生命あるすべてのものに, マザー・テレサ, 講談社現代新書 667, 1982年
・1982年、来日時の講演録。当然、マザー・テレサ自らが筆をとったわけではなく、日本の関係者(カトリック広報室?)が翻訳しまとめたものと思われます。しかし、馴染みの薄い異国である日本をあちこち巡り、一週間ほどの滞在期間の間に10本ほどの講演をこなすというのは、72歳のおばあちゃんにとってはかなりハードですね。普通に考えて。
・その名は知っていても、具体的にどんな活動をしていたのかよくわかっていませんでした。本書によると、貧窮者の救済と妊娠中絶の根絶(人口抑制)についての活動が大きな二本柱のようです。
・何気なく巻末の年譜を見ていたら、誕生日(8/27)が自分と一緒でビックリしました。
・巻末に本文第1章の原文(英文)付属。
・「堕胎は殺人です。」p.11
・「さあ、その子どもたちが望まれている、大切にされていると感じる家を持とうではありませんか。まちがいは起こってしまったことです。神は許してくださるでしょう。しかし、みなさまはけっして、まちがいよりももっと悪いこと、胎児を殺すことを絶対に強制しないでください。」p.17
・「なぜですか? 人間は神のイメージだからです。人は神の美しいイメージだからです。そして、私があの男の人、あの女の人、あの子どもにすることはなんでも、あのお方にしているのです。キリストに。」p.21
・「さらに、私たちは、ある目的のために創られたのです。その目的とは、愛であり、思いやりであり、善であり、喜びであり、そして仕えることです。」p.29
・「私は堕胎に対して養子縁組することで戦っています。(中略)もしも、あなたの子どもを育てられないなら私にください。私がその子を養子にする家族を見つけましょう。」p.34
・「私たちには殺す権利はありません。私たちはできるかぎりその人びとのために、可能性をすべて使わなければなりません。」p.40
・「あるとき、裕福な人が私にいいました「なぜあなたは、貧しい人びとに魚を与えるのですか? その魚を捕る竿を、どうして与えないのですか?」と。 そこで私は答えました、「この人びとは病気、飢え、疾患などをかかえていて、立つことすらできないのです。ですから私は、まず、食べることができる魚を与えています。自分で立てるようになったら、今度はみなさま方にお願いします。魚を捕ることができるように、その人びとに竿を渡してあげてください」と。」」p.80
・「この日本でも、家庭に、この自然な家族計画を教え、すばらしい、清く自然な方法で、子どもの数を減らす、ということを政府に知らせることができます。」p.83
・「質問5 今後の活動計画をお教えいただきたいのですが……。
マザー・テレサ 神の愛とあわれみの運び手になる、というただ一つの計画があるだけです。」p.84
・「自然法があります。「殺すなかれ」ということです。カトリックであろうと仏教徒であろうと、ヒンズー教徒であろうと、回教徒であろうと、みな、心のなかで、殺してはいけないということを知っています。」p.100
・「神の愛の宣教者は、誰もみな、貧しいもののなかのもっとも貧しいものなのです。誰ひとり私でさえも、自分の物は何も持ちません。」p.117
・「毎日、私たちは、四時間祈ります。朝四時半から始めて、ごミサ、ご聖体拝領、黙想、聖務日禱(教会の祈り)があり、夜には、一時間の礼拝をします。」p.119
・「おまえの人生がいつ始めるか、正確にはわからない。
天が開いて、神がくだり、父と母が愛に結ばれる。
神はおまえの名を呼びあげ、永遠から定められたその名を呼びあげ、
栄光の輝きのなかに、おまえは存在する。
神はいま、おまえの手、足を創っておられるのです。
おまえに知と心を与えようとしておられるのです。
神ご自身のお姿に似せて創られたおまえの体と心は、特別で美しい。
私たちは祈ります。おまえの人生が幸せなものであるように。
おまえも私たちを愛し、喜びと平和を人びとにもたらす者となるように。
――出産前の両親の祈り」p.134
・「ほんとうにすばらしい、多くの物に恵まれた日本は、物質的な面からすれば、偉大な国ではありませんか。どうして、そんなに子どもを恐れなければならないのですか?」p.139
・「若い人たちは、いっしょになって過ごすことが愛であるというように思っていますが、それは愛ではありません。それは欲情というものです。」p.143
・「The less we have, the more we can give. The more we have, the less we can give.」p.210
以下、『マザー・テレサとの出会い』ピーター・ミルワード より
・「彼女は実に単純に、誠実に、そして情熱的に神の愛について、とくに死を待つ貧しい人びとのなかに存在する神の愛について語り、私は涙を抑えることができませんでした。(中略)彼女こそ、まさに生きた聖者、人類のなかに再来したキリストであると感じないではいられなかったのです。」p.189
・「彼女はまるで静かな池に投げこまれた小さな石で、そこから波の輪が水面に無限にひろがっていくかのように思われました。」p.192
