
・「八俣大蛇とは、自然の中で荒れ狂う川の氾濫を象徴する姿だった。」p.135
・「なぜそこまで権力者は陶器に固執し、また陶器が王者のシンボルたりえたのか。それは土と水や火などの絶妙なバランスの上に結晶する陶器を、陰陽と五行の理が凝縮したものとして見ていたからではなかったか。」p.174
・「トラカレではここ数年、"DNAの冒険" に取り組んでいる。"ことばと人間を自然科学する" という大きな命題のもと、ことばとそのことばを話す人間を自然の営みとしてさまざまな角度から捕らえ直すことにチャレンジしている私たちの小さなカレッジで、今、進行中の冒険である。」p.220
・「井戸の周りには人が集まり、周囲に住居ができ、位置が立つので、「市井」と言った。」p.246
・「天気は申し分なく、すばらしい夕焼けが期待できそうだ。 「私たちの行いがいいからね」 誰かのこんな都合のいいことばにも、易を感じてしまう。人のふるまいが、自然界の動きと相関しているという捉え方が易にあるからだ。異常気象や天災が起こる時は、天命を受ける君主の政治にも問題があるということになる。」p.260
・「それにしても、かかしが古事記に登場するのには本当に驚いた。そんな時代からかかしは存在し、今に至っているのである。千数百年もの長きにわたって、雨にも負けず、風にも負けず立ちつくし、私たちの暮しを裏から支えてくれていた。(中略)あらためて考えてみると、かかしというのは不思議な存在である。確かに稲田に人間に似せた人形を立てれば、天敵の雀が怖がって、多少は追い払う効果があるのかもしれない。だがそれなら、なぜ決まって一本足なのだろう。二本足にしたほうが、よほどリアルに思える。」p.289
・「古事記神代は天の国である高天原と、地の国、葦原中国、そして死者の住む黄泉国という三つの国で構成されている。」p.313
・「ところで、出雲の地を語る時、忘れてならないのが「神在月」の存在だ。ふつうは「神無月」である十月を、ここ出雲だけは神在月という。十月になると、日本全国の神々たちが出雲に集まってきて、会議をする。留守番をしている神もいたらしいが、ほとんどの国ではその神が出かけてしまうので神無月というのに対して、その神々が一堂に会する出雲の方は、神在月となるわけである。」p.339
・「古代中国の哲人・老子は、人間のあり方の理想として、「嬰児のごとく柔弱であれ」と説いている。 柔弱の「弱」の字には今でこそ誰にも「弱い」のイメージしかないが、その源義はその作字に弓が二つ入っていることからも解る通り、弓のようにしなやかであれということである。」p.354
・「古事記神代は、イザナキとイザナミの結婚に始まり、国生みが成され、沢山の神が生まれた。天上においてのスサノオは乱暴者だったが出雲では英雄だった。大国主神の国譲りの後に天孫が降臨するが、またまた奇妙な猿田毘古なる神が登場する。そして、海幸、山幸の話で神代は終わる。その先にも、三輪山の神である大物主神にまつわる不思議な話がいくつも続き、さらに先では、倭健命が活躍する。」p.356
●以下、解説(赤瀬川隼)より
・「藤村由加は『人麻呂の暗号』によって突然名を現わした。いずれも若い四人の女性の姓名を組み合わせて作ったペンネームである。いったいどんなグループなのか。」p.357
・「こう考えると、処女作『人麻呂の暗号』は生まれるべくして生まれたといえる。そしてこの本には、韓国語を従来の外国語学習法で学んだだけでは到底発見できないような、すなわち母語の自然習得と同じ方法で身につけなければ発見できないような、目から鱗の落ちる発見と洞察が随所に出てくる。果たせるかなこの本は発刊とともに大きな反響を呼び、次々に版を重ねて五十万部の大ベストセラーになった。しかし、一般読者層の熱い関心をよそに、歴史や古代文学の学界はほとんど黙殺の態度を粧おった。」p.361
