ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】数学者の休憩時間

2008年04月27日 22時07分36秒 | 読書記録2008
数学者の休憩時間, 藤原正彦, 新潮文庫 ふ-12-3(5015), 1993年
・『国家の品格』が話題になったのが記憶に新しい著者によるエッセイ集。頭に、初めての出産(つきそい)体験の記録、後ろに父、新田次郎の遺した取材ノートを元にその足跡を辿ったポルトガル一周の旅行記の長めの文章が配置され、その間に日常生活や思い出話などの小さな文章がいくつか入るという構成。
・同著者の著作は初見でしたが、洗練された文章で予想したよりも面白い内容でした。これはベストセラーを生み出すのもうなずける。この分かりやすい語り口で、もう少し数学の専門的な話題も読んでみたいです。
・「「しかしなあ、血を見るのはいやだし、恥かしいし、何だかだと勉強の時間くわれるしなー」  「夫婦で作った子供を産むのが、どうして女だけの仕事でなくてはいけないの。おかしいと思わない」  「生まれてきた後は育児を徹底的にものすごく手伝うから、今回はどうにかならないかなー」  しばらく口を閉ざした女房は、立上がりながら、  「あなたの気持は分りました」 と言って立去ろうとした。」p.20
・「数学修行時代からの性癖で、時間を無駄にすることについては、過度に敏感なのである。」p.22
・「この命がけの、鬼神をも打ちのめす気迫の顔が、人間が人間を産み落とす時の顔なのかと思った。女性が、氷河の時代から途切れなく保ち続けてきた顔なのかと思った。それは醜くも美しくもなかった。ただ息を呑むほどに感動的な顔であった。」p.46
・「「数学者の仕事は睡眠だ」  と常々言明しており、何より大事な昼寝の間は、電話にも玄関のベルにも応答しない。健康を保つために、病気とか食品添加物などにも相当に気を遣う。」p.57
・「私の将棋が、二十年の空白の後に強くなっていたのは、この大局観の変化にあるのだろう。」p.69
・「私の専門の数学において、発見はあくなき「こだわり」によってのみなされる。」p.72
・「学ぶということは生きることに似ている。それは死によってのみ砕かれる業であり夢である。」p.75
・「数学では他の分野と違って学説というものが無い。一度正しいと認められた定理は、真理として永遠に生き続ける。直角三角形に関するピタゴラスの定理は、二千年以上も前に正しいと認められたが、それは今日も正しく、また今から二千年後も正しい。(中略)数学には一切の後退がないため、深くなり放題となっている。」p.76
・「数学の勉強が論理思考の育成に役立つのか、疑問を抱かざるを得ないのである。」p.96
・「良い例は、「風が吹けば桶屋がもうかる」である。  「風が吹く→ほこりが舞い上がる→ほこりで目を悪くする→盲人が増える→三味線ひきが増える→三味線に必要な猫が減少する→ねずみが増える→風呂桶がかじられる→桶屋がもうかる」」p.97
・「私なども、大学での委員会などにおいて、慣れ親しんだ論理による明々白々な結論が、いともあっさり否定されて、カーッと血の上ることは数え切れないほどである。(中略)すなわち、数学的思考は、世の中での論理的思考に必ずしも結びつかないのである。」p.101
・「数感覚が何より本質的で、これが問題解決の先鞭をつける。論理は後から説明するための形式、少し誇張すると、他人を説得するための道具である。(中略)「筋道を立てて考えれば必ず解ける」と生徒に力説する先生が、論理などもちいず、培われた数感覚でさっさと解いている。生徒が解けない訳である。」p.102
・「数学研究は、山の頂きに咲く美しい花を取りに行くようなものである。研究の発端は、この花の美しさに感動することに始まる。この花が美しくなかったら、どこの数学者が、苦しく長い道程を、泥まみれ汗まみれで歩もうか。また、天才的といわれる数学者ほど、この感受性が強いようにも思えるのである。」p.105