・1982年、来日時の講演録。当然、マザー・テレサ自らが筆をとったわけではなく、日本の関係者(カトリック広報室?)が翻訳しまとめたものと思われます。しかし、馴染みの薄い異国である日本をあちこち巡り、一週間ほどの滞在期間の間に10本ほどの講演をこなすというのは、72歳のおばあちゃんにとってはかなりハードですね。普通に考えて。
・その名は知っていても、具体的にどんな活動をしていたのかよくわかっていませんでした。本書によると、貧窮者の救済と妊娠中絶の根絶(人口抑制)についての活動が大きな二本柱のようです。
・何気なく巻末の年譜を見ていたら、誕生日(8/27)が自分と一緒でビックリしました。
・巻末に本文第1章の原文(英文)付属。
・「堕胎は殺人です。」p.11
・「さあ、その子どもたちが望まれている、大切にされていると感じる家を持とうではありませんか。まちがいは起こってしまったことです。神は許してくださるでしょう。しかし、みなさまはけっして、まちがいよりももっと悪いこと、胎児を殺すことを絶対に強制しないでください。」p.17
・「なぜですか? 人間は神のイメージだからです。人は神の美しいイメージだからです。そして、私があの男の人、あの女の人、あの子どもにすることはなんでも、あのお方にしているのです。キリストに。」p.21
・「さらに、私たちは、ある目的のために創られたのです。その目的とは、愛であり、思いやりであり、善であり、喜びであり、そして仕えることです。」p.29
・「私は堕胎に対して養子縁組することで戦っています。(中略)もしも、あなたの子どもを育てられないなら私にください。私がその子を養子にする家族を見つけましょう。」p.34
・「私たちには殺す権利はありません。私たちはできるかぎりその人びとのために、可能性をすべて使わなければなりません。」p.40
・「あるとき、裕福な人が私にいいました「なぜあなたは、貧しい人びとに魚を与えるのですか? その魚を捕る竿を、どうして与えないのですか?」と。 そこで私は答えました、「この人びとは病気、飢え、疾患などをかかえていて、立つことすらできないのです。ですから私は、まず、食べることができる魚を与えています。自分で立てるようになったら、今度はみなさま方にお願いします。魚を捕ることができるように、その人びとに竿を渡してあげてください」と。」」p.80
・「この日本でも、家庭に、この自然な家族計画を教え、すばらしい、清く自然な方法で、子どもの数を減らす、ということを政府に知らせることができます。」p.83
・「質問5 今後の活動計画をお教えいただきたいのですが……。
マザー・テレサ 神の愛とあわれみの運び手になる、というただ一つの計画があるだけです。」p.84
・「自然法があります。「殺すなかれ」ということです。カトリックであろうと仏教徒であろうと、ヒンズー教徒であろうと、回教徒であろうと、みな、心のなかで、殺してはいけないということを知っています。」p.100
・「神の愛の宣教者は、誰もみな、貧しいもののなかのもっとも貧しいものなのです。誰ひとり私でさえも、自分の物は何も持ちません。」p.117
・「毎日、私たちは、四時間祈ります。朝四時半から始めて、ごミサ、ご聖体拝領、黙想、聖務日禱(教会の祈り)があり、夜には、一時間の礼拝をします。」p.119
・「おまえの人生がいつ始めるか、正確にはわからない。
天が開いて、神がくだり、父と母が愛に結ばれる。
神はおまえの名を呼びあげ、永遠から定められたその名を呼びあげ、
栄光の輝きのなかに、おまえは存在する。
神はいま、おまえの手、足を創っておられるのです。
おまえに知と心を与えようとしておられるのです。
神ご自身のお姿に似せて創られたおまえの体と心は、特別で美しい。
私たちは祈ります。おまえの人生が幸せなものであるように。
おまえも私たちを愛し、喜びと平和を人びとにもたらす者となるように。
――出産前の両親の祈り」p.134
・「ほんとうにすばらしい、多くの物に恵まれた日本は、物質的な面からすれば、偉大な国ではありませんか。どうして、そんなに子どもを恐れなければならないのですか?」p.139
・「若い人たちは、いっしょになって過ごすことが愛であるというように思っていますが、それは愛ではありません。それは欲情というものです。」p.143
・「The less we have, the more we can give. The more we have, the less we can give.」p.210
以下、『マザー・テレサとの出会い』ピーター・ミルワード より
・「彼女は実に単純に、誠実に、そして情熱的に神の愛について、とくに死を待つ貧しい人びとのなかに存在する神の愛について語り、私は涙を抑えることができませんでした。(中略)彼女こそ、まさに生きた聖者、人類のなかに再来したキリストであると感じないではいられなかったのです。」p.189
・「彼女はまるで静かな池に投げこまれた小さな石で、そこから波の輪が水面に無限にひろがっていくかのように思われました。」p.192