・トラカレ(トランスナショナルカレッジ・オブ・レックス)生のグループによる『暗号』シリーズ第三弾。"易" の思想をベースにして『古事記』を読み解く。『いなばのしろうさぎ』から始まり、『やまたのおろち』、大国主神の冒険から国譲りの場面まで。
・「その言葉のこじつけはいくらなんでも強引では!?」とツッコミたくなるような場所が無いでもないですが、古事記の世界が楽しく生き生きと紹介されています。その著作を『トンデモ本』と見なすむきもあるようですが、内容の真偽はともかく、原文ではとても読む気になれない古事記のエキスを平明な言葉で語ってくれて、興味を持たせてくれるという点では良い入門書だと思います。
・易の用語が頻出し、ついていけずに少々げんなりする個所あり。
・『人麻呂の暗号』は既読。"ヒッポ" や "トラカレ" などは『フーリエの冒険』でその存在を知る(冒険シリーズ三部作も既読)。
・「『古事記』は、『万葉集』『日本書紀』とともに日本で文字として残っている最古の文献である。神代に始まり、日本の国生みが書かれ、神から天皇に至る物語が綴られ、さらに連綿と続く天皇の時代へと入っていく。日本の正史とされているものである。」p.11
・「ここで驚いたのは古事記の前にもいくつかの記録があったという記述である。それぞれの家に伝わっている系譜、伝承などが沢山あったということだ。考えてみればそれ以前に何もなかったということの方がはるかに不自然だ。 私たちも記紀万葉に出合う前は古事記からすべてが始まったかのように錯覚してしまっていたが、当然それ以前に集積していた文献が山ほどあったのだ。」p.12
・「それにしても天皇が登場してからはまだしも、神代の話がほんとうの話だと思っている人は誰もいないだろう。日本の国土が生まれ、神々が生まれ、国作りをしたという日本国創世の物語である。建国の義を正しく記そうとした話の中に、なぜ子ども向けのような説話が書かれているのだろうか。私たちはたちまちその不思議にとりつかれていったのだった。」p.15
・「易を構築している哲理はシンプルなものである。初めに、分割することのできない混沌とした状態があると考え、それを太極と呼び、そこからすべてのものが生まれていくと考えたのだ。(中略)太極から生じるのは、陰と陽の二気で、すべてのものをこの陰と陽の二気に還元できるものと考える。(中略)太極から生まれた二気は、さらに陰と陽に分かれ四象となり、その四象がまた陰と陽に分かれ、八卦(はっけ)となる。」p.25
・「それが古事記の中枢思想だと宣言しているようなものだ。古事記の中には易の思想が脈々と流れているということになる。私たちは、大きな航海に出るための羅針盤を手に入れたように感じていた。」p.42
・「天武らが実現しようとした伊勢神宮の遷宮に象徴される恒久の象形は、日本の正史としての古事記の編纂の意図と、くっきりと重なっているような気がしたのである。」p.47
・「「いなばのしろうさぎ」などの説話をはじめとする古事記の編纂は、当代きっての秀才や天才が打ち込むに足る知的大事業だったはずである。正史を編むという目的にそぐわない文を一行たりとも載せるはずはない。」p.66
・「ところが古事記の神々の世界では、名と実体とが寸分違わず結びついている。表面的に付けられた名前ではなく、名前そのものが物語を組み立てる要素として、あらかじめ役割を担っているからだ。だから神々の名前には、必ずその神が何の神かということの由来が明記されている。」p.69
・「易の宇宙観は天と地とが両極を為している。卦(か)の形を見れば一目瞭然だ。卦を形作る陽を表わす●印と陰を表わす●印を爻(こう)という。爻がすべて陽の「乾為天」(●)とすべて陰の「坤為地」(●)、純陽と純陰の卦が始まりにくる。」p.71
・「もしこの説話の大意を、枝葉を取り除いた一文で表わすならば、 「大国主神は、傷ついた兎を元通りに治してあげた」 ということになるだろう。」p.78
・「「子」を出て「子」に帰る時の折り返し地点、それは十二支の円上でいえば、対極に位置する「午(うま)」の位置をおいては外にない。(中略)普段何気なく使っている午前、正午、午後といったことばにも、その痕跡が残されている。」p.94