・「論理的思考がことさら重視されるのは、アメリカが多民族国家であることによる。民族が異なれば言葉も習慣も風俗もみな違う。そういった人々を統一するには、誰にも共通なもの、論理を用いるしか他になかったと言える。  このためか、アメリカ人は実に論理的である。知識でははるかに優れた日本人留学生が、いったん議論になると全くアメリカ人学生に敵わない、というのはよく出会う光景であった。」p.116
・「「てんでんばらばら」が単なる無秩序でなく、調和のとれた多様性となるには、子供たちの心に「芯」を入れなければならない。従来の道徳教育には限界があるし、宗教には頼りたくないし、論理に依るのはアメリカで失敗済みである。美しい情緒を育てることが、私に考えられる唯一の手段である。」p.126
・「私立中学のよく練られた良問を、難問悪問と決めつけ、さらに改めろと言うのはいかがなものか。問題があるとすれば制限時間が短いことだけである。時間を倍にして、受験生にじっくり考える余裕を与えればそれで事足りる。」p.128
・「真の国際化教育とは、外国の言葉や風俗、文化、地理、歴史を学ぶことだけではない。強靭な論理的思考力や深い情緒力で武装することのほうがはるかに重要である。このような教育により生まれるエリートは、これまでの偏差値エリートと違い、国際人としての高い戦闘能力を備えることになろう。混迷を深める日本、そして世界を救う人材は、そんなエリートであると私は思う。」p.136
・「死のないコンピュータに、人間の持つ最も深い情緒を付与することは、永遠に不可能と思う。もっとも、情緒に代わるある一定の方式により、あらゆることに知的判断を下す、精巧な個性的コンピュータが出現する可能性はある。」p.140
・「国際社会はオーケストラに似ている。バイオリンはバイオリンのように鳴ればよい。その時に最もよく調和が保たれる。ビオラやチェロの真似をすることで融和を計ると必ず失敗する。  日本人は日本人らしく生きるのがよい。」p.142
・「実は新人類の特徴と言われるものの多くは、単なる無知、無経験、無責任などに帰せられる。これはどの時代の若者にも共通で、我々もさんざん言われたものである。真に憂うべきは、情緒力不足が目につくことである。じっくり考えるのも、歯を食いしばって頑張るのも、他人の不幸に敏感なのも、故郷や古きものを懐かしむのも、みな情緒の力による。」p.162
・「「三十では若過ぎる。人生の苦しみや哀しみを本格的に表現するには四十を越えなくては。ファドは若い人には歌えない」」p.214
・「サウダーデというのは、ポルトガル人特有の感情を表わす言葉として、よく引用されるものである。対応する日本語や英語はないが、「愛する人やものの不在により引き起こされる、胸の疼くような、あるいは甘いメランコリックな思い出や懐かしさ」、と言われている。望郷、懐かしさ、会いたいが会えない切なさ、などはみなサウダーデである。単なる悲哀ではなく、甘美さと表裏一体をなしているのが、この言葉の特色である。」p.238
・「ポルトガル人の親切さに関しては、何度か耳にしたことがあったが、日本人とは尺度が違うような気がした。」p.245
●以下、解説『数学者と情緒』阿川佐和子 より
・「藤原さんが文章を書くという作業について、どのようなお考えをお持ちか、直接伺ったことがないのでわからない。が、今まで私は、氏が数学者という本職を持ちながら、なぜこんなに魅力的な文章を書かれるのか、なかば嫉妬を込めて羨望していたが、それは大きな間違いだった。  これほどの感性と愛情あふれる文章は、藤原氏が真の数学者であるからこそ生まれてくるのだということに気付いたのである。」p.313

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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2008-04-28 14:00:02
ヘッダー…
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×【食】→○【本】 (ぴかりん)
2008-04-29 15:15:30
ミスのご指摘ありがとうございます。
なんだか、食べることで頭がいっぱいであるかのような間違えでしたね。
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