・「八俣大蛇とは、自然の中で荒れ狂う川の氾濫を象徴する姿だった。」p.135
・「なぜそこまで権力者は陶器に固執し、また陶器が王者のシンボルたりえたのか。それは土と水や火などの絶妙なバランスの上に結晶する陶器を、陰陽と五行の理が凝縮したものとして見ていたからではなかったか。」p.174
・「トラカレではここ数年、"DNAの冒険" に取り組んでいる。"ことばと人間を自然科学する" という大きな命題のもと、ことばとそのことばを話す人間を自然の営みとしてさまざまな角度から捕らえ直すことにチャレンジしている私たちの小さなカレッジで、今、進行中の冒険である。」p.220
・「井戸の周りには人が集まり、周囲に住居ができ、位置が立つので、「市井」と言った。」p.246
・「天気は申し分なく、すばらしい夕焼けが期待できそうだ。 「私たちの行いがいいからね」 誰かのこんな都合のいいことばにも、易を感じてしまう。人のふるまいが、自然界の動きと相関しているという捉え方が易にあるからだ。異常気象や天災が起こる時は、天命を受ける君主の政治にも問題があるということになる。」p.260
・「それにしても、かかしが古事記に登場するのには本当に驚いた。そんな時代からかかしは存在し、今に至っているのである。千数百年もの長きにわたって、雨にも負けず、風にも負けず立ちつくし、私たちの暮しを裏から支えてくれていた。(中略)あらためて考えてみると、かかしというのは不思議な存在である。確かに稲田に人間に似せた人形を立てれば、天敵の雀が怖がって、多少は追い払う効果があるのかもしれない。だがそれなら、なぜ決まって一本足なのだろう。二本足にしたほうが、よほどリアルに思える。」p.289
・「古事記神代は天の国である高天原と、地の国、葦原中国、そして死者の住む黄泉国という三つの国で構成されている。」p.313
・「ところで、出雲の地を語る時、忘れてならないのが「神在月」の存在だ。ふつうは「神無月」である十月を、ここ出雲だけは神在月という。十月になると、日本全国の神々たちが出雲に集まってきて、会議をする。留守番をしている神もいたらしいが、ほとんどの国ではその神が出かけてしまうので神無月というのに対して、その神々が一堂に会する出雲の方は、神在月となるわけである。」p.339
・「古代中国の哲人・老子は、人間のあり方の理想として、「嬰児のごとく柔弱であれ」と説いている。 柔弱の「弱」の字には今でこそ誰にも「弱い」のイメージしかないが、その源義はその作字に弓が二つ入っていることからも解る通り、弓のようにしなやかであれということである。」p.354
・「古事記神代は、イザナキとイザナミの結婚に始まり、国生みが成され、沢山の神が生まれた。天上においてのスサノオは乱暴者だったが出雲では英雄だった。大国主神の国譲りの後に天孫が降臨するが、またまた奇妙な猿田毘古なる神が登場する。そして、海幸、山幸の話で神代は終わる。その先にも、三輪山の神である大物主神にまつわる不思議な話がいくつも続き、さらに先では、倭健命が活躍する。」p.356
●以下、解説(赤瀬川隼)より
・「藤村由加は『人麻呂の暗号』によって突然名を現わした。いずれも若い四人の女性の姓名を組み合わせて作ったペンネームである。いったいどんなグループなのか。」p.357
・「こう考えると、処女作『人麻呂の暗号』は生まれるべくして生まれたといえる。そしてこの本には、韓国語を従来の外国語学習法で学んだだけでは到底発見できないような、すなわち母語の自然習得と同じ方法で身につけなければ発見できないような、目から鱗の落ちる発見と洞察が随所に出てくる。果たせるかなこの本は発刊とともに大きな反響を呼び、次々に版を重ねて五十万部の大ベストセラーになった。しかし、一般読者層の熱い関心をよそに、歴史や古代文学の学界はほとんど黙殺の態度を粧おった。」p.361